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adagio  作者: 神崎みこ
本編
2/17

五月・手を繋ぐ

 学生のころに読んだ本を読み返してみたくて、唐突に図書室というものに行ってみた。

将来のことなど何も考えず、ただなんとなく読まされていた本も、今なら別の感想をもつかもしれない。

そんな自分らしくもない思いつきにとらわれたのは、久しぶりにきたメールに影響されたせいだ。

他愛もない内容のそれに、どれだけ振り回されているのかも知らずに、それでも拒否もできないでいる。

かすかなそれでもつながっていたいのだと、思い知らされる。

こんなに未練がましい自分は、大嫌いだというのに。


 少しかび臭い部屋に入る。静寂と懐古、という雰囲気が押し寄せ、そんな経験はないのに懐かしさすら覚える

図書係がいるはずの場所には、誰も存在せず、そして図書室には一人の生徒がおとなしく座っていた。

運動部で適当にすごしていた自分は、学生時代にあんな風に熱心に本を読んだ記憶はない。ただ受験のためになる、だとか、忌まわしい読書感想文のための本探しでぶらぶらした程度だ。

覚えていたタイトルの本を、片端から集め机の上に積んでいく。それだけでなにがしかの高揚感が得られ、こういうのも悪くはないという気分にさせてくれた。

読みきれるはずもない本が積まれた机の反対側には、一人の女生徒が座っていた。見覚えのないその子、といっても僕は人の顔をおぼえるのが苦手なのだけど、は同じ格好でずっと本を読み続けていた。動いているのはページをめくる手だけ。

文学少女、というベタなイメージからは程遠い彼女に見入ってしまったのか、教師である自分が騒音の元を作ってしまった。

それに気がついたのか、彼女は本から目を離し、ゆっくりとこちらを向いた。

少し茶色がかった瞳がこちらをまっすぐに射抜いたような気がして、わけもなく目を逸らしたくなった。

手伝おうとした彼女が自分の手に触れ、瞬時にして大げさにその手を引き上げた。

彼女は驚くでもなく、悲しむでもなく、ただ淡々とこちらを見据え、そして笑った。手を繋ぐわけでもないのに、いやそれにしたところでこんな大げさな反応は成人男性がやっていいものじゃない。

彼女の白い手に、何かを思い出しそうになった。

言い訳するのもおかしくて、何も言えないでいる自分に、彼女はにこやかな顔を向けた。

そしてさようなら、といいながら何事もなかったかのように隣を歩き去っていった彼女の残したかすかな香りに、体のどこかが痛んだ。




 授業は、教師という仕事のうちの一つにすぎない。

教えやすく、だとか、興味を持ってもらおう、だとかそういう気持ちを抱いたことはない。

与えられたノルマを、与えられた量だけきちんとこなせばよい。自分自身が学生の頃をみても、必要以上に装飾過剰な授業は好きではなかったと言い訳をする。

たぶん、きっと、僕はこの仕事を心から好きでいるわけじゃない。


「先生?」


自分の授業がわかりやすいのかわかりにくいのかも、正直よくわからない。嫌われても好かれてもいないせいか、そういう声が自分に届きにくいのだ。

だから、それを言い訳に、自分のスタイルを崩さないでいる。

だけど、そんな僕にも必要以上に懐いてくる人はいて、それは主に年上に憧れる女子であり、そういう人間を僕はうまくあしらえていない。

よくてせいぜい、少し素っ気無くする程度だ。

上目遣いにこちらを見る子どもは、少女というよりももはや女の雰囲気を漂わせている。


「ああ、ごめん、どこがわからないの?」


せめて先生らしく、と仮面をかぶって、それなれりの対応をする。

職員室には自分以外の職員もいて、みなそれぞれ仕事をしたり、おしゃべりをしたりして過ごしている。放課後の雰囲気はこんなもので、この学校には強烈に学生に好かれている先生がいるわけじゃない。そこそこ好かれ、そこそこ嫌われ、そして大部分には興味の対象外。たぶんそれが一番問題が起こらなくて居心地のいい学校運営だろう。その典型例が自分というだけで。

でも、たぶん、本当の意味で、彼らに興味がないのは、僕だけだろう。

ちぐはぐな文字で書かれたノートに目を落とし、丁寧に彼女の質問に答えていく。

やがて満足そうな顔をした彼女は、舌足らずな礼を口にして帰宅していった。

周囲に気がつかれないように息を吐き、教科書をしまう。


「読みました?」


安堵したのもつかの間、声がかかる。

それは同僚からのものではありえなく、まだ幼さが残る少女特有の不安定な声音だった。

声の持ち主を探す。

記憶が、蘇る。

苦いメールの文章とともに。

一月ほど前に借りた本は、結局そのまま読まずに図書室へ返す羽目となった。

もともと読書などする習慣がない自分がどうかしていたとしか思えない。一冊目の序盤あたりで、もはやそれは睡眠薬と同義となっていた。


「ああ、まあ」


曖昧に答え、あの時挨拶を交わした少女をみやる。

彼女は笑顔を称えている。

その笑顔はどこか不自然で、だけどどうしてそう感じるかもわからない。

担任教師に何かを渡したあとなのか、おおよそ職員室に不似合いな中庸な少女は、軽く頭を下げて帰っていった。

再び、あの時と同じ残り香を置いて。


 家路につき、無意識にパソコンの電源を立ち上げる。

最近は携帯でやり取りすることもあるものの、どちらかといえば男同士ではパソコンでメールをやり取りすることが多い。そのせいか、どうしてもルーチンワークのようにメールソフトをひらく癖がある。

今日も、着信を知らせる音がなり、いくつかのメールを確認する。

その中に、あの日の自分を浮つかせた人、からのメールが紛れ込んでいた。

フルネームで登録されたそれも、すでに違う苗字なっている元彼女からのメールだ。

クリックして、中身を読む。

そして、他愛もない内容の中に僕と細くでも繋がっていたい、という意図が見え隠れしていた。

未練がましい気持ちからくる自意識過剰、と思い続けていた自分は、彼女のずるさに気持ちが軽くへこんだ。

だけど、それでも彼女の手をとりたいと思ってしまう自分がいて、やけくそになってメールを消去した。

繋いでいた手を離したのはむこうだ。

二度とつながれることのないそれを。


いつもより気分が上下しない自分がそこにいた。

いつのまにか落ちた眠りの中で、確かに誰かと手を繋いでいた。

それが誰かはわからないけれど。


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