【25話】暴走する呪い、踏み出した一歩
戦場は、地獄だった。
北方戦線――
雪と泥が混じる大地に、魔獣の咆哮と人の叫びが重なる。
「第3王子殿下が前線に出たぞ!」
剣を振るうたび、腕が痺れる。
血と泥で、視界が霞む。
「……っ、まだだ……!」
私は倒れない。
倒れるわけにはいかない。
兄上――レオンハルトは前線中央で指揮を執り、戦況は拮抗していた。
だが、魔獣の数が多すぎる。
――そのとき。
背後から、衝撃。
「……がっ……!」
腹部を、鋭い爪が貫いた。
視界が、一気に傾く。
「殿下!」
誰かの声。
だが、もう身体が言うことを聞かない。
膝をつき、地面に手をついた瞬間。
――“何か”が、内側で軋んだ。
『……まだ、生きているな』
慣れた、忌まわしい感覚。
「……来るな……」
呟きは、警告だったのか、拒絶だったのか。
血が、地面に落ちる。
次の瞬間。
呪いが――
解き放たれた。
黒紫の魔力が、私を中心に爆発する。
「な……っ!?」
「離れろ!!」
魔力の奔流が、周囲の魔獣を一瞬で薙ぎ払った。
剣も、爪も、鱗も関係ない。
ただ、消える。
一体、十体、数十体――
魔獣の群れが、塵のように消失していく。
「……は、はは……」
笑っていたのかもしれない。
感覚が、薄れていく。
――止まらない。
魔獣を殲滅し終えても、呪いは収束しなかった。
視界に映るものすべてが、敵に見える。
「危険です! 近づかないでください!」
兵士たちが、後ずさる。
剣を向けられる。
……そうだ。
私は、こういう存在だ。
触れれば、殺す。
近づけば、壊す。
ならば。
「……せめて……」
これ以上、誰も近づかせないように。
腕を振り上げた、そのとき。
「――アルトリア様!!」
その声で。
世界が、止まった。
「……?」
ありえない。
ここに、いるはずがない。
視線の先――
血と泥に染まる戦場を、必死に駆けてくる影。
「……リ、リア……?」
彼女だった。
息を切らしながら、転びそうになりながら。
それでも、迷いなくこちらへ向かってくる。
「来るな!!」
叫んだ。
「近づけば、死ぬ!!今の私は――」
「分かっています!!」
彼女は、止まらない。
「それでも――!」
兵士たちが叫ぶ。
「無茶です! 止めてください!」
だが、彼女は聞かない。
「アルトリア様!!」
目が、合った。
恐怖が、ない。
震えてはいる。
けれど、逃げていない。
「……どうして……」
「どうしてもです!」
あと数歩。
呪いが、彼女を拒絶するように暴れる。
「来るな……!私は……君を……」
殺したくない。
その一心で、必死に歯を食いしばる。
それでも――
呪いは、制御を許さない。
「……っ!」
彼女が、踏み込んだ。
そして――触れた。
血に濡れた私の手を、
彼女の指が、強く握る。
世界が、静まった。
呪いの奔流が、急激に萎む。
「……大丈夫です。安心してください」
彼女の声が、近い。
「私は……ここにいます」
視界が、ぼやける。
「……どうして……」
問いは、弱々しかった。
「嫌われたと思っていました」
彼女は、泣きそうな顔で、でも笑った。
「でも、それでも……あなたが死ぬかもしれない場所に、行かない理由にはなりませんでした」
呪いは、完全には消えない。
だが――暴走は、止まっていた。
「……リリア……」
力が、抜ける。
身体が、崩れ落ちる前に。
彼女が、抱き留めた。
「……戻りましょう」
そう言って。
「一緒に」
その言葉を聞いたところで、
私の意識は、闇に沈んだ。
――彼女の体温を、確かに感じながら。




