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記憶のかけらが降る星で___。  作者: 萩原 なちち
47/53

EP34 「湯気の向こうに、忘れたはずのもの」

今回は、少しだけ息抜き回です。

……のはずが、記憶というものは、油断した頃に顔を出すようで。


笑って、温まって、

それでも胸の奥に残る違和感を、

一緒に感じてもらえたら嬉しいです。


記憶のかけらが降る星で___。


EP34 「湯気の向こうに、忘れたはずのもの」


***


「ふんふ〜ん!♡」


 上機嫌な鼻歌とともに、ゼフィールが先頭を歩く。


「大きいお風呂……!」

 ロランは目を輝かせていた。


「……」

 カイは無言で、魂が抜けたような顔をしている。


(チーン)


「……」

 ルシアスは無言だが、どこか落ち着いている。


(準備万端)


「みんな、忘れ物ない〜?」

 リツが振り返った。


「下着……タオル……シャンプー……歯ブラシ……」

 ルシアスは淡々と確認する。


「パンツ忘れた!!!!!!!」


 カイの叫びが、廊下に響いた。


「……」

 ルシアスは一瞬黙り――


「……笑」


(微笑ましい)

 リツは肩をすくめる。


「早く行こぉよ〜」

 ゼフィールが急かす。


「カイがパンツ忘れたって」

 リツがあっさり告げる。


「んもー」

 ゼフィールは呆れたように笑った。

「おっちょこちょいなんだから〜」


***


「お待たせぇ!!」


 走って戻ってきたカイが、ようやく合流する。


「いくよっっ」

 ゼフィールは勢いよく扉を押した。


***


 からん……と、入口の鈴が鳴る。


「こんにちは〜」

 ロランがぺこりと頭を下げる。


「こんにちは〜!何名様ですか〜」

 店員がにこやかに聞いた。


「五人でーす!」


「はい!二千五百円ですね!」


「るんる〜ん!」

 ゼフィールが迷いなく支払う。


「どうぞ〜」


「なんか……!」

 リツが鼻をひくつかせる。

「いい匂い!」


「美しいね……」

 ロランは感動したように見回す。


「ひぇぇぁ!!!」

 カイが声を上げた。

「外で風呂入んの?!?」


「……見たことないな」

 ルシアスも珍しそうに言う。

「すごい」


「俺は……部屋の中だけで……!」


「外の空気を吸いながらお風呂なんて……!」

 ゼフィールはうっとりする。


「いってきまーす」

 リツは、すでに脱ぎ終わっていた。


「ひぃ!!」


「床……滑るから気をつけろよ」

 ルシアスも、いつの間にか準備完了だ。


「う、うん……!」


(あー……)

 リツは振り返りながら思う。

(これ、転んでルシアスにダイブするやつだな。

 防げるけど……)


(……ニヤリ)


「ま、待ってよ〜!!」


 ずるんっ!!


「うわぁぁぁ!!」


「……ッ!」


「……」

(ごめん)

 リツは心の中で謝った。


「うゎぁぁぁぁごめんなあさぁぁい!!」


「……前もって言ったと言うのに……」

 ルシアスはため息をつく。


「ごめんなさい……!」


「……怪我がないならいい」


「なーにイチャイチャしちゃって!♡」

 ゼフィールがにやにやする。


「誤解だ」


「そーんなこと言っちゃって!♡」


「ほっとけ」


 カイの顔が、みるみる赤くなる。


「何赤くなってんだ、バカ」


「ねー!」

 ロランが声を上げた。

「これ、すごーい!」


「ボコボコしてる……!」

 リツも覗き込む。


 笑い声と湯気が、夜空に溶けていった。


 張り詰めていたものが、

 ほんの少しだけ、ほどけた夜だった。



(ひー……!

 早く洗って、湯船に……!)


 カイは落ち着かない様子で、手早く体を洗う。


 その横で、ルシアスはゆっくりと動いていた。

 長い髪を指で梳き、泡立て、丁寧に洗い流す。


 湯気の向こう、その横顔がやけに穏やかに見えて――


「……」


 思わず、声が零れた。


「……綺麗だよな……」


「……ん?」


「いゃ?!?」


 自分でも何を言ったのか分からなくなって、

 カイは勢いよく視線を逸らす。


「……?」


「お、お風呂入ろーっと!!」


「……??」


(危ねぇ!!)


 逃げるように湯船へ浸かる。


「あ、あったけぇ……」


「ボク、泳いじゃお〜」

 ゼフィールが腕を伸ばす。


「美しくないよっ!!」

 ロランが即座に止めた。


「……しゅん……」


「このボコボコ……気持ちいい」

 リツは壁にもたれ、目を閉じる。


(裸は……恥ずかしいけど……)


 カイは、湯に肩まで浸かる。


(なんだか……疲れが、お湯に溶けていくみたいだ……)


 その隣に――


 静かに、ルシアスが入ってきた。


「……!」


「……仕事はどうだ?」


「……まあまあ」


「……って」

 ルシアスは少し間を置く。

「まだ入って、数日か」


「あ、うん……」


「いきなり地球だったもんな」

 湯をすくいながら、続ける。

「いつもは、仲間が入る時に歓迎会をやるんだが……」


(知ってた)


 カイは、胸の奥で呟く。


(覚えてないことなんて、分かってる。

 でも……やっぱり、少し……)


「今度、絶対やろう」


「……たのしみにしてるよ……」


 声は、少しだけ震えた。


(初めての歓迎会。

 保証人がどうとか、変なこと言うから……

 婚約と勘違いしたんだっけ)


「……」

 ルシアスが、ふと眉を寄せる。


「……なんだか」

「少し前に、歓迎会をしたような気がするんだが……」


「……え?」


 心臓が、跳ねた。


「……誰の歓迎会だったんだろう」

「……気のせいか」


(俺のだよ)


 喉まで出かかった言葉を、飲み込む。


(言えたらな……)


 記憶が、勝手に溢れてくる。


(一緒に試験を受けたこと……

 おじいさんに薬々草を届けたこと……

 家の床を直したこと……

 あの日……

 俺が泣いた日……

 頭を、撫でてくれたこと……)


(……全部)


(全部……)


「カイ……?」


 不意に、ルシアスの声。


「……なんで、泣いてるんだ?」


「……え……」


 頬に触れて、初めて気づく。


 湯に紛れていたはずのものが、

 静かに、溢れていた。


***

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


温泉という何気ない時間の中で、

「覚えていないはずのもの」と

「覚えてしまっているもの」が、

静かにすれ違う回になりました。


ルシアスが感じた違和感も、

カイが飲み込んだ言葉も、

まだ名前のつかない感情のままです。


それでも、

確かにそこに“何かがあった”ということだけは、

もう消えないのかもしれません。

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