お兄さんはいつの間にか変態さんになってしまわれました
「……はぁ」
昨日、家族内でとある事件が起こりました。
なんと、私のお兄さんがあろう事か家族の前で、犯罪者になる宣言をしてしまったのです。罪名は“ストーキング”。そう、お兄さんはある女の子が大好きで大好きで、夜も眠れなくなってしまって、会いたくて会いたくて仕方がなくなってしまい、溢れる思いを抑える事が出来なくなってしまって、とうとうそんな危ない発言をしてしまったのです。とうとう、という辺りに、今までそんな兆候があったのにもかかわらず、気のせいであると黙殺してきた我々親族の懸念がお分かりになられる事でしょう。
……いえ、宣言だけならばまだ良かったのでしょう。お兄さんは本当に、実行に移してしまったのです。
いいえ、これでもまだ正確ではないのです。昨日の衝撃をお伝えしたく、言葉に言葉を重ねご説明しているのですが。もしかしたら、私の語彙力が足りないからかもしれません。それでもこの混み入った状況を解き明かすならば、実動部隊はお兄さんではない事を述べてしまえば良いでしょう。どうしてかと言えば、それを命じられたのは、実行するように言われたのは、私の方だから――。
何故ならば、お兄さんの想い人は、私のお友達なのです。
申し遅れました。私は梅里朔。とある公立中学校に通う、清廉潔白純情可憐な中学二年生です。したがって、お兄さんは世間一般に言われるロリコン、並びにストーカーという通称“変態”と呼ばれる存在になってしまわれた、という訳なのです。
*
「いいか、朔。ストーカーと騎士ってのは、紙一重なんだ」
「違いますよそれ絶対!?」
あの宣言をしてから、お兄さんはこっそりと私を自分の部屋に呼び入れました。あんな事があったすぐ後ですから、何か嫌な予感を感じます。けれども助けを求めようにも、お父さんもお母さんも未だ凍りついたままですし、お兄さんのお部屋に入れてもらえる事など滅多にありませんから、私はつい中に入ってしまいました。
そこで、やはり予感は的中。入った途端、突然あの文句という訳です。これには流石の私も、つっこまざるを得ませんでした。
「そんな馬鹿な。騎士というのは自分のお仕えする姫君を守る為に、四六時中姫の周りに潜伏しているものだろう?」
「ま、まぁそうですけど……。でも、お兄さんは別に風祢ちゃんに仕えている訳ではないのでしょう?」
風祢ちゃん、とはお兄さんの想い人の名前です。私のクラスメイトで、肩ぐらいの天然パーマでふんわりとした黒髪に、くりくりとした丸く大きな瞳が特徴の、可愛らしい女の子です。彼女の愛らしさは他校にまで知れ渡り、すでにファンクラブが出来るほど。勿論、うちの学校のナンバーワンと言って良いでしょう、そのぐらいの美少女です。私は肩口で切りそろえたおかっぱのような髪型に猫のような眼なので、あのふわふわした雰囲気には憧れる所があります。と、それは置いといて。
一瞬ですが、私のこの言い分にお兄さんがひるみました。
「あー……。そうじゃない。そうじゃないぞ朔。騎士とは馬に乗った武士の事だ。すまん、お兄ちゃんが悪かった」
「分かってくれればそれで」
これでお止めする事が出来る、完膚なきまでにその高すぎる志を折って差し上げる為に、畳み掛けようと思った矢先、
「そうだな。好きな女を守って守って守り抜く存在だったな」
お兄さんは話の矛先を変えてきやがりました。
「いえ、武士でもお殿様にお仕えしていますからね!?」
当然のごとく抵抗を試みますが、同じ手は二度と喰らっていただけなかったようです。器用にかわされてしまいました。
「違うよ俺は騎士道精神を、スピリットを受け継いでいるのだ!」
「無理矢理ですけどまぁそれならば合っていますね!」
「そうだろうそうだろう」
方向転換が思いの他上手くいったので、お兄さんは上機嫌です。得意気になって続けます。
「あ、でも朔は違うぞ。お前がするのは調査だから、探偵ごっこだな」
「ってごっこって! ごっこって自ら断言しちゃってますし!」
「いや、でも探偵は別に資格とか要らないだろうから、探偵でいいのか。小林少年か」
「それは助手です!」
せめて明智小五郎にしてください、とお願いしそうになったのを直前で思い止まります。いけません、これでは相手の思うつぼです。探偵なんかには興味が無い、そう思わせなくては。けれどもどうしても一つ言いたくなってしまって、
「っていうかその理屈だと、警察さんもストーカーさんになってしまいます!」
つい言葉を発してしまいました。
「おお、それは盲点だったな。奴らまでロリコンの集団だったとは」
「それとこれとは別ですううううううう!」
けれども、完全にスイッチの入ったお兄さんは止まる所を知りません。あろう事か、国家権力まで同志にしてしまうなど。ツッコミは、もはや叫びに近くなっていきます。
「そうか? しかし騙されてはいけないぞ朔。最近では警官の不祥事が立て続いているし、お前の身近な所で言うと、子どもを教え諭し導いていくはずの教師でさえも、生徒に手を出して逮捕されている。お前も可愛いんだから、その辺り充分気をつけろよ?」
また、こうやって間に核心をついてくるので油断は出来ません。そ、それに、さらりと、か、可愛いとか言ってくれちゃったりして。動揺を隠しきれず、言い方がさらにきつくなっていきます。
「そ、そんなこと……っ。何を真面目な話に持っていっているんですか!」
顔を真っ赤にして怒る私を気にもしないで、自由きままにお兄さんは言います。
「だから、教訓だ。男を見たら皆、狼だと思いなさい」
「そうですねお兄さんも獣でいらっしゃいますものね!」
「失礼な。俺は紳士であると何度も」
「紳士はストーカーなんてしませんよ!」
これには流石に効き目があったのか、むむう、とうなりました。それでも懲りないのがお兄さん。しばし腕を組んで考え込み、やがて思いついたとばかりに提案をしてきました。
「よし、じゃあ教訓の方を変えよう。だからこそ、“やられる前にやってしまえ”に繋げようではないか」
それはやっぱり根本的に間違っていて、反射的に声を荒げます。
「普通は盗撮されませんし、私にそんな趣味もありません!」
ぜぇぜぇ、と息も絶え絶えになりながら、しまった、と私は思いました。慌ててお兄さんの方を見ると、やはり聞き逃してくれるはずもなく、にやりと片方の唇だけ上げて笑っています。お兄さんのあまりの傍若無人っぷりに、つい勢いに任せ過ぎてしまい、言質を取られてしまいました。失態です。
「ん? 俺は盗撮なんて一言も言ってないぞ? そうか……。お前はやっぱり分かってくれるのか」
そして感極まったのか、がしいっと両手を握られてしまいました。振り回して拘束を解こうとしますが、緩まる気配もありません。ですから、私は言葉で戦い続けるしかありません。
「揚げ足を取らないで下さいっ。それにお兄さんの、ストーカーさんの気持ちなんて分かりたくありません!」
「そんなに邪険にするな。ストーカー行為というのも、あながち捨てた物でも無いのだぞ? あれは一種の愛情表現にも成り得るんだから」
「だからそれはお互いに想いが通じ合っている時で、って。なんですかお兄さん。本当はしたいんじゃなくて、されたいんですか?」
すると危険を察知したのか、
「いや、されたくは、ない、か、な?」
しどろもどろになって答えます。ついでに、あんなに力強くしっかり握っていただいていた手も、脱兎のごとく離されてしまいました。
「矛盾しているじゃないですか」
なんだ、ざ……。いえいえ、別に残念だなんて思っていませんよ? お望みとあらば心行くまで、朝から晩までなんて生ぬるい事は言わず、四六時中常にどこの警備会社にも劣らないぐらいみっちりと監視して差し上げようだなんて、そんな事全然、夢にも描いておりません。
私がそんな邪な事を妄想、いえ、想像していたからでしょうか。お兄さんに主導権を奪われてしまいました。
「だーかーらー。ストーカー行為という事についてもう一度説明するとだな」
この後延々二時間に渡って、手を変え品を変え、お兄さんは私に盗撮と調査の正当性を教授し続けました。これをどうして、危険と見なさずにいられましょうか。否、出来ません。だから、私はどうにかこうにかお兄さんをお止めしたかったのですが……。
「じゃ、よろしくな。朔。俺の為に、あの子の写真をばしばし撮ってくれ。そしてあの子の一挙手一投足を、俺に残さず全て教えてくれ!」
あんなに良い笑顔で言われてしまっては断れず、差し出されたカメラ(どこから入手したのかは存じ上げませんが、探偵さんが使われるような小型のカメラでした。まさしく盗撮用という感じです)と観察日記用のノートを受け取ってしまいました。
*
そんなすったもんだがありまして、私は今、お兄ちゃんの想い人である同級生の女の子をペンダント型のカメラで隠し撮り、今日一日彼女がどれだけ可愛らしかったかを日記に書き綴っているという訳です。正直、完全にプライベートな事ですし、気は引けます。というか何が悲しくて、今日彼女が数学の時間に方程式の問題を当てられて答えられずあたふたしていた事や、社会の時間に安土桃山時代の歴史が退屈でうとうとしていた事、果ては本日のお弁当に俗にうさちゃんリンゴと呼ばれるうさぎさんのようにカットされたリンゴが入っていた事に至るまで、その実ノート見開き二ページにわたって改行無しにびっちりと文字を書き連ねなければならないのでしょう。
それでもお兄さんの為、という言葉が引っ掛かり、何となく任務を遂行してしまいました。私が初めてのストーキングを成功させた日。差し詰め、ストーカー記念日です。……よもや、そんな記念日を我が人生に刻む事になろうとは。黒星も黒星、汚点も汚点です。それでもお兄さんに言われてしまった手前、そして一度引き受けてしまった手前、後には引けないのです。
べ、別にお兄さんの事の笑顔が見たいからとか、お役に立ちたいからとか、褒めてもらいたいからとか、そういう事ではないのですよ? あわよくば頭を撫でてもらおうとか、もしかしたらお礼にぬいぐるみをいただけるんじゃないかとか、そんな淡い期待を抱いたりなんかしていないのです。絶対……。
でもね、お兄さん。詩兄さん。私でも知っているんですから、当然ご存じでいらっしゃいますよね?
いとこって、結婚出来るんですよ?
朔が可愛すぎて生きるのが辛い!と言いながら書いています。
段々作者が危ない方向に行く足音を感じつつ。
この二人の関係性やいかに。