-23時間
「異議あり!弁護人の殺害方法は理にかなっていない!」
殺人鬼の検事が、殺人鬼の弁護人に向けて人差し指を突き出す。
「この場合は、殺害方法33カ条にひっかかるものであり―――」
検事が埃だらけの分厚い本を取り出し語り始める。
「ふむ。ならば検事さん、こういう女性には杭が一番だと……?」
椅子に座らされ、猿ぐつわをされていたブロンドの女性の胸に杭が打ち込まれる。法廷内の天井が突き抜けてしまいそうなほど女性の奇声が響く。そのあと、有り得ない量の血が溢れだす。
スクリーンの向こう側では、その後も殺人鬼たちによる熱い熱い論議と検証が死ぬまで行われた……。
"殺人六法"、もとい、"Redrum's Law"。素晴らしすぎる。
低予算により、裁判所での撮影のみが126分にも渡る問題作。
一般的なレビューによれば、「有り得ない光景」「裁判を冒涜している」「邦題がダサイ」などと辛口のコメントばかりが並ぶ。
しかし恐らくは監督自身の、登場人物を使ってホラー映画に対する意見を徹底的に述べるその熱意。正直、私は、感服していた。
「マイナスの評価がつけばつくほど最高になる」。誰かがそっと語ったそのレビューが、今、心でわかった。
裁判官がハンマーを鳴らす。
それに伴い、画面が暗転し、スタッフロールが流れていく。
決して怖さはないが、それ以上の価値があったのも確か。
★1のコレクションBOXに入れておこう。
蛇足だが私のコレクションBOXは、星の数が少ないほど評価が高い。
そして、それは全て私の独断と偏見で整理されている。
「さて……。」
一息つく。
帰ってから、家には誰もいなかった。
姉はどうやら朝言っていたとおり、仕事に向かったみたいだ。はやる気持ちを抑えつつ、シャワーを浴びてから夕飯も食べずに、部屋に籠って黙々と鑑賞を続けていた。
先ほどもらった作品は今ので、ほぼ終わってしまった。
B級の迷作、問題作、と言われる作品群だけあって、★1や★2ばかりに納められた。面白いかどうかはさておき、コレクション目的の名作中の名作ばかりである。
今更見なくても(見たいが)、私は十分に満足していた。
そして、目に入ったのは、ベッドの上にばら撒かれたビデオテープ。その中で、私から一番遠くに置かれたもの。
残るは……[9]と書かれただけの無機質なビデオ。別に、後回しにしたつもりはないのだが、何故か先に見ては勿体ない気がしてしまったのだ。それじゃあ早速……いや、今夜はもう十分だ。いっそ、このまま寝てしまおうか……。
「いやいやいやいやっ!!」
一人で否定する。何を憶することがある?
あの男も、少なくとも呪いのビデオではない、と言っていたじゃないか。
こんなのただのビデオだ……きっと、恐らく、多分。
けれど、なかなか身体は動いてくれない。
たまらず枕に顔を埋める。
視界が真っ暗になる。
あぁ……この嫌な不安感がどうしても拭えない。強いて言うならそれだけが「不安」だった。
枕から頭を持ち上げる。後ろ目で"9番"を確認する。
もう一度枕へ……と、見せかけて立ち上がる。
ビデオを掴むと一直線にビデオデッキに向かい、
「……ええいっ!」
古ぼけたビデオデッキにテープを突っ込むと、すぐさま再生ボタンを押した。もちろん、私自信を後戻りなんてさせないためだ。
……怖くなんてない。この胸の高鳴りは、期待だ。そういうことだ。
電気を消して、毛布に包まる。環境、心の準備、共に万端で私は臨んだ。
◆◇◆◇◆
――青の画面。
ビリビリといった亀裂が何度も入る。その度に恐怖にも似た、妙な躍動感が広がる。
このチープさは故意なのだろうか。まるでホームビデオのような編集の仕方だ。
数十秒ほどその光景を見つめ続けたあと、急に画面が黒くなった。と、その矢先、白く巨大なテロップが浮かび上がった。
今年の夏も、
奴がやってきた……!!
キャアァァアア~~~!!
「え……?」
B級にはもはや付きものである女性の叫び声。
え……?だった。そうとしか言いようがなかった。
「これじゃあまるで……」
そして、ブロンドの女性の顔がアップになる。カメラが大いにぶれているのは、彼女の心境を表しているからかもしれない。
その後ろ姿を追う荒い息をした"何か"。映像では、両手を突き出しながら追いかけている。決して早くはないが、遅くもない。まるで獲物をじわじわと追い詰めるように。
そして、その何かが段々と近づいていき……手を伸ばす!
……ブロンドはとうとう追いつかれてしまった。
「B級映画じゃない!!」
……声に出すと、ひどく情けなくなった。
安い効果音と共に醜い顔がアップに映し出される。
申し訳程度に巻かれた包帯から覗く顔。"何か"は、想像通り、ゾンビであった。皮膚という皮膚はボロボロで、まるで蒸しパンのようだ。左の眼球があった部分には蛆が湧き、その気持ち悪さを引き立たせている。
はっきり言えば、拍子抜けだった。
確かに見たことない映画には違いない。しかし、今までの作品からしたらお粗末だ。
いや、そもそも最後に見たのが間違いだったのだろうか。仮面の人物の異様さに気圧されすぎてしまったのではないか。
そもそも私はゾンビ物をあまり見ないのだ。
それにはちゃんとした理由もある。食欲だけで動いているという本能は評価しよう。しかし、なんと言っても彼らの集団行動が気に入らない。団体で人一人を殺すことが許せない。
殺人っていうのは、もっとこう、個人で団体を追い詰める恐怖が……
「……あれ?」
ディスプレイの中のゾンビは、こちらに背を向けた形で”食事”を始めている。骨を砕く音。動物的な肉を食む音。
人間を貪る音が映像として垂れ流されている。女性はもう声を出すこともせず、小刻みに痙攣しているだけだ。
ありふれた光景ではあるが……どうやらこのゾンビは単独行動をしているらしい。周りに仲間が集まってくる気配もないし、このゾンビが感染源という設定だろうか。
「そりゃ、そうか。まだ序盤だもんね。」
この作品にストーリーがあるのかもわからないが、そういうことにしておこう。
見る気も失せたし、このまま寝てしまおうか……。リモコンの停止ボタンを押そうとしたとき、
「はーい、お疲れさまでした。」
一瞬、どこから聞こえたのかわからなかった。
あまりにも不自然すぎて、耳を疑ったが、確かに聞こえた。
間の抜けた音声が……ディスプレイから流れていた。
「ははぁ、すごい食欲ですね、ゾンビというものは。」
どうやら声の主が遠くで撮影をしているらしい。
そもそも、ゾンビ(役者?)に話しかける?そんな馬鹿げた映画があっていいのか?作中作というものだろうか。
いや、そんなことより、この女性、演技にしてはすごすぎないか。音も、やけにリアルだ。
ゾンビが立ち上がる。よく見ると、泥と蛆に塗れたスーツを着て、ネクタイまでしている。その姿は新鮮なようで、やはりどこか不自然だ。
私の疑問に答えることなく、ゾンビは何か白いものを吐き捨てた。
それを追うようにカメラが動く。コロコロと土を転がるものは、どうやら骨のようだ。
「はいはい、お疲れ様。」
(―――え?え?ゾンビが喋った?)
訳がわからないまま、画面を見つめることしかできない。ゾンビは今も横向きのまま、語り続ける。
「なぁ、こいつ本当に17歳の女の子なのかい?」
ゾンビは口元に指を当てながら愚痴っている。
「ええ、間違いなく17歳です。」
「ふーん……それにしては酷いアルコール臭だぞ、これ。」
「ありゃ、本当ですか。不良少女だったんですかね。」
「あと煙草も吸ってるな。ここまでして、わざわざ金髪の女を選ばなくても良かったんだよ。他にいなかったのか?」
ぷい、とカメラに背を向けてしまった。
「いや~、やっぱりホラーにはブロンドの女性が得物になるのが常識ですから。」
「……お前の常識には呆れるよ。」
「お決まりってやつですよ。欲を言えば、性行為中にでも襲ってほしかったくらいです。」
「俺に恋人同士の愛の営みを中断させろってのか?風紀委員じゃあるまいし。」
「はい。それがお決まり、ですから。」
満足そうに、声を押し殺して笑うカメラマン。それとは対照的に、ゾンビは不服そうだ。
「大体、俺の食事なんて見てて面白いのか?」
「ええ、さいっこうでした!彼女の恐怖の顔もばっちり撮らせていただきました。」
「……。」
「あ、やっぱり怒ってます?」
「別に……。ただ、お前がパンを食べてるところをカメラに収められたらどう思う?」
「……あぁ~、恥ずかしいような、喉が詰まるような……なるほど。」
「何とも言えないだろ?俺も今そんな気持ち。」
「ふむ、これは僕のミスですね……。けれど、ライオンが小動物を追いかける様は十分なほど画になるでしょう?僕からしたらそういうことなんですが。」
「ライオンだって?この俺が?」
そう言って、肩を揺すった。笑っている……みたいだが、皮膚がボロボロの為、無数の穴から空気が漏れる音しか聞こえなかった。それにしても、よく喋るゾンビだ。こんなのが……モンスターとして存在して良いのか?
「そうですよ。それに、意外と食べてるじゃないですか。結構楽しめたんじゃないですか?」
カメラがゾンビの足元へとズームしていく。
私は、目を離すことができなかった。
女性の顔は、半壊していた。頭の右半分の頭蓋骨は砕かれ、血と、脳の、液体がこぼれ出ている。残った2つの眼球は、その意味を失くしたまま存在している。頭から覗く、理科室で見た人体模型のように露わになった数々の組織。
それが、目の前にあった。
ゾンビが食したのだ。本当の人間を。
痛々しいなんてものではない。特殊メイクなんて一切ない。本当のグロテスクがそこにあった。
「”ハンニバル”もびっくりですね。それにしても脳みそなんて美味しいんですか?」
それに臆することもなく、淡々と撮影を続けるカメラ。
そのとき、画面の上方向からボロボロの手が伸びてくる。
カメラマンが「あっ」と小さな声を上げると同時に、その手は指先を使って器用に右目をえぐり出していた。
ゾンビは大口を開けて、そこに目玉を招き入れる。そしてまるで飴玉を転がすように口に含んだまま、喋る。
「いや、別に美味しくはないんだなぁ、それが。」
「え?そうなんですか?それじゃあ一体―――」
カメラマンが言い終わる前に、ゾンビは語り出す。
「君らにも同位同食って言葉があるだろう?調子が悪い部分と同じ部分を食べると……治るのさ。」
「ほほう。ゾンビは脳の調子が悪いのですか?」
「人を頭悪いみたく言うなよ。俺の場合は、頭痛みたいなもんだ。人の脳を啜るとちょっとだけ痛みがなくなるんだよ。」
自らの頭を人差し指で小突きながら答える。それを聞いて、カメラが微妙に上下した。
「あははっ!それは"バタリアン"そのものですよ!みなさん!聞きましたか!?あれは事実みたいです!」
確かに、どこかで聞いた台詞だ。彼らの理由付けにしては、至極まともな。
「バタリアン……?なんだそれ?」
「知らないんですか?あなたの友達みたいなものですよ。」
「……あのな、以前から何か勘違いしてるみたいだが、俺はゾンビじゃあなくて―――」
「ありゃ?まずい、そろそろテープが切れるころだ。」
「……話を聞けよ。」
「すいません、例の宣伝、お願いします。」
「なんだそりゃ。知らないぞ。」
「ええ!?一生懸命教えたじゃないですか!」
「知らん。」
「ああっ!クライマックスだっていうのに!こ、これを読むだけでいいですから!お願いしますよ!」
カメラマンが慌てて白い紙を渡すと、ゾンビの全体が見えるところまで距離をとる。
「あんなもん喰ったあとだから気分悪いんだけどな……。」
ゾンビは渋々とそれを受け取ると、紙面に書かれた文字を読み始めた。
「えー、………ご視聴ありがとうございました。No.9はいかがでしたか?たった今、あなたがご覧になったものは全て現実に行われたものです。映画などではありません。私が、やったのです。」
棒読みの台詞が重く、深く、胸に響く。
先ほどまでの惨状を思い出す。ゾクリと、全身に鳥肌が立ち、背中を汗がつたう。
「……しかし、これは合法な殺人です。何故なら私は選ばれたのです。コンテストを勝ち抜きました。数多のライバルを打ち破り、見事に勝利しました。これは、その証です。」
合法な……殺人。
「今から、私は連続殺人犯になりました。その権利が与えられました。そして―――」
鼓動が早さを増す。私は、この男が次に何を言うのかを、わからないが、恐らく期待していた。
「このビデオを見ている紳士、淑女の皆様、次はあなたの番です。連続殺人犯になれるチャンスです。私たちは、新しいスターを望んでいます。私たちは、私たちが身も凍りつく恐怖を望んでいます。」
ドクドクと血が巡る。呼吸もままならない。
頭がどうにかなりそうだ。けれど、このビデオ同様、停止することは許されない。
「来る7月24日より、××県○○町のマガタ・ホテル跡にて受付をしております。受付の際にはこのビデオをご持参ください。指定時刻は特に決めておりません。お仕事が終わってから、どうぞのんびりといらしてください。」
24日…?
すぐさま携帯電話を確認する。今は23日の2時過ぎ……ということは明日だ。
私の驚きを待っていたかのように、ゾンビが咳払いを一つ入れた。
「あぁ~長いぞこれ……。喉が焼けそうだ。……日々の暮らしに飽きに飽きた紳士、淑女の皆様方、どうぞ奮ってご参加くださいませ。お待ちしております。………。」
やっと終わりみたいだが、ゾンビは何か歯切れが悪そうにしている。
カメラマンも不思議がった様子で声をかける。どうやら、まだ続きがあるようだ。
「あれ?あとちょっとですよ?」
「……おい、本当にこれ読むのか?」
「……クライマックスですから。」
「………うぇあはは、参加した暁には貴様の脳みそ、この俺がグチャグチャと喰らってやるわぁ。後ろには気をつけるんだなぁはあははは。」
「……。」
「………。」
「……はい!OKです!」
「なぁ、こんなのが宣伝になるのか……?」
「なりますとも。ゾンビさんのファン結構いるんですから。」
「……あのな、だから俺はゾンビじゃないって。グールだよグール。」
「え?」
「ゾンビなんて本当にいるわけねぇだろ。映画の見すぎだ。」
「……以上、No.9 "グール" でした。では、ごきげ――――。」
ブツン―――とそこで映像は途切れた。
◆◇◆◇◆
大きく息を吸う。……吐き出す。
久しぶりにこんな動作をした気がする。まるで呼吸を忘れていたみたいだ。
……不思議な気分。
嫌悪、醜悪、残酷、悲惨。言葉は色々浮かぶけれど。
これは……私は今どんな気持ちに当てはまるのだろうか?
いや、それを考えてるっていうことは、全部不正解なのだ。今の私には何一つしっくりくる答えが見つからない。
自然と、ベッドに寝転がる。
……それにしても、ひどく落ち着いている。
これはさすがにまずいんじゃあないか、女の子として。いや、女の子以前の問題かな。ようやく、姉の気持ちが少しだけわかった気がする。
普通だったらビデオを叩き割ったり……もしくはビデオデッキごと窓から投げ捨てているかもしれない。
―――私はどうしたらいい?
そういえば、これを撮影したのは、やはりあの仮面の男なのだろうか。
”1番”は初仕事とか言ってたし……。
一体、何者なのだろう……?
私は―――。
知らない間に、仮面の男の言葉を……思い出していた。
『これはね、スターを集めた作品たちなんだ』
スター……。
No.9はゾンビ……じゃなくてグールの物語だった。
『―――僕は、君がその真理を知るに近い存在だと感じているよ』
左側へ寝がえりをうつ。目に映るのは真っ白な壁だ。
おかしい。どうかしてるとしか思えない。口に出してしまうと、もう後戻りができなそうで怖い。
どんなに頭がおかしいと言われたって。これが私の正直な気持ちなんだ。
―――ここなら、正直に言える。
「すごかった―――。」
無機質な壁に向かって呟いた。
たったそれだけなのに、もう自分を抑えられなかった。たった、数十分の映像だったのに、ひどく身体が疲れている。それ以上に、気分が高まっていた。
身体が熱を帯びていくのがわかった。
すごい、すごい。本物だ。本物なんだ。
グールの、殺人を見てしまったんだ、私は……!
カメラアングルといい、演出といい、素晴らしすぎる!
あの女性が逃げる様。映画では決して見ることのできない、台本なんていうまがい物で作られたのとは違う表情。
その、リアルさ、何て、何て怖いんだろう!
あぁ、あぁ、それにしてもあのグールの恐怖と言ったら……!
思い出しただけで身震いする。
柔らかな女性の肉体に噛みつく、あの歯!あれこそ殺人鬼だ!
あんなのに追われたら、それだけで気が狂ってしまう!
ぞくぞくと鳥肌が襲ってくる。他人にどう思われたっていい。
私は明らかに楽しんでいた、あの作品を。今までの映画では味わうことのできないスリルに、完全に酔いしれていた。
私も、あんな風に。何かを与える存在でいるのなら。私は何になるのだろう。
……急に、頭が痛い。
それに、何だか眠くなってきた。やっぱり疲れてしまったみたいだ。あれだけ立て続けにビデオを見るなんて本当に久しぶりなのだから、仕方ないかもしれない。
まあいい。どうせ今はベッドの上。
このまま安らかに寝てしまおう。
意識が遠のいていく。
今日は素晴らしい夢が見れそうだ。
「……あぁ、それにしても。あんなビデオ見せやがって……。一体どうしてくれるんだ―――。」
薄くなる意識の中で、誰かの声が聞こえた。
どこで聞いたか思い出そうとしたのだが、それも段々と面倒になっていく。
やがて、私はいなくなった。