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adagio  作者: 神崎みこ
本編
8/17

十一月・金色木枯し

「何の用です?」


怪我をして以来用もないのに保健室を訪ね、部屋の主である尾形先生に不振がられている。

それでも市販の菓子を手土産にすれば、彼女は茶を入れ、一時ほど相手にしてくれる。


「何か聞きたいことがあるんじゃないの?」


あからさまに疑惑の目を向けられ、目が合わせれらない自分は、犬で言えば弱いオスのようだ。

最初のうちはそれでも、絆創膏をもらいにきただのといういい訳があった自分も、すっかり治ってしまった傷跡を前にして言いつくろう言葉すらない。


「鈴木の、ことなんですけど」


あれから彼女は幾度かここに運ばれたという噂を聞いた。

違うクラスの生徒が、それでも保健室に何度も運ばれるという事態となれば耳に入るというものだ。

さらには、どうも彼女の保護者そのものが職員たちの口の端に上る相手なのだから仕方がないだろう。

過保護で学校に言いがかりをつけてくる保護者は具体的に困ってしまうが、彼女の場合はその逆らしい。

何度連絡しても両親にたどり着くことはなく、また保護者の代理だという人間も、大して興味がない風に担任の言葉を聞き流しているらしい。

介入するほどではなく、だからといってまるきり心情的にも無視できるものではない。微妙なラインの上を歩いているような鈴木に、多少の注目が集まっている。


「栄養不足ね。具体的には」

「栄養不足?」

「担任には伝えてあるけど」


あっさりと鈴木の状態を口にした尾形先生は、忌々しいという顔をした。

それはおそらく、彼女の保護者に対するものなのだろう。


「あとは寝不足」


彼女が授業中によく寝てしまう、という話は聞いたことがない。万年寝不足のような年代で、それは少し奇異に思える。


「気になるの?」

「そういうわけでは」


自分から聞いておいてそれはない、というほど情けない返事をし、言い訳すら思いつかないで黙り込む。

こんなことを聞いて回る自分はおかしい。

そんなことは自分が一番よくわかっている。


「在学中は手を出さないでね」


にっこりと笑顔で釘をさす尾形先生は、目は真剣だ。

おそらく在籍中にそのような例を幾度となく見ているのだろう。

自分ですら、数年内にそういったことにいたった例をいくつか上げられるほどだ。


「彼氏が、いるみたいですよ」


さされた内容には直接答えず、そんなことを尾形先生に伝える。

暑い最中に寄り添うようにして鈴木が一緒に帰った相手は、たぶんそうなのだろう。

彼女が普段周囲に接する距離感とは違う近しいそれに、それ以上の答えはないはずだ。

だけど言葉にしてみて、自分の中のどこかが痛んだ。


「へぇ、あの子でもそういう相手がいるんだ」


心底驚いた尾形先生に、へらりとした笑顔を向ける。

気がつかれないように、保健室を後にした。

申し訳程度に、新しい絆創膏を一枚手にして。




 一人で落ち葉の上を歩いていた鈴木を見つけ、思わず歩き出していた。

不自然にならないように、いや、どこからみても不自然ではあるが、彼女に声をかける。


「帰りか?」

「そうですけど」


かばんを肩に掛け、校門へと歩いている姿を見て、それ以外の何が言えるのかと心の中で突っ込みを入れる。

そんな葛藤などに当然気がつくはずもなく、彼女は歩みを止めることはない。


「仕事終わったんですか?」


どこまでも素っ気無い態度を崩さない彼女は、こちらを見ることもしない。

今までより幾分突き放された態度にためらう。

内心どんなことを思っていたのかは知る由もないが、少なくとも彼女は笑いかけてくれていたのだから。


「あれ、彼氏か?」

「あれ?」


ようやくこちらに顔を向けた彼女は、いやそうな顔をしていた。

だけど、どちら側でも表情を見せてくれた、ということに喜んだ自分は、いつもの自分では考えられないぐらい他者に踏み込んでいく。


「夏にあそこで待ち合わせてた」


校門の方を指した自分に、彼女はしばらく考え込んでようやく思い当たる節があったようだ。


「ああ、亮太」


下の名前を呼んだ彼女に、軽く嫉妬を覚えた。

自分は古瀬「先生」であり、それ以外の何者でもない。それどころか下の名前を知っているかすらあやしいところだ。


「違う」


彼女にとっては理不尽な気持ちに埋め尽くされようとしている自分に、否定の言葉が届く。

それが、どういう風に自分に思われるかも知らずに、鈴木は淡々と説明をしていく。


「あの人は恋人じゃない。保護者みたいなもの」

「保護者」

「兄みたいで父みたいで、弟みたいな人」


それは大切な何かをあわせたような人みたいじゃないか、と、鈴木の言葉を理解できないでいる。


「そういうわけだから、亮太は恋人でもなんでもない」


再び呼んだ名前に、明らかに嫉妬した。

僕は、名前では呼んでもらえない。

もうその気持ちがどこからくるのかは、はっきりとわかることができた。


「さよなら、先生」


言いたいことを言って満足したのか、鈴木はいつもみたいに去っていこうとした。

咄嗟に彼女の右手を掴む。

びくりと体を震わせて、彼女は前を向いたまま固まっていた。


「鈴木は、僕の名前を知ってる?」


強い風が吹き付け、地面に落ちた色とりどりの葉を巻き上げていく。

視界の中に幾枚もの落ち葉が舞いあがり、降りていく。


「学」


僕の名前を呟き、離された右手を左手で掴みながら彼女は歩いていった。

再び風が吹き、落ち葉が舞い散っていった。

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