-6時間
夜の電車というのは、とても風情がある。
窓から見下ろした暗く廃墟となった街に、明かりをつけた電車が進んでいくのだ。
世界の終りからの脱出のような、切ないような、希望に満ちあふれているような気分になる。
まあ現実は、ピカピカと光る低俗な看板がいくつも並んでいるのだが。ため息をひとつついて、窓から目を背ける。
席は飽きるほど空いてはいるものの、何故だか座る気分にはなれなかった。
電車に揺られながら、マガタホテルについて、昼間調べたことを思い出す。
マガタホテルは数十年前に咲浜市の埋立地に建設された、所謂、一流の高級ホテルの類だったらしい。当時は、咲浜市の新都として開発が進められていたその埋立地の名物として、かなりの収益を上げていた。しかし、元々交通が不便なこともあってか、急に開発が停滞し始めてしまい、人々は次々と新都を離れていった。
そして、ついに、過去の栄光を残したままマガタホテルは潰れ、今となっては心霊スポットとしても有名な廃墟になっていた。蛇足だが、マガタホテルで起きた心霊体験はどれもこれも陳腐なものだった。
結局、現在ではその新都(すでに旧都だが)に存在するのは格安のマンションと、小さな企業だけだった。
確か、新都についてクラスメートが話していた覚えがある。家族で引っ越し先を探しに行ったが、遊ぶ場所が何もなかったと文句を言っていた。今では、忘れ去られた都だ。
そんな人が寄り付かない、時代遅れの産物だからこそ、意外と殺人コンテストをするには、格好の場所なのかもしれない。
「本日もご乗車ありがとうございます。この電車は、終点の―――」
曇った声をしながら、車掌がアナウンスを告げる。
車両内を見回すと、私を除いて三人しか乗っていなかった。
酔いつぶれたサラリーマン風の男は、先ほどから目を瞑ったまま、しきりに相槌を打っている。
人目も気にせず、自分たちが世界の中心だと言わんばかりに愛し合う若い男女。
そして、私。
ぼーっとしていると、その二人組の女性と目が合ってしまった。
「ねえねえ、あの子、どうしたのかな―――」
「さあ。家出でもしたんじゃ―――」
会話は全く聞き取れないが、そんなことを話しているのだろうか。
すぐに顔を窓に戻すと、そこに自分の姿が映し出された。
(家出……。)
大体、一番困ったのが服装だった。
殺人鬼っぽい衣装とはどういうものなのか、改めて考えてみればこれほど難しいことはない。映画を参考に、泥まみれの汚い服を来たり、ゴムマスクを被ればいいのかもしれないが、それは何だか面白みがない。
しかし、考えてみれば、当然かもしれないがサスペンスの犯人は一般的な格好をしている。いかにも犯人だと思うような服装をしていたら、それこそ面白みがない。
結局、私は普段通りの服装で出かけることにした。
白い丸襟のブラウスの上に、黒のエプロンスカートとストッキング。肩にはポシェットを下げている。
以前に、服装という趣味にあまり興味はなかった私に、アヤノが無理矢理に店員さんに頼み込んでコーディネートしてくれたものだ。
暑いのでサンダルで行こうかと思ったが、装飾だらけで歩き難いので、これまたアヤノが選んでくれた革靴を履いていくことにした。
(まあ……殺人鬼には、見えないかな……。)
何故だか、車両内で自分の存在が酷く小さな物に感じた。
電車はもう少しで、新都に着くころだった。
◇◆◇◆◇
結局、この駅に降り立ったのは、私と中年の二人のサラリーマンだけだった。クラスメートが言っていたように、多少交通の便が悪くとも格安マンションは存在しているのかもしれない。
駅前だというのに、店の明かりは少なく、ほとんどの店が閉店している。今さらだが、どう考えても女の子が一人で来るところじゃない。
近くの掲示板に染みだらけの地図があったので場所を確認する。さすがにマガタホテルの名前は記されていなかったが、大体の場所は下調べしてある。
線路沿いの道路を歩きだす。
美作の街並みは静かで夜の雰囲気にぴったりだった。綺麗に並べられた街路樹と街灯がいかにも人工的だ。車通りも少ないので、これなら道路を堂々と歩いていても事故は起きそうにない。
一軒家はなく、マンションやビルばかりの建造物は、廃墟にきたような、虚無な芸術がそこかしこに散らばっていた。
車が一台、前方からやってきた。不意に運転手を見てしまったが、ガラスが真っ黒でよく見えなかった。他に車がないためか、結構なスピードで通り過ぎて行く。急いでいるようにも見える。頭が冴えてきた。
(……そうか。最後の生存者だ。この街を脱出しているんだ。)
歩きながら、自然と妄想に耽る。
うん、うん、いいぞ。これはいい。
(……ひょっとしたら、街の住人は全て吸血鬼にでもされたのかもしれない。)
自分にしては素晴らしい発想だ。この人の少なさは、そんなことを考えても仕方ないくらいの美しさだ。
きっと、この街は一人の吸血鬼により死都と化したのだ。
敵は……そうだ、ゾンビなんかがいい。
(ゾンビの感染力とバンパイアの繁殖力……これはいい。)
どちらが上回っているのだろう。ゾンビの本能的な行動もいいが、バンパイアの理性的な行動も捨てがたい。
未だかつてこんな映画があっただろ……いや、あった気がする。
あった気がするが、そんな素晴らしい映画では……。
「よろしくお願いしまーす。」
「ひゃーっ!」
咄嗟のことに、訳もわからず悲鳴をあげた。
思わず飛び上がり、ひっくり返りそうになってしまい―――
「あ、危ないっ」
と、腕を掴まれた。
おかげで私は本日二度目の尻もちをつくことはなかった。
「あ、ありが―――あれ?」
「……おや?」
私を助けてくれたのは、見覚えのある顔、
「やあ、お嬢さん。こんばんは。」
いや、仮面だった。
「ビデオを貸してくれた……。」
この前と同じ黒のスーツに、今夜はシルクハットまで被っている。
とりあえず、お礼を言って服装や髪を整える。
人前で悲鳴をあげるなんて、やはり恥ずかしい。
仮面の男は私の心境を読み取ったかのように笑いだした。
「ホラー好きが、悲鳴をあげるなんてね。御法度じゃないのかい?」
「げ、現実と映画は違いますから!」
いつも姉に言われていたことが、初めて役に立った。言い訳としてだが。
これ以上赤くなった顔を見られたくないので、話を逸らすことにする。
「……ええと、あなたはここで何を?」
「チラシ配りだよ。イベントのね。」
口に出してから、馬鹿な質問をしたと思った。
あのビデオの持ち主だ。そんなの決まっている。
「……来てくれたんだね。」
仮面から覗く目が細くなった。
私は、黙ってゆっくりと頷いた。
「ああ、それは、今日はなんて、なんて日だ……!」
言葉の節々を噛みしめるように言った。
そして、仮面の男は、急に服装を正し、ネクタイを締め直し、直立の姿勢をとった。
「自己紹介が遅れましたね。」
急に敬語になったかと思うと、シルクハットをとり、頭を下げた。
どこかの映画で見たような紳士のような身のこなしに、思わず見とれてしまう。
「私、今回、あなた様のワンダー・スクリーム・ショーへの案内人を務めさせていただきます。ダリオと申します。」
「……ダリオ。」
ただ、意味もなく、その名前を反復した。
仮面の男―――ダリオはシルクハットを被り、私を見下ろした。
「ほら、君の番だよ。」
「え?あ、あーっと、私は……シラリア。そう呼ばれてるよ。」
一瞬、私も紳士に習おうかと思ったがやめておいた。
「シラリア……?それが君の名前?」
「そうだよ。本名より好きなんだ。」
「はは。そいつはいい。よろしくね、シラリア。」
そうして差しのべられた右手を、私も右手で握った。
ダリオがそれ以上聞かなかったのも、私としては好都合だった。
「それじゃあ案内するから、ついてきて。」
「え?チラシ配りは?」
ダリオは「あっ」と、思い出したように左手のビラを見た。
そして、その一枚を私にくれた。
チラシには緑と赤の配色の毒々しいフォントでWonder Scream Showと書いてある。
「君に渡せただけで十分さ。」
そして背中を向けて歩きだした。
ダリオはかなりの高身長で、視界がほとんど遮られてしまう。
「ちなみに、チラシは私で何枚目なの?」
「……ノルマは達成したさ。配るっていうね。」
私は、苦笑しながら歩きだした。
◇◆◇◆◇
ダリオが辿る道は、路地裏などの狭い道ばかりだった。
しかし、細長いダリオは木の葉のようにひょいひょいと進むので、付いていくのに苦労した。
こうして歩いてみると、この街には本当に人の気配がない。
先ほど空想していた、世界が終ったあとの風景というのも、あながち間違いじゃないみたいだ。そう思うと、私の心は不思議と高揚していた。
やがて、10分ほどで大きな建物に辿り着いた。
高層マンションかと思ったが、半開きになった自動ドアの奥には、ロビーらしきカウンターが見える。
(ここが、マガタホテル。)
艶を失くした大理石の床と外壁には亀裂が入り、忘れ去られた場所を物語っていた。
廃墟というものを見たのは、これが初めてだが、これほどとは思わなかった。
誰かに関わっていないと、誰かに忘れられてしまうと、建物でさえも朽ちてしまう。
寒気がするような芸術性に、鳥肌が立つ。
「さあ、着いたよ。」
ダリオが振り向きながら言った。
「すごいだろう?いかにもホラー映画にありそうな舞台でさ。」
ぼうっと外観を見上げていると、ダリオが私の心を代弁してくれた。
ここでは、どんな殺人鬼が似合うだろう。頭の中でフィルムが回り出し、今までに見てきた殺人鬼のシーンを思い出す。どれも似合いそうで似合わない。ああ、やはりここは管理人がおかしくなる話がいいかもしれない。いや、あれは雪山じゃないとダメかな……。
「シラリアー?こっちだよー。」
いつの間にかダリオはホテル内へと入っていた。
妄想を打ち消して慌てて追いかける。
ホテルの中は手入れがされているはずもなく、埃っぽく、思わず咳込みそうになるが、思わず、こらえてしまった。文字通り、私は息を呑んでホール内を見ていた。
まず目に入ったのが、入口の真正面にある大階段。二階までしか続いていないものの、扇形に広がっている構造はどこかで見た王宮のようだ。また、一階から最上階までが吹き抜けになっているので、天井が高く、思ったよりも広さを感じる。これだけ壮大な光景だと、いかに廃墟の雰囲気が良いとは言え、暗さと到る所に木材などのゴミが積み上げられていることがすごく残念に思えるほどだ。
かつては、裕福な人や煌びやかな飾りで彩られていたに違いない。しかし、今はまるで、地震が起きたような、ホテル全体がひっくり返ったような風景だった。
「こんな、大きな、すごい……。」
文章にならない心からの感嘆の声を挙げると、ダリオがゆっくりと頷くのが横目で確認できた。馬鹿にされるかと思っていただけに、真摯に共感されると却って恥ずかしいものがある。
咳払いをして、周りを物色する。埃と蜘蛛の巣とコンクリートの破片が覆いかぶさって、灰に埋もれたような受付では、今では蜘蛛が受付をしてくれるのかもしれない。その向かいには、半開きになったシャッターに遮られた空間がある。棚が並んでいることから、売店だろう。大階段の奥――玄関から見てその隣に位置する場所――には、映画館のような両開きの扉が二つある。レストランか、もしくは結婚式場みたいな部屋かもしれない。
扉の前に積み上げられたゴミとも呼べる資材をどかそうとした途端、あることに気付いて振り返る。
「あれ……?」
ダリオがいない。
好奇心ばかりが先行して周りが見えなくなる。迷子になるためのマニュアル通りだ。
「ダリオー……。」
玄関まで戻りつつ声を出す。これだけ広いとは言え、私を置いて行くのは考えられない。すぐに返事があるはずなのだが、私の声が埃に塗れて返ってくるだけだった。
困った。こんな夜中にこんな場所で大きな声を出すのは躊躇ってしまうが、仕方ない。一度、息を吸い込んで、
「ダリ……」
「おい。」
突然、後ろから肩を叩かれた。
ダリオの声じゃない。驚きすぎて声も出せなかった。
振り向くと、そこには大きな黒い影がいた。
「ひっ」
顔らしき場所に仮面がみえる
ダリオも長身だが、それとは違う。今目の前にいる存在は、単純に、大きいのだ。
仮面をつけているが、ダリオのものとは違う。
「誰だ?なぜここにいる?」
地面から染み渡るような低い声。
その迫力に圧倒されてしまう。
「あ、あの、わ、私は、ですね、」
心臓を激しく脈打たせていると、前方の暗闇に急に淡い光が浮かび上がった。蜘蛛の巣がついたランタンを持ったダリオがいた。
「ごめん、ごめん、明かりを探して―――おや?」
ダリオはランタンを前に掲げて、大きな影を照らした。
「やあ、ロメロじゃないか。」
明りに照らされると、その影の異様さがさっきより際立った。
ダリオと同じようなスーツを着ているが、泥の中を転げ回ったみたいに汚れている。特徴でもある仮面は髑髏のようで、ボロボロの歯がむき出しになっている。紳士のようなダリオとは対称的に違うのだと、一目でわかった。
その左手には、大きなシャベル?スコップ?が握られている。どうでもいいけど、地域によって呼び方が変わるんだっけ?本当にどうでもいい。
「ダリオ。こいつは?」
ロメロ、と呼ばれた男は私から目を逸らさずに顎をしゃくった。
「もちろん、参加者だよ。可愛いだろう、すごいだろう?」
私のことなのだが、何がすごいのかが全くわからなかった。
「まさか……お前の?」
「そう!今回僕が推薦するのは、彼女だよ……!」
驚く様子を見せるロメロに、ダリオは新しい玩具を自慢する子供のように言った。その新しい玩具である私は、愛想笑い一つもできずに、この状況の中で、ただ突っ立っているだけだ。
ロメロと目が合う。反射的に笑ってみるが、顔の筋肉が引きつって笑顔が上手くできなかった。
「……ふん、相変わらずお前の趣味はわからん。」
ロメロの視線が外れると、私は呪縛が解けたように、やっと呼吸をすることができた。
「ダ、ダリオ、この人は?」
情けないことに未だに声は震えていた。
「ははは、恐がらなくて大丈夫。彼は僕と同じ案内人だよ。」
ダリオと同じ案内人。彼らにとって、顔を覆い隠すほどの仮面はトレードマークとなっているようだ。
突然、ロメロが近づいてきたかと思うと、右手を差し出された。
「案内人のロメロだ。」
黒い革製のグローブで覆われた、大きく無骨な手。獣みたいな、ゴリラのような手だ。本物は見たことはないが。
そんな手を見つめていると、ロメロは今度は私の右手を掴み上げた。痛いくらいに握られたところで、初めてこれは握手なのだと気付いた。
「よろしく。お前は?」
「……シラリア、です。どうも。」
小学生でさえ、もっと増しな自己紹介ができるはずだが、今の私にとっては、これが精一杯だった。
乱暴に腕を上下に揺らされた後、私の右手は自由になった。
「相変わらず雑だなあ。女の子には優しくするもんだよ、君。」
ダリオはそう言いながら、肩を震わせて笑っている。しかし、ロメロは無言で踵を返すと、出入り口へと歩いていく。
「あれ?どこへ行くんだい?」
「迎えに行く。」
「参加者のこと?」
「そうだ。……今年は、きっと、素晴らしいものになる。」
自信のある、何か含みのある言い方だった。
「……期待していてくれ。」
「ああ、ロメロ。僕も今年は楽しみにしているよ……。」
私はロメロの姿が暗闇で見えなくなるまで、佇んでいた。
今さらだが、これはコンテストなのだ。私以外にも参加者がいるのは当たり前だ。……ロメロみたいなのが一杯だったらどうしよう。
「さあ、シラリア。今度は離れないようにね。」
迷子の扱いをされると、ダリオは大階段の奥へと歩いていく。そこには二つあるレストランの入り口を挟むように通路がある。ちょうど、大階段の裏側でダリオは足を止めると、「ちょっと持ってて」と、ランタンを私に渡した。そして、ポケットから鍵を取り出した。
「宝箱でも開けられそうな鍵ね。」
「面白い表現だね。それに、その表現はあながち間違っていないかもね。」
ダリオは腰の高さほどにある、鍵穴にその鍵を差し込むと回した。カチャリ、と音がすると、壁に扉が表れたように(私にはそう見えただけだが)、錆びついた音と共に開いていく。
「パンドラは好奇心に負けて、決して開けてはいけない箱を開けてしまいました。」
まるでおとぎ話を聞かせるような口調だった。
中からひんやりとした風が流れ込んでくる。上へ続く大階段の裏側には、地下へと伸びる階段があった。外側の豪勢な造りとは違い、やけに殺風景に見える。本当に、ただ下る役割を持った階段だ。
「中からはあらゆる災厄が飛び出してきました。病気、悲しみ、貧困、嫉妬……。」
ダリオのその話は知っていた。でも、あれは本当は壺だったんだっけ?しかも、目の前で開いたのは扉だ。パンドラの扉……。
ダリオが私の手からランタンを受け取ると、階段を下りていく。そしてまた思い出したように話を続ける。
「しかし、箱の片隅にたった一粒のきらりと光る粒がありました。それは……。」
それ以上は何も言わずに、私の顔を一瞥すると、歩き出した。
少しばかり考えながら、ダリオの後を付いて行く。心なしか、ランタンの光が弱くなってしまった気がする。
この扉の奥に入っているのはなんだろう。
……ああ、そうか。殺人鬼だ。