七月・会いたくて
目の端に入る女は、毒々しいとしか思えない色の唇を上下させ言葉を紡いでいく。
その姿を見て、やはりこんなところに来るんじゃなかったとため息をつきたい気持ちを押さえる。
せっかくの休みにあてられた友人の披露宴は、楽しい同窓会気分などではなく、ひたすら憂鬱なものだった。
会場の円卓に大人しく座り、与えられた酒をあおる。
全てを知る友人の哀れむような視線が鬱陶しい。
「女子高生かぁ」
唐突に呟かれたそれは、大学の同期が齎したものだ。
昔からそのあたりにやや趣味が傾いていたことを知っていた他のメンバーは、明らかに呆れた顔をしながら若干強引に話を続けていく。
この円卓の場を冷ややかにしていた原因が話し続けるよりもいいのだろう、と判断したのだろう。
話をさえぎられたような格好の彼女は、露骨にキレイに描かれた眉を寄せた。
「で、実際どうよ?もてるっしょ?」
「どうだろう?」
「またまたー、あの年頃って年上に憧れるもんでしょ」
うらやましそうにしている友人には悪いが、やはりそれほどいいものじゃない。
あの年代の子供はとても扱いにくいものだ。自分のような距離感をもってしてもたまにトラブルに出くわすほどなのだから、熱心に関わりをもっている教師たちならなおのことだろう。
特に恋愛がらみのトラブルなど、巻き込まれることを想像しただけでうんざりする。
そして、やはり職業意識を問われかねないが、そのあたりの問題は見聞きすることが多い。
人と深く関わるのはごめんだ。
ましてそれが己の人生に関わるような面倒くささならばなおさらだ。
女子高生を食ってしまう同職の人間は、実際いなくはない。表面化すればそれは純愛として婚姻関係を結ぶか、左遷されるか。身内に甘い体質ゆえに、職を奪われることはないにしても、それなりにペナルティーが科せられるのは仕方がないことだろう。それが、教職というものだと、したり顔で説教されそうではあるけれど。
自分は少女趣味ではない。
あの年代の不安定で、なおかつ自意識過剰な少女たちに食指をそそられることはない。
まして、自分は望んで教職についた人間ではない。
なんとなく流されて、なんとなく単位をとって、なんとなくそうなった。
切望して、それでも叶えられなかった人間たちにとっては、唾棄されるべき理由ではあろうとも、僕は僕で、生きていく術として今の仕事を必要としている。
だから少女たちにかまけている理由はないのだ。
酒のためにいささか回りくどくなった理由を脳内に繰り出し、またビールを飲み干す。
気の利いた給仕がすかさず空いたグラスに冷えたビールを注ぎ、満足してそれを口に含む。
「恋人はいないの?」
世間からすれば好ましくない話題に盛り上がっていた座卓に、冷や水をさす質問が投げかけられる。
キレイに塗られた化粧の彼女は、余裕の表情で自分を見下していた。
いくら鈍感だとはいえ、振った女の不遜な態度に気がつかない男たちではない。だけど、他人が答えにくい質問をさらりと口にする彼女の前に、周囲は口を出しにくい雰囲気に陥っている。
私は私にふさわしい人と結婚がしたいの。
ただそれだけの言葉を残し、去っていった元恋人に、精一杯の笑みを浮かべる。
「よりどりみどりといえばそうなんだけどなぁ」
「あ、やっぱり女子高生?」
おどけた答えに、先ほど食いついてきた同期が混ぜ返す。
「肌とかぴちぴちでしょー」
周囲にいる女性に悪気がなく彼は好奇心を満たそうと質問を重ねる。そのたびに、元恋人はきれいに塗られたその化粧がひび割れそうなほどの表情を作り出す。
この程度の戯言で気分を害するのならば、あんなことをしなければいい。
抱いていた未練は吹き飛び、執着していた心がどこかへしぼんでいく。
キレイだと思っていた顔も、仕草も、体系も、何もかもがうそ臭くて、一目で高級品だとわかる衣装すら彼女には不釣合いに見えてしまった。
やや荒れた席も、新郎新婦の幸せそう笑顔が照らし、そして緊張を孕んだ時間は終了する。
二次会に出席するつもりもない自分は、そうそうに引き出物だけを手に、帰り支度をする。
いつのまにか距離を縮めてきた彼女に、できるだけ感情の篭らない表情を作る。
「二人で抜け出さない?」
まるで断られることを想定していない口ぶりに、自分は彼女のどこを愛していたのかがわからなくなる。
かわいい、とも、愛らしいとも思ってきた彼女の何を自分は理解していたのかと。
「悪いけど、明日も仕事だから」
「でも」
甘えたような仕草で、右腕に隙なく塗られた爪をもつ右手を添える。
それをさりげなく振り払う。
「化粧なんざしなくてもかわいいかわいい女子高生が待ってるから」
思ってもいない嫌味を口にして、彼女を牽制する。
あの連中に邪な思いを抱いたことは一度とてない。あくまで自分は職業としての教師であり、彼ら彼女らはただの客でしかありえない。
だけど不意に浮かんだ、誰かの笑顔に、自分の中で戸惑いを大きくしていく。
二の句を継げない元彼女を尻目に、自分はようやく歩き出した。
一喜一憂することがなくなるであろう自分を想像して、ようやく気分が晴れた。
「鈴木、化粧してるのか?」
分厚い本を開き読む体制に入ろうとしていた鈴木に、思わず声をかける。
その声は思いのほか大きくて、図書室を根城にしている連中から一斉に視線が向けられる。
ほとんどのそれらは、瞬時にして興味をなくし、自分たちの世界へと帰っていく。
ただ、鈴木に関しては、胡乱げに自分を見上げている。
「まあ、それなりに」
常から落ち着いた声音を、さらにボリュームを下げて返事をよこす。
彼女が、声を荒げたところや、歳相応にはしゃいでいるところを見たことがない。もっとも、それほど彼女の事を知っているというわけではないのだけど。
最近の流行なのか、黒々と塗られた睫毛を伏せ、彼女もまた本の世界に集中していく。
随分と大人びた顔を見せる横顔を尻目に、読む予定のない本を借りる手続きをとる。
珍しく仕事をしている図書係とやりとりをする間、不自然にならないように鈴木の様子を探る。
どうして、ただの一生徒のことが気になるのかがわからない。
彼女とは、ここで初めて会って、挨拶を交わし、偶然大雨の日に送っていったことがある程度だ。
校内で、積極的に会話を交わす関係性ではない。
それならば、甘ったるい話し方をしてわからないことを聞いてくる他の子の方が、よほど親しいともいえる。
なのに、時折こうやってここの場にきたくなるのはどういうわけなのか。
手続きが終わり、たった一冊の本を抱え、職場へと戻っていく。
まだ残された仕事の量を思い出し、うんざりする現実へと。
会いたい。
ただそんな言葉が浮かび、それを頭の隅へと追い払いながら。