光の向こうと闇の入り口
その手を握った瞬間、体という感覚は無くなり私は”意識”だけの存在となった。
光の通路をめまぐるしいスピードで駆け抜けていく。
いくつもの世界を感じた。
色々な生物を見た。
色々なにおいをかいだ。
色々な音を聞いた。
それは幾千年という長い年月だった。
そしてそれは同時に瞬きほどの刹那の一瞬でもあった。
混じりあって分離して。
生まれて、死んで。
"私"はすでに"私"ではなくなり、そこに"個"としての意識はなく、ただただ海のように広がる大きな"全体"に溶け込む一部でしかなかった。
ゆらゆらとたゆたいうかぶわたしはわたしでわたしじゃない。
時間の感覚もなくなった中、突然”私”は、その心地よい空間から投げ出されたのだ。
*
「きゃっ!!」
木の床に体を打ち付けた。
むき出しの腕と足が触れる床はひんやりとしている。
薄暗い…けど、どことなく部屋の形は古い日本の家屋を連想させた。
「ここは…?」
「やっとみつけた」
女性の声がした。
視線をさまよわせ、やがて部屋の奥へと視点が定まる。
おそらく隣の部屋へと続くのだろう場所にはそこを隠すように幾重にも吊るされた青い布があり、その布をかきわけるように白いドレスを着た美しい女が現れた。
見たこともないほどの美しさとはこのことを言うのだろうか、ただ状況が理解できず呆然とする美阿の目の前まで来た女性はそのまま両膝を床に突き頭を垂れた。
「初めまして"金の使徒”。私はラクーシュの巫女姫セリス・デ・ラクーシュ・センチュア。セリスとお呼び下さい、異界の客人よ」
「えっ!?あっ…わっ私は藤本美阿…ミアです!あの!頭上げてください!!」
美人に頭を下げられるのは何とも居心地の悪いものだ、あわてて自分も名乗ればセリスはクスリと微笑み頭を上げた。
「はい、ミア。失礼ですがミア、今この状況を理解しておいでですか?」
「えっと…いえ全然…」
申し訳なさそうい応えるとセリスはかぶりをふった。
「私は貴女に謝られねばなりません。無理矢理あなたをこちらの世界に連れてきてしまったのはこの私。ここはあなたの住む世界とは別の空間に位置する"世界”です。あなたからみればここは"異界”」
「異界?」
「はい。この世には目に見えぬ世界がいくつも隣り合わせに存在しているものなのです。本来ならばその数多の世界に触れ合うことなく、その世界で生まれた命は己の世界で生を終えるもの。しかしごく稀に他の界に迷いこまれたり、貴女のように召喚される方もいらっしゃるのです」
セリスはその柳眉を哀しげにひそめる。
「今、私の国…いえ、この世界は滅びの道を歩んでおります」
「あなたが助けてといったのはこの世界のこと?」
「そうです。あなたはこの世界の救済者となるべき星をお持ちの方。幾千の世界を渡り、幾千の魂と触れ合ってきたあなたならわかるはず、この世界があなたを必要としていることを」
セリスの言葉にとくんと心臓がはねた。
あぁそうだね、わかる、わかるよ。|この世界が私に手を伸ばしているのが視える《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。
「元の世界には戻れるの…?」
セリスは顔を曇らせ、かぶりを振った。
「わからないのです…役目を果たしたあなたが無事元の"界”に帰れるのか…私は呼ぶことしか知らない…伝承によれば貴女のようにこちらへ招かれた異界の客人は使命をなし終えた後、元いた世界に帰って行ったとありますが、確信はありません」
そこで再びセリスはその額を床にこすりつけた。
「ミア、ごめんなさい…私たちの都合で関係の無いあなたを巻き込んでしまって。しかしこれは全て私が独断で行ったことなのです!どうか怒りをぶつけるのなら全て私に!!必ず!!私の命に代えてでも必ずあなたを元の"界”へ帰すことを誓いますっ…だからお願い、この世界を助けていただきたいのですっ」
「セリスさん…」
泣き崩れるセリスの肩にそっと手を添える。
「こんな私でも必要としてくれるのなら私は力になる。だから私はあなたの手をとったんです」
胸の奥で何か熱いものが湧き上がる。
暖かい。自分が変っていくような気がした。
いくつもの星の海を越えていくつもの命を見て、手に入れたこの気持ち。
「それにね、大切な友達に”いってきます”っていってきちゃったの」
今までにない高揚感…これまでの私に足りなかった”気持ち”があふれている。
"私"を必要としてくれる人がいる。そして"私"を待っててくれる人がいる。
「だから”ただいま”っていわなくちゃいけないの。私には帰る場所がある、だから帰れる、絶対に帰れるから。だからそんなに泣かないで?自分を責めないでください」
床に散らばる金色の髪が波打つ金穂のようだと思った。
手をとりその体を起こさせる。蒼い瞳からは滴がポロポロと溢れているがその美しさに遜色はない。
あぁなんて綺麗な人なんだろう。
「絶対大丈夫だから」
そういってとった手に力を込めれば、彼女も手を握り返してくれる。
瞳には涙を残したままそれでも嬉しそうに笑ってくれた。
「ミア」
セリスが何かをいおうと口を開こうとしたその時―・・
「―・・っ!?」
「セリスさんっ!?」
セリスの体が突如、蜃気楼のように揺らいだかと思えばその体は突然水となって崩れて消えてしまった。
「何?ー・・っ!?」
ぐいっと強い力で後ろ髪をひっぱられる感触。飛ぶ意識。
そして美阿も再び別の空間へと引っ張られてしまった。
*
ミアとの接触のために作った空間から無理矢理魂を引き戻され肉体へと帰ってくる。
半ば強引なやり方で強制的に魔法を終了させられたため水鏡にひたしていた顔をあげるとセリスは空気を求め大きくむせかえった。
「お役目ご苦労、セリス姫」
耳元で囁かれた声にセリスはぎょっとする。
「っ!?カ…ルジっ…!?」
背後からセリスの体を包むようにカルジがいた。
「見事、異世界から"金の使徒”を呼び出されましたね。さすがは稀代の巫女姫様」
その手がセリスののど元に優しくまわされる。
「彼女を何処にやったのです!?」
「ご安心下さい、"金の使徒"は我々が丁重に保護させていただきました。わが国のために大事につかわさせていただきますよ」
「あなたという人は―・・っ!」
体をひねり背後の男へと抗議の言葉をつむごうとしたが、その口はカルジによって塞がれてしまう。
「んっ―・・っ!!無礼者っ!!」
小気味の良い音が暗い室内に響く。
頬を打たれ顔にかかった黒髪から紅い瞳がのぞいた-・・ひんやりと冷たい瞳に背筋がぞくりとする。
か弱いセリスの平手打ちなどどうということはないのだろう、口元は笑っている。
「…しかし困りました、これだけの結界の中でもそのように"力”が使えるとは…いたしかたありませんね」
「あっ」
カルジはセリスを有無を言わせぬ力で引き寄せるとその場に組み敷いた。
「何をっ」
「力を弱めさせていただきます」
その束縛から逃れようともがくが両腕を頭の上で押さえつけられ身動きをとることすらままならない。
冷たい瞳と人形のように笑んだ唇が近づきそっと耳元で囁かれた。
「…捕虜となった女がどのような仕打ちを受けるか、姫はご存知でしょう?」
セリスはその言葉に顔を青白く染めた。
引き裂かれた純白の花嫁のドレス。
激しく振付ける雨音が五月蝿い。
部屋に響くは声にならない悲鳴。
伝う涙、汗。肌に落とされる口付け。
白い肌と逞しい肌が絡み、睦みあう。
激しく降り続ける雨。雷鳴が轟く。
何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し突きつけられる―・・
あぁ、雨が…
床に散らばった白金の髪を思いのほか優しい手つきで男の手が梳いていく。
「何故…?」
白い裸体を隠すことも出来ずにぐったりとした女のかぼそい声が、熟れた赤い唇から紡がれた。
「もう、やめて……こんなことは…お願い」
はらはらと涙に濡れる顔は何と美しいことだろう。
その頬に手を伸ばしその涙を拭う。
それでもとめどなく流れる涙を口で吸い上げた。
「世界を…壊さないで」
金の一房を手に絡ませそっと口付ける。
「嫌です」
雨はやむことなく強く強く振り続けた。