-48時間
この物語はフィクションです。
この物語の、実在もしくは歴史上の人物、団体、地域など、その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
映画が大好きだ。
恐らく、私の人生は人と話すより、映画鑑賞の時間のほうが長いのかもしれない。それだけ心酔していた。
だからと言って人付き合いが苦手ではない。必要性とか価値の天秤で量った場合、映画のが勝るだけだ。
ヘッドホンから女性の甲高い悲鳴が聞こえた。
「あ、きた!」
(ふふふ、どんな手段で逃げようとも無意味なのに。)
ホッケーマスクを被った男が女性の足首を掴んでいる。
液晶画面の向こうには予想通りの展開が待ち受けていたが、それでも私の興奮は増していくばかりだ。
「む~、やはり首から上を切り落とすくらいしないと安心できないね。」
腕の力だけでここまで這ってくるとは。瞬間移動もいいとこだ。
恐怖と苦痛にひきつった女性の顔がアップになる。
さぁ、さぁ、さぁ!いよいよクライマックス……!というところで、突然ヘッドホンが私の頭から離れた。
「こらあっ!」
「ぎゃあっ!」
突然の怒号に私は座ったまま後ろに倒れこんだ。
何が起きたのか、自分が今どんな状態にあるのかわからなくなる。
「朝ごはん!」
倒れた先には姉の顔があった。
「おね、お姉ちゃん?」
そんな私を見て、心底疲れたようにため息をつく。
「全くあんたは朝からこんなの見て……。」
あまりの出来事に気が動転していて、何も話せない。心が宙を舞っている状態だ。
「B級作品の一体どこが面白いのかしら……。」
その発言だけで私は蘇った。
「い、いいじゃない別に!そんなことより、いちいち驚かせないでよ!」
「ホラー映画見てる奴が言うなっ!」
……仰る通りだ。恥ずかしいから顔を背けてしまう。
「で、用件はなに?そっちこそ朝からでかい声で何なのよ……。」
今度は頭を掴まれ、真正面に向けられる。にこっとした笑顔が最高にホラーだ。
「あ、ああ、朝ごはんですね!すぐに参ります!」
これ以上身内の怒りを買っても得はない。
立ち上がると、すぐに着替えを始める。私にとっては毎朝の通過儀礼のようなものだった。
◆◇◆◇◆
私は姉と気ままな二人暮らしを続けていた。
今まで住んでいた孤児院を抜け出して、二人で生活していく、と姉が言ったときはどうなるかと思ったが、意外とうまくいくものだ。
大変なことと言えば、私がビデオやDVDを見てばかりなので、その度に姉が怒ることだ。
私としては、映画鑑賞をしているだけなのだが、姉にはどうも受け入れてもらえない。「女の子がそんなもん見るなんておかしい」と、何度も言われている。そう言われても当然やめるつもりはないので、姉が諦めてくれるより解決策はないのだが。
食卓では、フォークでハムエッグを突く音と、トーストに噛り付く音がしていた。トーストはやはり8枚切りに限る。トーストとは薄いのだからこそ美味しいのだ。
「あんた明日から夏休みだっけ?」
「そうだよ。」
何ともなしに返事をしたが、私自身忘れていた。明日からは昼夜問わずに見放題だ。何人たりとも邪魔なんてさせるもんか。あのシリーズを見続けて見続けて…
「"ハロウィン"なら私の部屋にあるよ。」
「え?」
心底驚いた。
「お姉ちゃん、ホラー映画なんて……」
「……私だって映画くらい見るわよ。」
顔が真っ赤だった。姉のそんな姿を見てしまい、つい、顔がほころんでしまう。
姉はそんな私に気付いたのか、咳払いをひとつして口を開いた。
「私、仕事の都合で今夜から当分帰れないから。」
「それはそれは……って、本当!?」
姉は仕事で忙しくなると、外泊する習性がある。家にいると集中できないらしい。そのために何週間も家を空けることは珍しくなかった。そうなると、必然的に私の映画鑑賞の時間が増え、至高の夏休みを過ごすことができるのだ。
「……うれしそうだね。」
「そりゃあもう!邪魔が入らないわ雑音が聞こえないわでもう―――。」
突如、目の前が真っ暗になった。ほのかに漂う香りは……
「パンはまだ余ってるけど?」
どうやら食パンを顔に投擲されたらしい。
「……焼いてくれたほうが好きかな。」
◆◇◆◇◆
「それじゃあ先に行くよー。」
未だに馴染まない革靴を履きながらリビングへ声をかける。いつもと違って彼女はお昼に出発するらしい。
「はいよー。あんまりB級ばかり見ないようにねー。」
む……何たる言い草。私にとってはSS級なのだから、死ぬほど鑑賞してやろう。
「はいはい。」
ドアを開く。玄関に光が差しこんだ。
「行ってきますお姉さま~。」
普段絶対に口にしない言葉を告げる。私が帰るころにはもう邪魔はない。それほど気分が高揚していた。
ふと振り返ると姉が腕を組んで紫煙を燻らせて立っていた。相変わらず凛々しい美しさを持った女性だ。家ではどこか抜けているところがあるくせに、その目は力強さを秘めていて、男性とは違う女性特有の頼りがいがある。
「またね、シラリア。」
私は姉が大好きだった。
当然、シラリアは本名ではなく、私が周囲にそう呼ばせているだけだ。自分なりにおかしいとは思うが、本名を呼ばれることがどうしても慣れない。好きではない。
ごく自然な挨拶を交わした、朝だった。