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触れれば死ぬと言われた王子に、なぜか平気で触れられる令嬢  作者:


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【1話】誰も触れられない王子の手に、私は触れた

王都の夜会という場所は、私にとって息が詰まる空間だった。


地方伯爵家の令嬢である私――リリア・エルヴァインは、煌びやかな音楽と笑い声に満ちた広間の片隅で、静かに紅茶を口に運んでいた。社交が嫌いなわけではない。

ただ、ここに集う人々の多くが、相手の価値を家柄や噂で測ることに慣れすぎているのが苦手なのだ。


そんな私の視線が、ふと、妙な空白に引き寄せられた。


人で溢れているはずの広間に、ぽっかりと空いた一角。

まるで、そこだけ避けられているかのように。


そこに立っていたのは、王族の正装に身を包んだ一人の青年だった。


白銀に近い髪。紫がかった瞳。整った顔立ちなのに、周囲の誰も視線を合わせようとしない。

近くを通る者でさえ、無意識のうちに距離を取っている。


――あの方は。


答えはすぐに耳に入ってきた。


「第3王子殿下よ」

「やめて、近づかないで」

「触れれば死ぬって……」


ひそひそと交わされる声には、はっきりとした恐怖と嫌悪が混じっていた。


触れれば死ぬ。


あまりにも極端な噂に、私は思わず眉をひそめた。呪いの存在自体は珍しくない世界だが、王子が常時人を死に至らしめるなど、現実的とは思えない。


それ以上に、私の胸に引っかかったのは――彼の表情だった。

誰にも話しかけられず、誰にも近づかれず、それでも礼儀正しく背筋を伸ばして立っている。その姿は、王族というより、処罰を待つ罪人のようにも見えた。


気づけば、私は歩き出していた。


「リリア様……?」


背後で侍女が息を呑む気配がする。


「そちらは……!」


制止の声が聞こえたが、足は止まらなかった。

なぜ止まらなかったのか、自分でもよく分からない。

ただ、あの孤独が、どうしても気になってしまったのだ。


彼の前に立つと、紫の瞳がわずかに揺れた。


「……私に、何か用かな」


低く静かな声。恐ろしさよりも、戸惑いが先に伝わってくる。


「初めまして。リリア・エルヴァインと申します」


私は貴族として当然の挨拶をした。それだけのつもりだった。


――けれど。


次の瞬間、広間の空気が凍りついた。


「待て!」

「触れるな!」


複数の叫び声が重なったが、間に合わなかった。


私は無意識のまま、彼の手に触れていた。


何かが起こるとしたら、今だ。


痛みか、熱か、それとも意識の喪失か。最悪の場合――死。


しかし。


「……?」


何も、起きない。


私は自分の体を確かめるように息を吸った。

苦しくない。

視界も揺れない。

魔力の乱れすら感じない。


ただ、少し冷えた手の感触があるだけだった。


恐る恐る顔を上げると、周囲の貴族たちは言葉を失い、彫像のように固まっていた。


そして。


「……なぜだ」


かすれた声で呟いたのは、彼自身だった。


第3王子は、自分の手と私の手を交互に見つめ、信じられないという表情を浮かべている。


「どうして……君は、平気なんだ」


その声は震えていた。


「私に触れた者は、皆倒れた。体調を崩し、運が悪ければ……戻らなかった者もいる」


私は静かに彼の言葉を聞き、首を傾げた。


「そう言われましても……本当に、何ともありません」


事実だった。

怖さも痛みもない。

むしろ、彼の手は冷えていて、長く放置されてきた人のもののように思えた。


沈黙が落ちる。


やがて、第3王子は小さく息を吐き、苦笑する。


「君みたいな人は……初めてだ」


「初めて?」


「ああ。私に触れて、何も起きなかった人は」


その言葉は、静かで、けれど重かった。


広間のざわめきは、やがて不快な沈黙に変わった。貴族たちは目を逸らし、口ごもりながら退場していく。まるで、私たちの周りだけ空気の色が変わったかのようだった。


「……改めて、君の名前は?」


「リリア・エルヴァインです」


「アルトリア・ヴァレンシュタイン……この国の第3王子だ」


その名は耳に残る響きを持っていた。

けれど、王都で囁かれる噂とは、あまりにもかけ離れている。


「……なぜ、私には何も起きないのかは分かりませんが」

私は軽く肩をすくめる。

「ただ、こうして触れても平気でした」


アルトリア王子は私の言葉を繰り返すように、低くつぶやいた。

「平気……平気……」


その瞳には、驚きと警戒と、そして――どこか安堵の色も混ざっていた。

まるで、長い孤独の中で初めて灯がともったように。


「……リリア、君はなぜ私のところへ?」


「私は……ただ、気になっただけです」

私は正直に答えた。人々の視線から逃げるように立つ彼が、あまりにも孤独に見えたのだ。


アルトリア王子の表情が変わった。ほんの少しだけ、眉が寄せられた。


「孤独……か。そうかもしれないな。だが……近づく者は皆、傷ついた」


「それでも……私は、傷つきませんでした」


その言葉に、アルトリア王子は微かに肩を落とした。

そして、口元に苦笑を浮かべる。


「……君は特別なのかもしれないな」


「特別……?」


「そうだ。こんなことは初めてだ……誰も、私に触れて平気な者はいなかった」


広間の奥で、侍女が小さく息を呑む音が聞こえた。

けれど私は気にせず、アルトリア王子の手をそっと握り返す。


「……あなたは、ひとりで長い間、何を思っていたんですか?」


アルトリア王子は一瞬、答えに迷ったように視線を落とした。

そして、静かに、けれど確かに口を開いた。


「……触れる者の死を、恐れた。人を近づけることさえ、許されなかった……ただ、孤独に耐えるだけの日々だった」


私は黙ってうなずく。

彼の手を握る温もりの中で、初めて彼の人間らしさが伝わってくるようだった。


「でも、もう大丈夫です」

私は小さく微笑む。

「私がいますから」


アルトリア王子の瞳が、僅かに揺れた。

紫がかった瞳の奥で、初めて光が灯ったように見えた。


――この夜会で起こった異常は、噂や恐怖ではなかった。

それは、孤独な王子と、一人の少女が交わした、静かな信頼の始まりだった。


広間の時計が、重々しく時を刻む。

その音すら、二人だけの世界には届かないかのように、静寂は続いた。

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