表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

+2時間

窓の外はもう夕陽が落ちてしまい、すっかり暗くなってしまった。

病院の広場の外灯がぼんやりと辺りを照らしている。

結局、いつまでこうしているつもりなのか、自分でもわからない。

いくらか落ち着いてきたとは言え、マコマの側にいないと、不安で席を離れることができなかった。

そのうち、私は彫宮の質問を思い出していた。

犯人の目的……なぜ襲われたのか……?

ノートなのは間違いない。

鎌田事件との時機からも、繋がりはあるとみて間違いないだろう。

問題は、彫宮の質問の意図だ。私の仕事を知っているうえで、犯人の目的を聞いておきたかったのだろうか。それとも他の理由が……?

そして、仮面の男との会話も頭をちらつく。

……あの時、私は、どうして殺されなかったのか?

ノートを破棄したいのなら、私も一緒に殺してしまえばいいはずだ。

何故、マコマだけ……?


「九畝くん。」


ドアのノックの音が聞こえたかと思うと、部屋に磯辺さんが制服警官を一人連れて入ってきた。


「調子は、どうかな?」


「はい、なんとか、落ち着いたと思います。」


酷く疲れていたが、そう言う訳にもいかない。これ以上、磯辺さんに迷惑をかけたくはなかった。

近くにあった、椅子を近づけながら、磯辺さんは優しい顔でマコマに視線を落とした。


「やあ、舞園くん……久し振りだね。」


磯辺さんが、いつもと同じようにマコマに話しかけた。

それだけで、目頭が熱くなる。

マコマは以前から、親を早くに亡くした、ということで磯辺さんには懐いていたし、磯辺さんもマコマをたまに娘のような扱いをしていた。けれども、今は、返事がない。


「……さっき、彫宮さんと話しましたよ。」


泣きそうになるのをこらえて、冷静に話しかける。


「ああ、犯罪心理分析官殿か。」


「マルサイと言ったら怒られました。」


「なんだって?」


磯辺さんは心底驚いたように言った。


「いや、以前、磯辺さんと後輩の方がそう言っていたのを聞いたものですから、つい……。」


磯辺さんはすぐに後ろの若い警官に目を向けると、警官も困った顔をしていた。

そして、大口を開けて笑い飛ばした。


「そうか、そうか。それはすまないことをしたな。俺らの周りじゃ、あまり名前を気にする奴はいないと思っていたんだがな。まあ、俺もあの若造には参ったよ。ボディガードに散々睨まれてばかりで疲れちまう。」


どうやら、みんな一度はあれを経験をしているらしい。


「彼は、本庁から派遣されたのですか?」


「ああ、君の事件があった日にな。本当は例の惨殺事件を担当するはずだったが、急に君の事件にも首を突っ込んできてな。一応は関連性があるとはいえ、あいつが考えていることはわからん。」


私が襲われた日に……。


「それで、九畝くん。」


名前を呼ばれたので、一旦思考を取り止める。


「その、すまないんだが、明日には署に来れるか?」


磯辺さんは言い難そうに口を開いた。私のことを気遣ってのことだろう。今は、ちょっとしたその優しさが染み渡るように嬉しい。


「……そうですね。わかりました。」


「すまないな、こんな状態のときに……。」


「磯辺さんのせいじゃありませんよ。」


「そう言ってもらえると助かるよ。こんなときほど、自分の仕事が嫌になるもんだ……。」


磯辺さんは、そう言って肩を押さえて首を回した。


「自分の仕事……。」


そう、磯辺さんは、こんな状況でも自分の使命を果たしているのだ。警察として。私と、マコマのために。


「まあ、こんなときだからこそ、君の力になれるのかもしれないけどな。」


―――それなのに、私は……。


「磯辺さん、私は……。」


そう、口を開きかけた途端、磯辺さんの手が私の肩に置かれた。

磯辺さんと目が合う。


「いいかい?九畝くん。今、君がやるべきことは、君のために時間を使うことだ。」


単純なことなのに、思考が追い付かない。言葉が何度もループするばかりで、意味を理解することができない。


「ここからは、俺達が何とかする。」


「磯辺警部。」


そのとき、病室のドアが開いた。制服警官が入ってきて、背筋を伸ばし、敬礼をした。


「彫宮さんがお呼びです。」


「彫宮くんが……?わかった、今行くよ。」


ドアが閉められると、磯辺さんが席を立つ。


「マルサイ殿は人遣いが荒いね。」


適当な皮肉に思わず、つい口元が緩んでしまう。


「ああ、九畝くん?」


「はい。」


「こいつさ、覚えてる?」


磯辺さんは先ほど一緒に入ってきた、制服警官の頭を叩きながら紹介する。


「後輩さんですよね、磯辺さんの。」


私がマルサイを覚えるきっかけになった一人だ。

磯辺さんは身体を揺らして笑った。


「良かったな。顔は覚えてたみたいだぞ。」


磯辺さんが後輩の背中を強めに叩くと、ふらふらと前に進み出たかと思うと、ピンと背筋を伸ばした。


「はっ!佐伯と申します!」


廊下にまで聞こえたのではないかというくらいの大きな声だった。

磯辺さんは更に笑いだした。何が面白いのだろう。


「こいつ、実は君のファンなんだぜ。」


「ええ?」


ファン……?私の?

有名人でもないのに?


「驚くことはないだろう。あれだけ難事件を解決しているんだ。所轄にも結構いるんだぞ。」


「は、はあ……。」


「まあ、そういうことだから、握手でもしてやってくれよ。」


そう言い残して、磯辺さんは病室を出て行った。

沈黙の空気が流れる。

それもそうだ。こんな状況、どうしたらいいのか全くわからない。


「あの、えーと、佐伯さん?」


「は、はいっ。」


姿勢を正すことなく、目を合わすことなく、ぎこちない動作で答える。まるで、おもちゃの兵隊みたいだ。


「ファンって、本当ですか?」


「は、はい、恐れながら……。」


「そんな……でも、私、ただの探偵ですよ?」


「いえいえ!磯辺さんの話や難解な事件の裏には、必ずあなたの名前が挙がっていました。何というか、私は、幼いころより、探偵物のミステリが好きでして……。」


「そ、そうなんですか。」


話してみると、更に困ったことになった。どうやら冗談ではないらしい。


「すみませんが!あ、握手、よろしいですか!?」


「ああ、はい、こんな私でよろしければ……。」


佐伯さんが制服で何度も手を拭いた後、私は握手に応じた。かなり緊張しているようで、手はものすごく熱かった。


「きょ、恐縮です!」


「はい……どうも。」


そんなに恥ずかしがられると、こっちまで緊張してしまう。テレビで有名人が快く握手に応じる姿があるが、あれは相当な訓練をしたのに違いない。


「署に戻ったら、みんなに自慢できますよ!」


微妙な気持ちで苦笑する。警察に協力しているとは言え、ファンまでいるとは……。これからはもう少し身の振り方を考えるべきかもしれない。

特に、これからは。


「……でも、それも今日で終わりかもしれませんね。」


 そんな、私の弱気の発言に、未だ興奮が収まらない様子の佐伯さんが顔を上げてこちらを見た。


「え?」


「今回の事件で、私は、いかに自分が無防備かわかりました。事件に直接関わることは、もうないかもしれません。」


「……そう、ですか。」


 佐伯さんが肩を落として呟く。


「ごめんなさい。せっかくファンになってくれたのに……。」


「いえ……でも、それでも、私は陰ながら応援し続けます。」


佐伯さんは先ほどよりも、肩の力を落として敬礼をした。

期待を裏切る結果になってしまった。

そうだ。それでいいんだ。

それが今できる私の仕事なんだ。

後は、警察に任せることが―――。

自分の身を守ることが―――。


「九畝くん!」


そのとき、乱暴にドアを開けて磯辺さんが入ってきた。


「彫宮くんが、」


ゆっくりと首を動かすと、かなり焦っている磯辺さんが目に入った。


「君を、重要参考人として取り扱うと、本庁に連絡したそうだ。」


佐伯さんが戸惑いの声をあげる。


「そ、それは、被害者として事件に関わっているのなら、当然なのでは……?」


「いや、彫宮くんは、あいつは、君を容疑者にするつもりだ。たった今、俺にそう言ったんだ……!」


容疑者?何の?


「つまり、君がマコマくんを……。」


私が?マコマを?―――した?


「理由はわからないが……どうやら、彫宮くんは君に動いてほしくないみたいだ。」


「そ、そんなこと……磯辺警部、何とかならないのですか?」


「俺だって、こんな馬鹿げたこと許すつもりはない。けれど、上層部が関わってくるとなると……。」


「でも、安全が保障されるならば―――。」


視界が暗く、小さくなっていく。

耳は静寂さえも聞き取れなくなり、頭は消火液をかけられたようにドロドロになり思考ができず、手足は人形のように無機物になり、血液もすべて地面に流れ出てしまったように冷たい。

どうなっているんだ?

私はどうなってしまうんだ?

私がいけなかったのか?

マコマ―――。

教えてくれ―――。


(九畝さん。)


空っぽの体内でマコマの言葉が反響する。

何度も何度も跳ね返って、無機質な音を立てる。


(私たちの仕事は、見つけることだけですからね。)


そう。それが、君の言う、私の使命だった。

今も、そうだ。これからもきっと―――。


(今、君がやるべきことは、君のために時間を使うことだ。)


磯辺さんも言っていた。

私のために。

自分のために。

今やるべきこと。

私にしかできないこと。

それは―――。


「わかったよ、マコマ。」


いつの間にか閉じていた目を開くと、マコマが寝ていた。

伝わらないのかもしれないけど。


「やっとわかったんだ。私の仕事、使命は、見つけることなんかじゃない。」


聞こえないのかもしれないけど。

否定されるかもしれないけど。


「今、この状況で、自分の身を案じることでもない。」


それでも、これだけは言っておきたいことがある。


「私の使命は、解き明かすこと。それが、私の存在意義なんだ。」


それこそが、今できること。


「こんな馬鹿げた事件、すぐに終わらせてくるよ。だから、もう少しだけ、待っててね。」


顔を上げると、先ほどのような空虚感はあるものの、嫌悪感は微塵もなかった。

やるべきことは決まっている。


「磯辺さん、私は私で、これらの事件を解決します。」


「く、九畝くん?」


「だから、協力もできなくなってしまいます。許してください。けれど、目的は同じです。」


「……本当にいいのか?もしかすると、容疑者として、指名手配されるのかもしれないんだぞ……!」


「それはここにいても同じです。ならば、動いておけるときに動いておきたい。」


「し、しかし……。」


「それまでの時間稼ぎ、お願いできますか、磯辺さん?」


磯辺さんが腕を組んで唸る。

無理なことは百も承知だ。けれど、二百の気持ちは抑えきれない。


「……本当に、君は。」


磯辺さんはこれまでにないほどの大きなため息をついた。


「君は人当たりもいいし、生活態度も素晴らしく、礼儀も正しい。けどね、喫煙とその頑固さだけは、どうやっても直してくれないな。」


磯辺さんは観念したように鼻で笑った。


「わかった。彫宮くんはなんとかしよう。舞園くんも俺が責任を持って預かるよ。」


「……磯辺さん、本当に、本当にありがとうございます。」


精一杯に頭を下げる。

この人には、今までも頭を下げても下げても足りないくらいにお世話になっている。


「それで、まずはどうするつもりだ?」


「一度、私のノートを調べてみます。まあ、犯人は追ってくるかはわかりませんが、それでももし、何らかの行動があった場合は私の持っているノートが本命ということでしょう。」


「わかった。くれぐれも、気をつけてな。何かあったら、必ず連絡をしなさい。」


頷きを返して、最後に一目だけマコマの顔を見る。

そして、ドアを開けると、いつの間にか佐伯さんが外で待っていた。


「あ、九畝さん、これ……。」


佐伯さんが差し出したのは、私のスーツの上着だった。


「あぁ、ありがとうございます。すっかり忘れていた。」


上着を受け取ると、佐伯さんが口を開いた。


「……九畝さん。やっぱり、あなたのファンはやめられませんよ。磯辺警部ほど力にはなれませんが、私はあなたを信じています。」


「おいおい……お前顔真っ赤だぞ。」


磯辺さんがまた笑いだした。


「はい。ありがとうございます。私も、大事なファンの期待を裏切るつもりはありませんから。」


と、笑顔を見せたのだけど、上手くいっただろうか。やっぱりこれらを平気でこなす有名人はすごいと改めて思った。


「救急車専用の出入り口から出るといい。それじゃあ九畝くん、しっかりな。」


スーツを脇に抱えて、歩き出す。

面会時間は終わったのか、病院内ではひっそりとしていた。

隠れるようにして、一階に下りると、急患を運ぶであろう通路を見つけた。

幸い、看護師や医者もいなかったので、すんなりと外に出ることができた。

何か月ぶりに外へ出た気がする。燻った肺のなかに新鮮な空気が入り込んでくる。夏だというのに、風が出ていて気持ちがいい。病室から見えていた外灯が夜の闇に浮かんでいる。

上着を着ると、ポケットに懐かしい四角い感触がした。

取り出すと、皺だらけになった煙草の箱だった。中身を確認する。残りは三本だけ。

慣れた手つきで火をつける。新鮮になったばかりの肺はすぐに煙に侵食されてしまった。


(あっちに着くまで、残っているだろうか。)


歩き出しながら、とりあえずの不安は、それだけだった。


◆◇◆◇◆


病院の一般の入り口には、ここには似つかわしくない、黒いセダンの車が停まっていた。

中には、スーツがきつそうな体格のいい運転手と、まだ若さが残る男が乗っていた。一見、警察の仕事をしていなければ、人気のある塾講師でもやっていそうな風貌だ。

運転手の男が携帯電話を取り出すと、通話は数十秒で終わった。


「九畝が裏口から出たようです。どうしますか?」


抑揚のない声で後ろの彫宮へ告げる。


「……あぁ、やっぱりな。磯辺さんも無茶をする人だ。」


彫宮は病院から漏れる光を頼りにノートを捲る。


「しばらくは放っておくことにしよう。指名手配なんて野暮なことはするなよ。」


さらにノートを捲り、静かに笑う。


「このノート、読んだ?」


「いいえ。」


「去年の今日のことを覚えてるか?」


「……いいえ。」


「普通はそうだ。人間の記憶なんて曖昧で脆い。忘れることが当たり前なんだ。」


運転手はそこで黙った。必要以外の言語を喋ることは彼にとっても彫宮にとっても邪魔なことだった。


「いやあ、九畝くんは実に素晴らしい。これからどうするのか、僕としても観察しがいがある。まずは好きに動いてもらおうじゃないか。」


彫宮はノートを閉じて、両手を組んで、目を閉じる。

話はこれで終わり、という意味だろう。

運転手はそれに気付くと、アクセルを踏み込んだ。

彫宮の笑顔を、夜だけが知っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ