【51話】守りたいものがある
石畳の訓練場に、乾いた音が響いた。
――弾かれた。
私の剣は、まるで子どものように軽くいなされ、そのまま体勢を崩す。
「……遅いね」
余裕の声音。
目の前で剣を肩に担ぐセリウスは、息一つ乱していない。
「もう一度、お願いします」
握り直す。震えているのは腕か、それとも心か。
「いいよ。何度でも」
軽く笑う。
「ただし――結果は変わらないと思うけどね」
踏み込む。
今度こそ。
そう思ったのに。
視界が揺れた瞬間、剣は空を切り、次の瞬間には喉元に刃があった。
「はい、終わり」
コン、と軽く触れられる。
それだけで、敗北だと分かる。
「……っ」
悔しい。
何もできなかった。
ただ、振っただけ。
「ねえ、リリア嬢」
セリウスは、少しだけ首を傾げて言う。
「普段から鍛えてる僕に、今の君が勝てると思ってるの?」
さらりと、でも容赦なく。
「……思っていません」
「だろうね」
あっさり肯定された。
「でも、それでいいんじゃない?」
拍子抜けする言葉。
視線を上げると、彼は少しだけ真面目な顔をしていた。
「君は剣士じゃない。少なくとも“今は”ね」
今は。
その言葉が、少しだけ胸に引っかかる。
「紋章、出てからさ」
彼は自分の胸元を指でとんと叩いた。
「何か感じない?魔力みたいなもの」
……ある。
うまく言葉にはできないけれど、体の奥で、何かが流れているような感覚。
「……少しだけ」
「じゃあ、剣振るよりそっち試した方が早いよ」
軽い調子で言う。
「ほら、やってみて」
「……やる、と言われても」
「適当でいいって。どうせ最初はそんなもんだから」
無責任なようで、でもどこか期待しているような目。
私は、ゆっくりと息を吸った。
アルトのことを思い浮かべる。
彼の背中。
守られてばかりだった、あの距離。
――私も、あそこに立ちたい。
胸の奥が、かすかに熱を帯びる。
その感覚に従って、手を前に伸ばした。
何かを、押し出すように。
ふわり、と。
空気が揺れた気がした。
「……お?」
セリウスが、少しだけ目を細める。
「今、何かした?」
「……分かりません」
自分でも曖昧だった。
ただ、確かに何かは“出た”。
「へえ……」
興味深そうに近づいてくる。
「もう一回」
言われるままに、繰り返す。
今度は少し意識して。
同じように、胸の奥から引き出す。
さっきより、わずかに――
「……微妙に、強くなってるね」
ぽつりと呟かれる。
「でも、効果はほぼなし」
「……はい」
自分でも分かる。
何かは起きているのに、意味のある変化にはなっていない。
「まあ最初はそんなもんでしょ」
セリウスは笑いながら言う。
「でも使えてはいる。ゼロじゃないってことは、そのうち形になるよ」
軽く言う。
でもその言葉は、不思議と軽くは聞こえなかった。
「訓練、続ける?」
「……はい」
即答だった。
悔しさは消えていない。
でも、それだけじゃない。
今はまだ届かないけれど。
確かに、何かがある。
「いいね。その顔」
くすりと笑う。
「じゃあ今日は魔法の方ね。剣は一旦忘れていいよ、邪魔だから」
「……はい」
少しだけ、悔しいけれど。
でも、今はそれでいい。
何度も、何度も繰り返す。
うまくいかない。
形にならない。
それでも、確かに“何か”は積み重なっていく。
日が傾く頃には、体も頭も限界だった。
夜。
静まり返った廊下を歩く。
足は自然と、彼の部屋へ向かっていた。
扉の前で、一度だけ深呼吸する。
――会いたい。
それだけで、ここまで来てしまった。
軽く、ノックをする。
「……誰だ」
中から聞こえた声は、落ち着いていて――少しだけ、遠かった。
「……私です」
一瞬の沈黙。
それから、
「……入れ」
短い返事。
扉を開ける。
部屋の中で、彼は机に向かっていた。
振り向かない。
「どうした」
事務的な声。
いつもより、少しだけ冷たい。
「……今日、訓練を」
言葉が続かない。
何を伝えたかったのか、自分でも分からなくなる。
「そうか」
それだけ。
興味がないような、短い返事。
胸が、少しだけ痛む。
「……少しだけですが、魔法のようなものも」
「無理はするな」
被せるように言われた。
思わず、言葉が止まる。
「君が前に出る必要はない」
静かに、でもはっきりと。
「危険なことは、私がやる」
振り向かないまま。
距離を、線を引くような言い方。
「……ですが」
「それでいい」
ぴたりと、遮られる。
それ以上、踏み込ませない声。
……分かっている。
彼は、私を守ろうとしている。
でも――
「……失礼します」
それ以上何も言えず、部屋を出た。
扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
廊下を歩く。
さっきよりも、足取りは重い。
でも。
止まらない。
「……違う」
小さく呟く。
守られているだけでは、届かない。
今日、はっきり分かった。
私は弱い。
剣も通じない。
魔法も未熟。
それでも。
「……それでも」
胸に手を当てる。
あのとき感じた、あの熱。
確かにあったもの。
「……強くなります」
誰に聞かせるでもなく。
でも、確かに誓う。
守られるだけでは、終わらない。
彼の隣に立つために。
――アルトの、力になるために。




