【50話】離れていく距離
王城へ戻ったのは、すっかり夜になってからだった。
街道での出来事は、すぐに報告する必要がある。
私とアルトは、そのまま謁見室へ向かった。
重い扉が開く。
玉座には国王陛下。
その隣には女王陛下が座っていた。
「遅かったな」
国王の声は静かだった。
「何があった」
アルトが一歩前に出る。
「街道にて魔物の襲撃を受けました」
空気が変わる。
「魔物だと?」
「冥殻竜ガルヴァディウスです」
その名前が出た瞬間、側近たちがざわめいた。
女王陛下がゆっくり立ち上がる。
「……あり得ないわ」
「転移の痕跡らしきものがありました。誰かが呼び出した可能性があります」
アルトは淡々と続ける。
「討伐は成功しました」
沈黙が落ちる。
国王の視線が、私に向いた。
「リリア嬢」
「はい」
「怪我は」
「ありません」
正確には、何もできなかった。
ただ隣にいただけ。
けれどそれは言わなかった。
国王はしばらく考え、それから言った。
「アルトリア」
「はい」
「この件は、お前に任せる」
「承知しました」
即答だった。
「王都近くで災厄級の魔物が出た。偶然で済ませるわけにはいかん」
アルトは深く頭を下げる。
「必ず、原因を突き止めます」
その時。
女王陛下が、私を見た。
柔らかな、けれどどこか寂しそうな目だった。
「今日はもう休みなさい」
その言葉で、報告は終わった。
廊下に出る。
夜の王城は、驚くほど静かだった。
「……リリア」
アルトが呼ぶ。
けれど、その声はどこか硬い。
「今日はもう部屋に戻ってくれ」
「調査ですか?」
「ああ」
短い返事。
「今から?」
「少しでも早い方がいい」
彼は視線を合わせない。
その理由は、分かってしまう。
街道での戦い。
転移。
共鳴の力。
全部、自分が原因だと思っている。
「……私も」
言いかけて、言葉が止まる。
アルトが、わずかに首を振った。
「危険だ」
静かな声。
「今回は、違う」
それは命令ではない。
でも、拒めない距離だった。
「これは私の問題だ」
胸の奥が、少しだけ冷える。
ついさっきまで、
私たちは一緒に戦ったのに。
共鳴したのに。
でも――
アルトは王子だ。
責任を背負う人。
「……分かりました」
私は小さく頷いた。
彼は一瞬だけ私を見る。
何か言おうとして。
でも結局、何も言わなかった。
「おやすみ」
「はい」
アルトはそのまま廊下を歩き去る。
いつもより、少し速い足取りで。
私は、その背中を見送った。
追いかけようとは思わなかった。
ただ、胸元に手を当てる。
紋章は、静かだ。
でも――
ほんの少しだけ、冷たかった。
共鳴は、二人でしか起きない。
だからきっと。
今は、起きない。
廊下の窓から、夜の王都が見える。
遠くで灯りが揺れていた。
私は一人で立ちながら、思う。
守る覚悟は、まだない。
それでも――
隣にいることだけは、諦めたくない。
なのに。
アルトとの距離は、ほんの少しだけ、離れていた。
私は自室に戻り、一人考える。
あの魔物は――
偶然ではない。
誰かが呼び出した。
そして。
その理由は、きっと一つしかない。
「……私のせい」
アルトは、自分の責任だと思っている。
でも違う。
もし私がいなければ。
もし共鳴が起きなければ。
王家の紋章の力は、まだ眠っていた。
街道であんな光が放たれることもなかった。
誰かに気づかれることもなかった。
――全部、私がいたからだ。
ベッドの端に座る。
窓の外は静かな夜。
アルトは今も調査をしている。
危険な場所を、一人で。
「……守られるだけじゃ」
胸が、少し痛む。
共鳴は二人で起きる。
でも。
もし私が何もできないままなら。
また同じことが起きた時。
アルトは、また一人で戦う。
「それは……嫌だ」
言葉が、はっきり出た。
私は立ち上がる。
部屋の隅にある小さな棚を開く。
そこには、父から持たされた短剣がある。
護身用。
今まで一度も使ったことがない。
柄を握る。
思ったより、重い。
「……明日から」
静かな決意。
「訓練します」
守る覚悟は、まだない。
戦う覚悟も、まだない。
でも。
自分の身くらいは守れるようにならないといけない。
そうでなければ――
アルトは、また私を遠ざける。
それだけは、嫌だった。
翌朝。
まだ日の昇る前。
王城の訓練場には、誰もいない。
冷たい朝の空気の中で、私は木剣を握る。
重い。
腕が震える。
それでも振る。
もう一度。
また一度。
ぎこちない音が、静かな庭に響く。
何度目か分からない頃。
「……早起きだね」
背後から、軽い声がした。
振り向く。
そこには――
セリウスが立っていた。
腕を組み、面白そうにこちらを見ている。
「あいつと、同じ顔をしてる」
私は息を整える。
「……どういう意味ですか」
セリウスはいつにもなく真面目な顔で言った。
「“自分のせいだ”って顔」
胸が、少しだけ強く鳴る。
彼は、笑った。
でも。
その目は、驚くほど鋭かった。




