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adagio  作者: 神崎みこ
本編
11/17

二月・マフラー

 最近のお昼休みは、ご飯をさっさと済ませた女の子たちがただひたすら作業に没頭する時間となっている。

どういうわけかバレンタインに手編みのものを添える、ということがブームとなってしまったうちのクラスでは、そういうものがおよそ似合わないグループですら編み針だのかぎ針だのを手にしている。

慣れない作業は当然口数も減って、現在教室では三分の一ほどの女子が、ただひたすら本と物体に格闘している。

わたしは当然三分の二に該当していて、友達がせっせと編んでいる横で、ちまちまとパンをちぎっては口に運んでいる。


「秋音はいいわけ?」


思ったより難しかったせいなのか、不機嫌で厳しい顔をした友達がわたしを巻き込もうとする。

刺激しないように首を振って、食べることに忙しいとアピールをする。


「でもチョコはあげるんでしょ?」


亮太の事を指しているのだろう。

最近会っていない彼のことを思い出しておなかが痛くなった。

先生の家に泊めてもらったのは一度だけだ。

適度に生活感があって、適度にキレイにしている家は、はじめてなのにものすごく馴染んだ。

そして先生の隣も。

亮太とは違う背中も匂いも、何もかも違うのに与えてくれる安心感だけは同じだった。

ただわたしの胸の中でちりちりと焦げるような思いがして、安心するのにやたらとどきどきもした。それはあまり知らない男の人の家にいるせいだと言い聞かせたのだけど。

思い浮かべる顔が亮太から先生になって、あわててお茶を飲む。


「一緒に買いに行こうねぇ」


そこは手作り、というわけではない友達たちがそう言いあいながら、わたしもその波に飲み込まれた。





 今年のバレンタインは平日で、女の子たちは堂々とかばんの中に入れて学校でターゲットに渡す気なようだ。

なんとなく浮ついた雰囲気の女の子たちに混じって、わたしも小さなチョコをかばんに入れて登校してしまった。

連行されるようにしていったチョコレート売り場で、あっさりと周囲に流され、わたしはいつのまにかチョコを買ってしまっていた。

たった一つのそれは、誰にわたすのかも考えようとはしないのに、それでもちゃんとこんなところまで持ってきてしまっている。

誰か、を想像して、誰かの顔になるのが怖くて、華やかな女の子たちの間で、ふるふると小さく頭を左右に振る。

そわそわしていたり、無視していたり、そんな男の子の中、友達たちは着実に目当ての人に渡している。あれほど堂々と手渡せる彼女たちの勇気がうらやましい。

ずっとかばんの中が気になって、それでも渡せるわけもなくて、あっという間に一日が終わる。

友達は、ここにはいない人にあげることを想定しているせいなのか、わたしがぼんやりと過ごしていても何も言わない。どちらかと言うと、さっさと学校から帰ることを望んでいる節がある。

今日はバイトだから、言われなくても即帰るのだけど。

何か言いたそうな友達と別れ、コンビニへと急ぐ。

シフトを増やした今、週に四日はバイトに顔を出すようになった。今日はお休みだったのだけど、バレンタインやクリスマスはどういうわけかバイトを代わることが多いのだ。

携帯の着信をチェックして、シフトに入る。

すでに半額になったバレンタインチョコを見ないふりをしながら、ただひたすら仕事をみつけて働いた。





「お疲れさまでーす」


できるだけ明るく挨拶をしてレジで買い物をして帰る。

自動ドアをくぐったらあまりにも寒くて思わず首をすくめた。

携帯を取りだしたら、チョコの姿が見えた。

気になって、もう自分で食べてしまおうと覚悟を決めた。

先生から入っていたメールを確認して、内容を確かめる。

割とマメにやりとりするそれは、今のわたしの支えみたいなものだ。

メール文は短くて、ただ一言、チョコは?と書かれていた。

わたしも短く「いるの?」とだけ書いて返信をする。

すぐさま先生から反応があって、今度はメールじゃなく電話の着信音が響いた。


「いるの?」


歩いている人たちから離れ、街路樹が植わっている花壇の端に腰を下す。

地面が冷たくて思わず変な声が出そうになるのを我慢する。


「そりゃあ。欲しいから」

「なんで?」


先生とは、こうやってメールをやりとりしたり会話をしたりする程度の中だ。

泊めてもらったときだって、何かがあったわけじゃない。

きっとかわいそうな子供を保護する気分になっただけだろう。

それは先生のキャラにはとてもじゃないけど合わないことだけど、たまにはそういう気分になることもあるのかもしれない。


「そういえばどこにいるんだ?」


あっさりとかわされ、正直に居場所を伝える。

先生は少し沈黙したあと、すぐそこにいくと言って携帯を切った。

本当にくるとは思えなくて、でもそんなことで嘘をつくタイプでもないだろうと思って、ぼんやりと座り続ける。

夜遅いというのに、それなりに人通りはあって、誰もがこの寒さに足早に家の方向へと歩いている。

やがて一台の車が道路わきに止まり、中から見覚えのある男の人が走ってきた。


「先生」


キャメル色の布をあっという間に首に巻かれ、それがやたらと手触りのいいマフラーであることがわかる。

やっぱり煽られて手編みなんか編まなくて良かったと、あげるつもりもないのに、そんなことを思う。

せかされて助手席へともぐりこむ。

暖かくて、寒さで肩がこっていたことに気がついた。


「バイトは禁止じゃないがなぁ、確かに」


うちの高校は色々とゆるい。

バイトも届けを出せばまともな場所なら許可が下りる。

コンビニなどという、普通過ぎるバイト先のわたしは、あっさりとおりた許可で堂々と一年のころから働いている。


「送ればいいのか?」


誰もいない家を思い出して否定したくなる。

わたしの周りは何にも変わっていない。

両親がいないことも、どちらの家もわたしの存在を疎ましく思っていることも。

だけどそれを口に出すのはひどい甘えに思えて、先生には言いたくない。


「近いから暖まったら歩いて帰ります」

「却下」


だけどわたしの返事はすぐに拒否されてしまった。

とりあえずごまかすように、お願いします、と口にする。


「帰りたくないのか?」

「そういうわけではないけど」


直球の質問に答えに困る。

そういえば先生はこの手の話は今までしないでくれていたのだと思い出す。


「あ、先生、チョコありますよ」


誤魔化すようなわたしの言い方に、それでも先生は最初はびっくりしたような顔をして、次に笑った。

なんとなくその顔が嬉しくて、わたしまで笑顔になる。


「つまらないものですが」


照れくさくて、そんな言い方をしながらバッグから取り出す。

小さくて、でもおいしいと評判のチョコの箱を手渡す。


「ありがとう」


誰からももらわないと評判の先生があっさりと受け取ってくれる。

そのわけを聞きたくて、でもやっぱり聞きたくないからへらへらと笑う。


「家、くるか?」


どう答えていいのかわからなくってずるいけど黙る。

帰りたいわけじゃない。

でも、先生の家に行ってはいけない。

心の中では答えなんかとっくに決まっていて、それでも答えないわたしはどこまでもずるい子供だ。

先生がかけてくれたマフラーは、この日からわたしのものになった。





 先生にもらったマフラーを巻いて家に帰る。

あたりまえの道が、あたりまえじゃないような気がして嬉しくなる。

コンビニのバイト帰り、真っ暗な道を歩く。

亮太が忙しいことをいいことに、わたしは彼と連絡をとらないようにしている。

亮太を見て、わたしは何を言えばいいのか。

確かなことなんか一つもなくて、でも後ろめたさだけは残る。

消極的な解決法に逃げ込んだわたしを、誰かは許さなかったのかもしれない。

お酒の匂いをさせた亮太が、家の前で待ち構えていた。

亮太をみて、申し訳なさ以外の気持ちがわいてこない。


「久しぶり」

「……うん」


言うことがなくて、わたしは視線をはずして黙る。

亮太がわたしの方へと歩いてくる。近づく距離に、足がすくみそうになる。

わたしは、男の人が苦手だ。

だけど、亮太を怖いと思ったことなど一度もない。

それなのに。

混乱して、言葉がでなくて、やっぱり黙ったまま地面を見つめる。

亮太の気配だけを敏感に感じ取りながら、働かない頭で色々な事を考える。


「それ」


彼の手が、わたしの首に触れる。

びくりと体を震わせ、わたしは一歩あとずさる。


「どうしたの?」


落ち着いた色のマフラーをつまみ、亮太が尋ねる。

わたしが元々もっていたのは、確かにこれじゃない。それを亮太が知らないはずはない。

答えられないわたしは、うつむいて口を閉じたままだ。


「もらったの?」


亮太の言葉にようやく小さく頷く。


「ふぅん、そう」


亮太の右手がわたしの首に添えられていく。わたしのものよりずっと大きな手のひらの感触が、マフラー越しに伝わってくる。


「誰?」


親指に力がかけられる。

それだけでわたしは物理的に声がでなくなる。


「男?」


徐々に加えられていく手の力に、わたしの足は立ちすくんだまま。

勇気を振り絞って、亮太の顔を見上げる。

焦点の合わない目は、わたしを見ていなくて、だけど憎しみだけは嫌と言うほど感じさせる。


「おまえも、おまえもいなくなるのか?」


亮太の言葉は、段々わたしじゃない誰かに向けられていく。

こんな人は知らない。


「俺を置いていくのか!母さんみたいに!」


彼の絶叫が聞こえる。

追い詰めたのはわたしだ。

縋って、依存して、いらなくなったら捨てたのだ。

一気に絞められた首は、もはや動くこともできなくて、わたしはいつのまにか気絶していた。

気がついたときには誰もいなくて、わたしは一人きり住宅街の道路の真ん中に倒れていた。

冷たくなった体を無理やり起こし、のろのろと家へと向う。

残された手の痕をみて、わたしは始めて泣いた。

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