一月・雪の夜
底冷えのする冬の日に外を歩くなど冗談じゃない。
そんな愚痴を思いながら友人との飲み会の場へと急ぐ。
ただでさえ年末年始は酒の席が多いが、今日は完全プライベートで友人との楽しみだ。沈み込みそうになる気持ちを、温かい鍋料理を想像しながら凌ぐ。
ようやくたどり着いた店で、名前を告げ部屋へと案内される。
自分を含めて四人だが、まとめ役は個室をとってくれていたようだ。
コートを脱ぎ、脇にかかえながら襖を開ける。
中にはすでに準備をされ温かな湯気さえでている土鍋と、それを見ながら我慢比べをしているような友人たちが待ち受けていた。
「遅い!」
非難の声に、片手をあげる。
空いていた席に座り、すぐに運ばれてきたビールで乾杯の音頭をとる。
ひとしきり食べ、飲み、話しながら、話題はあちこちへと広がっていく。
「そういえば、あれ離婚するらしいけど」
ちらり、と申し訳なさそうな視線を送られ、左斜め前の男を見る。
「まあ、当然だな」
すっかり吹っ切れた自分は、元恋人の話題に対して素っ気無い答を返す。
それ以上言うことも思うこともない。
あれほど執着していた心はどこかへキレイさっぱりと飛んでいき、代わりにあるのは嫌悪感だ。長所に思えていたことが、短い間で短所となり、さらにはそれに付き合って粘着していた自分の気持ちすらどこかへ放り投げ出したくなる始末だ。
「あの女なら次もそこそこの男捕まえられるだろう。まあ間抜けだが」
口の悪い友人が、あれにひっかかった自分を揶揄する。
その通りだからこれには全く反論ができないでいる。
「そういえば、おまえ彼女できたん?」
「なんで?」
全くそういう話題をかけらも出していない自分にかけられた疑惑に質問を返す。
何も変わらない自分にそんなことを思う理由がわからないと。
「だって、携帯気にしてるし」
言われてようやく、この部屋に来て幾度か着信を確認していたことに気がつく。
無意識にやっていたそれが、ここにいる連中に感づかれるほど頻度がたかかったことに愕然とする。
「そういうわけじゃない」
「否定もなしか」
わけありと踏まれたのか、彼らの視線が好奇心を帯びてくる。
そういうところは未だ学生気分であり、男同士でもこの手の話題は食いつきがいい。
「女子高生に手をだしちゃいけませんよー、先生」
一人のからかいの言葉に、油断をしていた自分は思わず反応をする。
ぎくりと振るわせた手に、彼らの視線が集中する。
「まじか?」
「犯罪だろ?」
「えっと、ロリ?」
三者三様の反応を見せる彼らは、どこまでも楽しんでいる。
「まだ違うって」
「まだってことはいずれはって思ってるってことだろ?」
挙句酔った自分の隙を酔っ払いたちは許してくれない。
「ただの生徒」
「ああ、やっぱり学生だったんだ」
自分たちの推測があたったのがおもしろいのか、わけもなく彼らは笑い続けている。
「だから、ただの一生徒だって」
「最近の高校の先生は生徒とプライベートアドを教えあうんか?」
「それは、人によるけど」
気軽に高校生たちとやりとりをしている教師がいるにはいる。尾形先生などはキャラクターと仕事柄、悩み相談のため頻繁にやりとりをしているそうだ。他の教科担任にしても、気軽な性格をしている若い連中は、携帯をツールとして扱っている人も多い。
だが、この職に情熱を注ぐつもりも、彼らの人生に首を突っ込むつもりもない自分は、そういうわずらわしいやりとりを一切排除していた。
自分の性格を把握している彼らが、今更情熱的な教師に変貌したとも思ってもいない彼らに、こんな言い訳が通用するはずもない。
「子供は作るなよ」
そんなからかいの言葉を叫んだやつの頭を軽くはたき、最近飲み始めた焼酎を飲み干す。
やがて興味が薄れたのか、頭髪の悩みやらメタボリックの話題やらにうつっていき、完全な馬鹿話を楽しむ場となっていった。
二次会三次会と続いた楽しい飲み会は、二日酔いを代償としておいていく結果となった。
夜空でもわかるほど分厚い雲が垂れ込め、底冷えのする寒さが道路を覆う中、家へと急いでいた。
仕事は減らず、だからといって人員が増えるわけではない毎日の中、あまりにも無沙汰をした実家からの呼び出しに応じた帰りだ。
両手には親の愛情だか干渉だかよくわからないものをぶらさげ、余計なものを持たされないために車でいかなかったことを後悔した。
そんなことを斟酌するような人たちなら、自分の足はもう少しあそこへ向いていただろう、と。
ただ少し先の地面だけをみながら、黙々と歩みを進める。
誰も知らない通行人は、それでも馴染んだ光景で、頭の中にただ風景のように通過していく。
そんな中、わずかなひっかかりを覚え、不意に顔を上げる。
知っている、はずの背中が視界に飛び込み、思わず理性も何もなく声を上げる。
「鈴木」
何度呼んだかわからない彼女の名前を、人ごみの中で呼ぶ。
フリースにジーンズというどこにでもいそうで、年頃の割には酷く地味な格好をした彼女が振り向く。
「先生」
小さく頭を下げて、彼女はその場に立ち止まる。
周囲は少しだけ不審な目を向け、すぐに進行方向を向いて歩き去っていった。
「買い物か?」
「そんなところです」
午後九時を回るのに買い物もないだろうとは思うものの、それ以上踏み込まれたくなさそうな鈴木の態度にそれを控える。
彼女は、ひどく曖昧で、だけど突き放したような答えを返すことが多い。
それは距離を保っていたいという心の現われのようで、そういうタイプであった自分を棚に上げるのもなんだが、寂しいと感じてしまう。
親の事を尋ねようとして、彼女の保護者が一時期話題になっていたことを思い出す。
まるで関心がないかのような受け答えは、クレーマーよりも問題になりにくく、鈴木の様子が落ち着いたことも相まって、最近ではほとんど口に出す職員もいなくなってしまったが。
こんな場所にこんな風に歩いていることからみて、確かに放任を通り越して放置しているのだろう、彼女の事を。
「家に帰るのなら送ってくが」
彼女はこちらを見上げ、そして首を振った。
さらに食い下がろうとした自分に、彼女はようやく口を開いた。
「雪……」
そう呟いて鈴木は空を見上げた。
夜空を重苦しい雲がいつのまにか被っていて、そこからちらちらと白い雪が落ちてきていた。
「もう帰れ」
「ん」
口数が少ない鈴木のあとを歩いていく。時折隣に立ち、覗き込んだ顔にはまるで表情がない。
それが物理的な寒さからくるものならばいい。
そんなことに考えをめぐらしていたら、思いもよらない言葉が飛び出していた。
「行くとこないなら、家にくるか?」
完全に足を止め、鈴木がこちらを見上げる。
彼女の保護者のことも、恋人のことも、今の自分には思いつくことができないでいた。
やがて彼女は静かに頷き、僕ははじめて彼女を家に泊めた。