EP34 「湯気の向こうに、忘れたはずのもの」
今回は、少しだけ息抜き回です。
……のはずが、記憶というものは、油断した頃に顔を出すようで。
笑って、温まって、
それでも胸の奥に残る違和感を、
一緒に感じてもらえたら嬉しいです。
記憶のかけらが降る星で___。
EP34 「湯気の向こうに、忘れたはずのもの」
***
「ふんふ〜ん!♡」
上機嫌な鼻歌とともに、ゼフィールが先頭を歩く。
「大きいお風呂……!」
ロランは目を輝かせていた。
「……」
カイは無言で、魂が抜けたような顔をしている。
(チーン)
「……」
ルシアスは無言だが、どこか落ち着いている。
(準備万端)
「みんな、忘れ物ない〜?」
リツが振り返った。
「下着……タオル……シャンプー……歯ブラシ……」
ルシアスは淡々と確認する。
「パンツ忘れた!!!!!!!」
カイの叫びが、廊下に響いた。
「……」
ルシアスは一瞬黙り――
「……笑」
(微笑ましい)
リツは肩をすくめる。
「早く行こぉよ〜」
ゼフィールが急かす。
「カイがパンツ忘れたって」
リツがあっさり告げる。
「んもー」
ゼフィールは呆れたように笑った。
「おっちょこちょいなんだから〜」
***
「お待たせぇ!!」
走って戻ってきたカイが、ようやく合流する。
「いくよっっ」
ゼフィールは勢いよく扉を押した。
***
からん……と、入口の鈴が鳴る。
「こんにちは〜」
ロランがぺこりと頭を下げる。
「こんにちは〜!何名様ですか〜」
店員がにこやかに聞いた。
「五人でーす!」
「はい!二千五百円ですね!」
「るんる〜ん!」
ゼフィールが迷いなく支払う。
「どうぞ〜」
「なんか……!」
リツが鼻をひくつかせる。
「いい匂い!」
「美しいね……」
ロランは感動したように見回す。
「ひぇぇぁ!!!」
カイが声を上げた。
「外で風呂入んの?!?」
「……見たことないな」
ルシアスも珍しそうに言う。
「すごい」
「俺は……部屋の中だけで……!」
「外の空気を吸いながらお風呂なんて……!」
ゼフィールはうっとりする。
「いってきまーす」
リツは、すでに脱ぎ終わっていた。
「ひぃ!!」
「床……滑るから気をつけろよ」
ルシアスも、いつの間にか準備完了だ。
「う、うん……!」
(あー……)
リツは振り返りながら思う。
(これ、転んでルシアスにダイブするやつだな。
防げるけど……)
(……ニヤリ)
「ま、待ってよ〜!!」
ずるんっ!!
「うわぁぁぁ!!」
「……ッ!」
「……」
(ごめん)
リツは心の中で謝った。
「うゎぁぁぁぁごめんなあさぁぁい!!」
「……前もって言ったと言うのに……」
ルシアスはため息をつく。
「ごめんなさい……!」
「……怪我がないならいい」
「なーにイチャイチャしちゃって!♡」
ゼフィールがにやにやする。
「誤解だ」
「そーんなこと言っちゃって!♡」
「ほっとけ」
カイの顔が、みるみる赤くなる。
「何赤くなってんだ、バカ」
「ねー!」
ロランが声を上げた。
「これ、すごーい!」
「ボコボコしてる……!」
リツも覗き込む。
笑い声と湯気が、夜空に溶けていった。
張り詰めていたものが、
ほんの少しだけ、ほどけた夜だった。
(ひー……!
早く洗って、湯船に……!)
カイは落ち着かない様子で、手早く体を洗う。
その横で、ルシアスはゆっくりと動いていた。
長い髪を指で梳き、泡立て、丁寧に洗い流す。
湯気の向こう、その横顔がやけに穏やかに見えて――
「……」
思わず、声が零れた。
「……綺麗だよな……」
「……ん?」
「いゃ?!?」
自分でも何を言ったのか分からなくなって、
カイは勢いよく視線を逸らす。
「……?」
「お、お風呂入ろーっと!!」
「……??」
(危ねぇ!!)
逃げるように湯船へ浸かる。
「あ、あったけぇ……」
「ボク、泳いじゃお〜」
ゼフィールが腕を伸ばす。
「美しくないよっ!!」
ロランが即座に止めた。
「……しゅん……」
「このボコボコ……気持ちいい」
リツは壁にもたれ、目を閉じる。
(裸は……恥ずかしいけど……)
カイは、湯に肩まで浸かる。
(なんだか……疲れが、お湯に溶けていくみたいだ……)
その隣に――
静かに、ルシアスが入ってきた。
「……!」
「……仕事はどうだ?」
「……まあまあ」
「……って」
ルシアスは少し間を置く。
「まだ入って、数日か」
「あ、うん……」
「いきなり地球だったもんな」
湯をすくいながら、続ける。
「いつもは、仲間が入る時に歓迎会をやるんだが……」
(知ってた)
カイは、胸の奥で呟く。
(覚えてないことなんて、分かってる。
でも……やっぱり、少し……)
「今度、絶対やろう」
「……たのしみにしてるよ……」
声は、少しだけ震えた。
(初めての歓迎会。
保証人がどうとか、変なこと言うから……
婚約と勘違いしたんだっけ)
「……」
ルシアスが、ふと眉を寄せる。
「……なんだか」
「少し前に、歓迎会をしたような気がするんだが……」
「……え?」
心臓が、跳ねた。
「……誰の歓迎会だったんだろう」
「……気のせいか」
(俺のだよ)
喉まで出かかった言葉を、飲み込む。
(言えたらな……)
記憶が、勝手に溢れてくる。
(一緒に試験を受けたこと……
おじいさんに薬々草を届けたこと……
家の床を直したこと……
あの日……
俺が泣いた日……
頭を、撫でてくれたこと……)
(……全部)
(全部……)
「カイ……?」
不意に、ルシアスの声。
「……なんで、泣いてるんだ?」
「……え……」
頬に触れて、初めて気づく。
湯に紛れていたはずのものが、
静かに、溢れていた。
***
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
温泉という何気ない時間の中で、
「覚えていないはずのもの」と
「覚えてしまっているもの」が、
静かにすれ違う回になりました。
ルシアスが感じた違和感も、
カイが飲み込んだ言葉も、
まだ名前のつかない感情のままです。
それでも、
確かにそこに“何かがあった”ということだけは、
もう消えないのかもしれません。




