-5時間
「それにしても、どうしてホテルにこんな地下が?」
螺旋状になっている階段を、二つの靴音が通り過ぎていく。狭く、暗い通路を頼りない明かりのみで下る。終わりの見えない階段は永遠と地下に伸びているような気がする。靴音だけでは味気ないので、ダリオに色々と話しかけることにした。
「ここは元々、地下シェルターとして造られていたんだ。何せ埋立地だからね。高級ホテルだし、災害対策には特に力を入れていたんだってさ。まあ、ホテルが潰れたあとは僕たちが改造しちゃったんだけどね。」
壁を叩いてみる。ずっしりとした重みと固さを感じる。確かに、素人考えだが、この無機質加減は頑丈そうな造りのように思える。ホテルもまさかこんなコンテストが開催されるとは思ってもみなかったに違いない。
「人を守るためのシェルターが、逆の存在を生み出そうとしているのだから、なんとも皮肉な話ね。」
「本当だね。君もその一人だ。」
ダリオのくもった笑い声が耳に入る。確かにその通りだ。
「そういえば、参加者はどれくらいいるの?」
「えーっと、大体毎年二百から三百人くらいかな?」
「そ、そんなに!?」
つい、立ち止まって声をあげてしまう。
まさかとは思っていたが、やはり狭き門なのだ。
「それじゃあ……その大勢の中から一人を?どうやって?」
「う~ん、種目については毎年変わるし、僕たちにも知らされていないんだよ。でも大抵は恐怖とか人数とかシチュエーションに重きを置いているからね。それに至るまでの過程がちょっと違うくらいかな。」
恐怖、人数、シチュエーション……ダリオは多くは語らなかったが、共通のキーワードは殺人だろう。考えてみれば、とんでもない、有り得ない発言だ。
しかし、この世界ではこれが常識であり、これがコンテストなんだ。驚いている場合ではない。私もその一人だ。
半ば強引に自分に言い聞かせる。未だにこの状況に慣れていない自分にいい加減に嫌気がしてくる。
ふと、先ほどの会話を思い出した。
「ロメロが連れてくる人も……だよね?」
「もちろんさ!毎年、ロメロの推薦はすごいんだよ!」
「そう言えば、その推薦っていうのは?」
私の質問にダリオは「うん」と短く返事をした。
そして胸ポケットから金色の懐中時計を取り出す。その風貌のためか、蓋を開く姿がやけに似合う。
「僕やロメロみたいな案内人は、言ってみれば、お気に入りを一人だけ参加者にすることができるんだ。推薦の制度は案内人の趣味がかなり入ることになるのさ。」
そう聞くと、ロメロが言っていた”趣味”という言葉の真意がわかったような気がする。
「僕たちにとって推薦枠はかなりの大本命だよ。稀に一般参加者にも良いのはいるけれど、案内人の推薦はお互いに楽しみにしているんだ。」
「ふーん。それじゃあロメロの趣味って言うのは?」
「アンデッド。不死者だよ。」
心臓が一度だけ跳ね上がる。
―――まさか、というか、やっぱりというか。私にとって、ロメロなんて名前はゾンビ界の巨匠しか知らないからだ。
「もしかして、あのビデオのゾンビも―――」
「グールだよ、シラリア。……すごかったろう?」
ダリオが肩を竦めて言った。
ビデオを思い出す。二、三度見ただけなのに、あの風景も顔も細かな音までも、全て思い出すことができる。
今だから断言できる。あれは本物だ。本物の殺意と恐怖だ。
興奮してすっかり忘れていたが、私以外にも参加者はいるのだ。それも私よりも遥かに強く、狂っている人たちばかりだ。
……あれを目にして、私は立ち向かうことができるのだろうか。
急に背筋が寒くなる。自らを抱きしめた腕に爪が食い込む。痛さよりも、現実のがさらに深く食い込んでいる。
「……シラリア、どうかした?」
ダリオが足を止めて振り向いた。言うべきかどうか少し迷ったが、隠していても仕方がない。
「うーん、いや、あんなのと、競って大丈夫かなー、なんて……。」
「ははは、そんなことはないよ。……君は僕が自信をもって推薦できる。」
「ダリオにそう言ってもらえるのはすごく嬉しいけど、私なんて、やっぱり―――」
苦笑しながら、髪を掻き揚げる。
「シラリア。」
声に気付いて、顔を上げるとダリオの顔がそこにあった。ダリオの目だ。目が合う。
私の顔のすぐ近くでは眩しいくらいにランタンが光っている。
「シラリア、それは、自信っていうやつがなくなったのかい?」
今までとは違う、少し低い声だった。
ダリオの目は大きく、真っ黒だ。いかにランタンに照らされようと、その深さは測ることができない。
「自信がなくなったっていうか―――」
声が掠れている。喉がカラカラに乾いている。
「ジェイソンに自信ってあるのか?」
ダリオは私から目を離すことなく、ゆっくりと口を開いた。その目で見つめられると、私の身体が透明になってしまったいくようで、寒気がする。
「フレディに願望は必要なのかい?」
同じ台詞を今度は左手を掲げながら、舞台演技のように振付をする。まるで自問するような言い方だった。
いつの間にか私の手にはランタンが握らされている。
「ブギーマンは恨みを持ってナイフを握るか?レザーフェイスは焦燥に駆られて女を追いかける?」
背を向けて両手を上へ掲げる。
「いいや、違うね!そんなものはただの言葉だ!言葉なんだよ……!」
その言葉は何よりも重く、力強さを持っていた。思わず呆気にとられて、その舞台に見入ってしまう。
「いいかい、シラリア。僕に、僕たちに上辺だけの言葉はいらない。……行動で、その姿で、恐怖を感じさせてくれるだけでいいんだ。」
振り向くダリオと再び目が合う。立ち尽くすだけの私に対して、ダリオの動きはリハーサルでもしたかのように機敏だった。
そういえば、気になっていたことがある。
「―――ダリオは、どうして私を推薦してくれるの?」
「……僕はね、君のそのホラー映画フリークの発想とここまで来た行動力とそのヒロインのような可憐さに惹かれたのさ。僕の趣味はまさに君のような存在なんだ。君じゃなきゃ、絶対に務まらない。」
「私じゃなければ?」
ダリオの細い手が私の肩に乗せられる。
「僕の名前はダリオ。魔女を生み出しているんだ。」
心臓が身体全体を打ち付ける。
魔女―――。
そうか、それは『彼』にとって重要なキーワードだ。
ロメロ、ダリオ。彼ら案内人は映画監督の名前を騙り、そのコンセプトにも忠実なのだ。
「……まさか。私が、魔女?」
自分の服装を見直す。これが魔女?
魔女三部作と呼ばれるあの映画は大好きだが、まさか、自分がそうなるとは思わなかった。
「う~ん、よくわからないけどなぁ……。」
「そんなものだよ。けれど、魔女の目覚めはきっとやってくる。気付くことが大事なんだ。」
冗談を言っているようには見えない。彼には私の何が見えているのだろう。
ダリオは再び懐中時計を取り出して蓋を開ける。
「さあ、会場はもう少しだよ。」
パチンと蓋を閉めると、階段を下りて行く。
いつの間にか、不安はなくなっていた。「やるだけやってやる」という、当初の気持ちが不思議と戻っていた。
「魔女かぁ。けどなぁ……魔法も使えないし、黒猫とも話せないし……。」
過去に見たことのある魔女を思い出してみる。真っ黒な少女のことだ。
「え?なんだいそれ?」
「や、あの、私なりの魔女の定義なんだけど……そんな映画、知らない?」
「生憎と普通の作品は興味なくてね……。」
ダリオは本当に興味なさそうだ。
「そ、そうなんだ。箒で空を飛べたりできるんだけど……。」
「へぇー。デッキブラシじゃなくて?」
「……見たことあるでしょ?」
◇◆◇◆◇
螺旋階段が真っ直ぐになり、更に下る。
すると、ダリオの足音が止まった。背中越しに奥を除くと、ハッチ式の扉がある。防音扉のような重量感が見るだけでわかった。
「結構歩かせちゃったかな。疲れてない?」
「うん、大丈夫。」
少し疲れてはいたものの、ダリオと歩いていると色々な意味で退屈はしなかった。きっとこれからも退屈という感情は当分味わうことはないのだ。
ダリオはそれに頷きだけで答える。ランタンを足下に置くと、ハッチに両手をかけて回す。船の舵みたいだ。二回転ほどすると、ハッチが止まる。
扉がゆっくりと開いていく。通路に光が射しこまれていく。
「―――わぁ……。」
思わず感嘆の声が溜息と共に漏れだす。
狭い通路とは対称的に、そこは広大すぎる空間だった。そこが地下とは忘れてしまうほどの開放感だ。こんな場所が存在するなんて、信じられなかった。
その空間に溢れ返る老若男女の人、人、人。全ての種類の人間を集めたように、色々な格好が歩いている。その中に地上よりも明るく、享楽的な屋台のような店が並んでいる。私は人ごみと賑やかな場所があまり好きではないので、テーマパークや遊園地などの施設で遊んだことはないが、きっとこんな雰囲気に違いない。
地上と地下。廃墟と都市。退廃と発展。ここでは全てが逆で、全てが裏に存在する。そして、全てがまぎれもない現実だった。
眩しいくらいの電気に照らされて、私の妄想が加速していく。
「そうか。人が蔓延り過ぎた地上はやがて崩壊していき、人々は地下に潜りこんだんだ……。」
口に出してみると、本当にそう思えてきた。
「そして発展を遂げた?それは中々面白いね。」
こういう共感は素直に嬉しい。
ダリオが後ろ手を組んで歩きだしたので、今度は横に並んで付いて行く。これだけ広くて屋台があると目移りしてしまうので、私なりの迷子対策だ。
「これ、もしかして全員……?」
参加者なのか、とはさすがに怖くて聞けなかった。ダリオは笑いながら肩を竦めた。
「ここは言ってみれば、アミューズメント広場だよ。あっちは映画鑑賞ができる会場とか、あっちには挿入曲を演奏している会場もあるよ。」
「そんなものまで!?」
「ワンダー・スクリーム・ショーはホラー映画好きのお祭りだからね。もちろん、ここでしか買えないものもいっぱいあるよ。」
なるほど。よく見れば、屋台にはレザーフェイスのマスクやブギーマンのゴムマスクが売っている。フレディのセーターもある。こういうものはオーソドックスな感じけれど……。その中でも一際私の目を惹きつけるものがあった。
「ね、ねぇ、あそこの店にチェーンソーがあるんだけど……。」
屋台の看板には『Chainsaw House』と、虫食いだらけのフォントで書いてある。その壁にはホームセンターのようにチェーンソーが並べられている。そして店の前には、目立つようにガラスのショーケースには、いかにも高級品らしくチェーンソーが飾られている。
「お、あれはレザーフェイスが実際に使っていたやつだよ。」
「え、え!?本当!?」
「ってあそこに書いてあるけど……。」
実に、なんとも胡散臭い……。
「むー、撮影に使われたものにしては綺麗ね。」
「本物かどうかは各々が決めればいいさ。で、どうする、買ってみるかい?」
「……うん、ちょっと、欲しい。結構、欲しい。」
ショーケースに貼り付けてある小さな値札を見る。たかがチェーンソー……ではなかった。頭を殴りつけられたような衝撃だ。
テレビでしか見たことのない、宝石だとか高級腕時計の価格に匹敵している。この価格にすることによって、果たして誰が得をするのだろう。
「こ、こんなの、高級木材でも切り倒さないと割に合わない……。」
「ふむ、人に使うには高すぎるかもね……。」
恐らく私の人生史上一高い買い物を諦める。進んだ先には、メジャーなものからマイナーなものまで、こんな店が飽きるほどあった。
驚いたことに、客である人々は欲しいものがあれば、簡単に買っているのだ。マニアとお金持ちの力を改めて思い知らされた。と、言うのもほとんどの品物は高価すぎて、一介の女子高生が手を出せるものではなかった。私が買えるものといえば、アイスとジュースくらいのものだった。
屋台が並ぶ場所から離れ、壁際まで歩くと、他の店とは違う小さなテント小屋があった。チケット売り場のような簡素なものだ。
「さて、コンテストの前に受付を済ませないと。ここで手続きをしてくれるんだよ。」
ダリオに促されるままに小屋を覗く。
―――ぼうっと浮かび上がるようにして、仮面が見えた。もしかして、案内人?さすがに三回目ともなれば、もう慣れているが、やっぱり異様な姿だ。
ダリオやロメロとは違い、小柄な人物だ。また、彼らの仮面は顔全体を覆い隠すものだったが、こちらは西洋の舞踏会で用いるような、目もとだけを隠す仮面だ。白くて、金色の装飾がとても綺麗だ。唯一見える口元には皺が何本も通っている。
「あの……。」
一声かけると、頬杖をついた仮面の老人は目だけをギョロリと動かした。
「……ん?やあ、お嬢ちゃん。迷子かい?」
「え、いや、そうじゃなくてですね、」
「おいおい、まさか家出じゃないだろうね?」
老人特有のしゃがれた声で笑い出した。
苦笑で返す。心では「またか」と辟易していた。それにしても、私はそんなにかわいそうに見えるのだろうか?
「……家出じゃないです。受付をしてもらいたいんですけど。」
「おお!雑技団の人かい?待ってたんだよ、今年は集まりが悪くてなぁ。この前の奴らなんか―――」
と、聞いてもいないことを話し始めた。……全くだめだ、埒が明きそうにない。まだ迷子の扱いをしてくれたほうがマシだった。それを見兼ねた後ろのダリオが助け舟を出してくれた。
「失礼、彼女は僕の―――おや?スタンリーじゃないですか。」
「おうおう、ダリオか。相変わらず細長いやつじゃなぁ。」
スタンリー……。なるほど……今度はキューブリックか。そう思えば、彼の仮面は、最後の作品のものかな?
「まさかあなたが受付係とはね。今年は参加しないとは聞いていましたが……残念ですよ。僕は楽しみにしていたのに。」
「ふ、ふ、ふ、ありがとよ。けどなあ、今年は良いのがいなくてなぁ。―――それで、お前さんはどうだい?」
「もちろん、参加しますよ。それに、今回は最高のものを連れてきました。」
そう言いつつ、背中を優しく押された。ダリオは私を本当に楽しそうに紹介するので、毎回恥ずかしい。
「ええ?だってこの人は雑技団の―――」
「や!だから違いますって!ダリオー……。」
「スタンリー、彼女が僕の推薦だ。手続きをしてくれるかい?」
スタンリーは驚いて顔を上げた。初めて私を見てくれたような気がする。唯一見える口元から、険しい顔つきをしているのがわかった。
ダリオ、ロメロ、スタンリーと異形の案内人と出会ってきたが、彼らの目は特徴的だ。見てほしくない部分を見ようとするというか、外側ではない皮膚のすぐ裏側を見ようとする目線なのだ。悪意にも似た好奇心がそこにはあるのだ。
「ほっ!こりゃあいい!お前さんにぴったりだ!」
すると突然、スタンリーは手を叩いて声を挙げた。自然に私も肩から力が抜けた。
「色々と悪かったね、お嬢さん。全く、歳はとりたくないもんだ。」
「ええ、大丈夫です。雑技団はびっくりしましたけど……。」
「はっは……。まあよく考えたらダリオみたいな奴のほうが雑技団向きだろうよ。」
ダリオが細長い腕で頭をかくと、私とスタンリーは笑いだした。こうして話すと近所の気さくな老人にしか見えない。
スタンリーは紙と羽根ペンを取り出すと、姿勢を正した。
「よし、すぐに手続きをしよう。推薦だからすぐに終わるよ。それじゃあ……、えー、まず名前は?」
「はい、あの、シラリアです。」
「はいはい。年齢は17歳―――と。二つ名はどうする?」
「え、そんなものまで?あの、考えてないのですが……。」
「ふむ、そうか。まあ今はいいか。それじゃあ後々に思いついたら付ければいい。―――さあ、これでおしまいだ。」
本当に簡単な手続きで済んだ。続いてダリオが用紙に(筆記体で)サインをする。
「もう開会式が始まるから急いだ方がいいぞ。参加者にとっては大事だからな。」
と、スタンリーが鍵を渡してくれた。ここに来たときと同じような鍵だ。それをダリオが受け取る。
「ありがとう、スタンリー。シラリア、行こうか。」
「お嬢ちゃん、しっかりな。―――思いきり恐がらせとくれよ。」
そんな老人の期待に、笑顔と頷きで答える。私はすっかり孫の気分になっていた。
ダリオと私はテント小屋のすぐ後ろに向かう。そこは無機質な壁しかなかったが、鍵をもらった時点でもう疑問には思わなかった。
先ほどと同じように、小さな鍵穴を見つけると、そこに鍵を挿しこんで回すと、ゆっくりと扉が開いた。今度は階段ではなく、一本の通路だった。
扉が閉まると同時に電気が点く。薄暗い明りとひんやりとした床と壁から何故か刑務所をイメージしてしまう。
「開会式では何をするの?」
前を歩くダリオに問いかける。
「主なのは参加者と種目の発表かな。後は……ああ、しまった、そういえばアピールタイムもあるんだった。」
「え?アピール?」
「自意識過剰な人たちばかりだからね。推薦を受けた人と違って、一般参加者にとってアピールは重要な時間だよ。如何にして恐がらせるか、自分はどんな嗜好を持っているか、ね。すっかり忘れていた……。」
「すまない」とダリオは小さく謝った。確かにそういう重要なことは早めに話してほしかったが、別にどちらでもよかった。
「アピールは絶対にやらなくちゃいけないのかな?私、自信ないんだけど……。」
「いや、強制的ではないよ。君の場合、僕が伝えていなかったこともあるから仕方ないさ。」
「……ダリオはそれでいい?」
「あっはは……。僕のことは気にしないでいいよ。アピールよりも結果が大事だからね。―――さて、と。」
ダリオが足を止めて振り向いた。その先は予想通り行き止まりだった。ポケットから鍵を取り出した。
「ここがコンテストの会場だよ。今夜はこの会場で終わりだけど、君はここから始まるんだ。」
ゆっくりと頷く。そうだ、もう迷えない―――。
まだはっきりとしない自分が確かにいる。けれど、何故か
今はダリオの期待に応えなければ、という思いが強かった。
「―――大丈夫。魔女になるんだもんね。」
「ああ……そうだよ、シラリア。君が望むのなら、何にでもなれるのさ。」
扉が開いていく。通路に眩しいくらいの光が射しこむ。
その光は、仮面の奥底の、恐らく笑っているであろうダリオの顔を浮かび上がらせてしまいそうだった。