第一話 丁たる(あたる)(6)
「では、これにサインしてください」
小さなテーブルに、契約書を置くシノブ。その横に当たり前のことのようにハナツさんが座っている。
あの後、僕はシノブに腕を引っ張られながら、黒い車に乗せられた。長い時間、車に揺られていたのだが、その間、ハナツさんは目をつぶったまま動かず、寝ているようだった。その寝顔は、霊と対峙していたときとは正反対の柔和な優しさに満ちていた。
シノブから「変なことしないでくださいね」と釘を刺され、もちろんそんな気はさらさら無いのだけれど、引き込まれるようにずっと彼女の寝顔を見てしまっていた。かなり特殊な状況だったけれど、なぜか寝顔を見ているだけで、心が少し安らぐ。
そして気づけば、僕の自宅である。何をどう間違えたのか。というか、そもそも、なぜ僕の家を知っているのか。と、その前に契約書である。
「秘密保持契約書って、これ何ですか?」
「口外禁止ということです」
僕は二人を交互に見る。秘密保持契約書、通称NDAは、社会人になれば、一番よく見る契約書の1つだろう。お互いに話した内容や資料について、外に漏らさないという約束するものだ。
これまでも何度か結んだことはあるが⋯、ちょっと本格的すぎないか? とも思う。
「嫌であれば、ここでお別れです。ご愁傷さまでした」
「不吉なことを言わないでください」
僕は渋々ながら、秘密保持契約書にサインをしようとするが、相手の契約者の名前が気になった。そこには、『公安霊課』とある。
公安? ということは、二人は政府の人ってことなのか。ふと、小学校の校門にいた二人の人物が頭をよぎる。
「あの、公安霊課って⋯」
「サインしたら、お話します」
淡々とした口調で話すシノブ。うーん、サインしないと、何も進まない気がした。まあ、それほど悪いことも起きないだろう。僕はサラサラと契約書にサインをした。
「あっ」
「えっ、何?」
「ちゃんと読みました?」
「ちゃんとは読んでないけど⋯」
「あー、でもサインしちゃいましたね。ちなみに口外した場合は、市中引き回しの刑になっております」
市中引き回し? ちょっと待ってよ。
「そういうことは、先に言うものじゃない? てか、市中引き回しの刑って、今は令和ですけど」
「昔に作られたもので、ずっとそのままなんですよね。それに関わった人たちは、皆亡くなっていますので」
ふ、不吉すぎる。
「では、口外禁止ということで」
そう言って、シノブは立ち上がろうとする。
「いや、ちょっと待ってよ。何か教えてくれるんじゃないの?」
「ああ、ハナツ様のことですか?」
そうシノブに指摘されて、顔が火照る。あー、僕はなんてことを言ってしまったのだ。急に恥ずかしくなってきた。てか、本人がいる前で、それ言う?
「そ、その霊とか、今起こっていることとか⋯」
「そうなんですね、では、ハナツ様のことは、話しません」
「そういうことじゃなくて⋯」
ハナツさんは、部屋の中をいろいろと見回していた。こんなことなら、もっと部屋を片付けておけば良かったと思ったが、僕の家にそもそも人が来ることなど、誰が想像できようか。
「好きです!」
突然、シノブが僕の告白セリフを真似した。やめてくれー!
「僕は、う、嘘は言ってないから」
「知っておる」
ハナツさんが、そっぽを向きながら言葉を発する。
「ハナツ様は、そういうこと、わかっちゃうので。隠しても意味無いですよ」
わかる!? ちょちょちょっと待って。ヤバいヤバい、ということは、あんなことやこんなことを⋯と考えた瞬間、ハナツさんの拳が飛んできた。
グハッ。
「今、変なこと考えてましたね」
「そ、そんなこと無いよ!」
「絶対考えてましたよ、ハナツ様には色が見えるので」
「色?」
「はい。その人の感情の色が見えるのです。オーラみたいなものです」
オーラとか、オカルトライターとしては、面白いネタになりそうだなと思ったけれど、そもそも口外禁止だし⋯って、何かめんどくさいことになってきた気がした。
ピンポーン! 玄関のベルが鳴った瞬間、二人の気配が変わり、僕を訝しむような目で射る。
「に、荷物が届いただけですって」
二人を制しながら、僕はそそくさと玄関へ行き、荷物を受け取った。次の取材の霊能者 ユキナさんにプレゼントするために購入した群馬ファーマーズプリンだ。
そんな僕を二人はずっと目で追ってくる⋯。はあ。僕は箱を開け、中を二人に見せた。
「プリンです。なので、変なものじゃありません」
僕はプリンの箱を冷蔵庫へしまった。
「少し失礼する」
といきなり、ハナツさんがどこからかタンブラーを取り出し、ゴクゴクと飲み始めた。タンブラーには、完全食というロゴが書かれている。
そして、タンブラーを持つ右手の袖口が下がったことで、その腕にアザのようなものが見えた。もしかし、この服はアザを隠すためなのだろうか。
「気にしないでください。霊と対峙した後は、エネルギーを使うのと、ハナツ様にとってこれが常食ですので」
常食!
一気にタンブラーを飲み干したハナツは、何事も無かったように、明後日の方を向く。
いきなり告白とかされて、混乱してるかと思ったが、その影響は無いように思えた。それは良いことなのか、悪いことなのか。そもそも眼中にないということなのか。というか、何で僕は告白なんかしてしまったんだ。愚か者すぎる。
でも、後悔はしていなかった。
さっきまでキョロキョロしていたハナツさんだったが、今は一点を凝視している。もしかして、霊が見えるのだろうか。けれど、僕は何も感じていない。ということは、また別の何かだろうか。
そんな彼女の視線の先を追うと、そこには冷蔵庫がある。
彼女はジッと見たまま、視線をズラさない。もしかして、さっきしまったプリンを食べたいのか⋯。ちょっと待って、さっき食事をしたのは、食後のデザートってこと⋯!?
「た、食べますか?」
僕は恐る恐る聞いてみる。
「良きに計らえ」
食べたいってことだよね。はあ。僕は冷凍庫にしまったばかりの箱を取り出し、二人の前に小さな牛乳瓶のような入れ物に入ったプリンを置く。
「どうぞ」
彼女はケースをゆっくりと開け、プリンを口に運ぶ。美しい唇が開き、クリーム色とブラウンが混じり合ったプリンが口の中に吸い込まれていく。
「なんじゃ、これは!」
破顔。これまでピーンと張り詰めていたような顔が、一気に明るくなる。こんな表情もするんだと思った。
彼女は勢いよく食べ、一気に平らげた。と、僕の眼の前にある、もう1つのプリンの瓶を凝視している。
「それは、異なる味か」
「ど、どうぞ」
僕は、もう1つのプリンをハナツさんへ差し出した。
「良いのか?」
僕は頷く。こうしてみると、普通の女の子に見えた。プリンを平らげた彼女は満面の笑みを浮かべる。
「よし、この献上品に免じて、1つ質問に答えてしんぜよう」
1つかよ!
「じゃあ、霊って何ですか? カメラには写らないってどういうことですか?」
ずっと気になっていたことだった。
「ふむ。まず霊について話そう。霊とは、わしらがいる世界とは異なる次元に縛られた人間の想い、思念じゃ」
「いきなり異なる次元とか言われても⋯」
「お主は、今何次元におる?」
「三次元です。流石にそれはわかりますよ」
彼女は、空になったプリンの瓶を手にとって、瓶の口を僕に向けた。
「では、お主が二次元にいる住人だとしたら、これがどんな形に見える?」
「円ですね」
「じゃろう。お主からは円に見えるが、実際には瓶は円筒形じゃ。そして、この瓶の中に詰まっていたものが、人間の想い、思念。我らと霊は世界こそ重なってはいるが、霊は異なる次元におる。感覚として言えば、ズレているのじゃ」
「でも、中身があれば見えるきがするんですけど」
「それは、あくまで例えじゃ。お主は、人の想いが見えるか?」
「見えないです」
「そういうことじゃ。想いや思念は、言ってしまえばエネルギーの波。そして、その波は我らとは異なる次元に存在する。だから、見ることはできんし、カメラにも映らん」
「でも、さっき見えたじゃないですか」
「それは、脳が作り出した幻影じゃ」
「幻影? どういうことですか?」
「ふうむ。例えば、りんごは何色じゃ?」
「赤ですね」
「でも、世の中には、緑に見える者もおる」
確かに色弱の人は、色の判別ができない。でも、それと霊が幻影というのが、いまいち僕の中で繋がらなかった。
「でもそれは、色弱が原因でりんごはやっぱり赤いですよ」
僕が納得していない顔をしていると、彼女は続けた。
「それは本当か? 本当にりんごは赤いのか? りんごは光を反射し、特定の周波数を反射しているだけではないのか? 周波数の波を目で受け取り、脳が赤色に見せているだけではないのか? 実際にりんごが反射した周波数は、赤くはないぞ」
「⋯」
僕は何も言えなかった。確かにそうかもしれない。りんごが赤く見えるのは、脳がりんごに着色しているから。だから、脳の機能がバグれば、緑色にもなる。
「そうじゃな、例えば、麻薬をやっている人間が、存在しない虫を見たりするじゃろう。それと似ている」
「言いたいことはわかりますけど⋯」
「目には見えないが、我らは想いや思念を感じることはできる。そして、感じ取った想いや思念を、脳が形にしているのじゃ」
脳が形にしている⋯。
「ってことは、その想いとか、思念を感じることができない人間には霊は⋯」
「当然ならが、見えない。ただ、人間は、何かしら想いや思念を感じ取ってはいる。だから、影響は受ける。その程度が人によって違うだけじゃ」
と、二人はスッと立ち上がった。
「疲れた、帰るぞ、シノブ」
「かしこまりました」
「いやいや、ちょっと待ってよ、もう少しちゃんと教えてください」
「今日はここまでじゃ。もし、もっと知りたければ⋯」
ハナツはテーブルの上で空になった瓶に目を落とす。
献上品が必要ということか⋯。献上品!?って、スイーツのことか。うん? なんか、僕、たかられてないか? スキマバイトで食いつないでいるのに⋯。
そんな僕を尻目に、二人はスタスタと部屋を出ていく。
「あー、ちゃんと監視しているので」
部屋を出ていくときに、シノブが口にする。
監視! それって、どういうこと?
そのとき、小学校の校門にいた二人があたまをよぎる。公安霊課⋯。もしかして、というか、もしかしなくても、きっとあの二人も公安霊課なのだろう。つまり、人払いされていたということか。
僕はとんでもないことに巻き込まれつつあるのかもしれない。とりあえず、ユキナさんのために新しいスイーツを調達しないとなあとは思った。それが、今考えるべきことではないことはわかっていたのだけれど、どうすれば良いのか、皆目検討がつかなかった。
テーブルの上に残った瓶についた水滴が、ゆっくりと落ちていく。抗うことができない重力の枷。いつの間にか、部屋がオレンジ色に染まっていた。




