変動b
信じられなかった。否、信じることを拒絶したかった。
嘘だ、と信じられない、と叫びたかった。叫べばそれが吹き飛びなくなってしまうのではないかと…しかしそう思えば思うほど先程の光景が目裏をよぎり、それをふり払うかのように首をふる。
先を行くメシーが、遅れをとる私に罵声を浴びせた。
「こらっなにしとんねんっ早よこいっ!」
「わかっている!…くそっ、邪魔だ!」
右手の剣を握りなおすと、脚が太ももまであらわになるのもかまわずドレスの裾を大きく裂いた。
「借りるぞ、メシー!」
自由になった足で駆け、メシーの肩を使って高く跳躍すると物陰に潜みこちらを狙っていた弓兵達に太ももに忍ばせていたダガーを投げつける。
後ろに崩れ落ちる体をそのままの勢いで踏みつけ着地するが止まりはしない、走り続けるのみだ。
(畜生っ)
何故こうなったのか。何が悪かった、どこから間違った。
悔いてもやり直せるわけではない、だがその腹立たしさに、自分の不甲斐なさに唇がちぎれるのではないかと噛締めた。
*
カルジに降りかかる騎士達の剣。
だが実際になぎ倒され血潮をあげるのは、剣を振り上げた強者ぞろいの騎士達だった。
次の一振りで将軍の一人であるメジィの巨体を壁に打ちつけ、血の海の中で佇み嫣然と笑う悪魔。
悪魔は首から下げていた黒い石を高々と見せつけた。
―・・これが何かおわかりか?
それに驚き眼を瞠る王と、青ざめる王妃
―・・貴様、正気かっ!?
―・・トリス、メシーっこちらへ!!
交錯する父と母の声。
母が玉座の後ろの隠し扉を開ける。
―・・”奥の宮”を守りなさい
守ろうとした母の細い手につきとばされる私たち
扉の向こうへと滑り落ちる体、悲しく笑う母の顔、剣を構えた父の後姿
―・・父上!!母上!!
―・・お願いトリス
その二人の後ろで悪魔は笑っていた。
―・・正気ですとも
と。
*
「トリス!」
私たちは"奥の宮”まで続く道を全速力で駆ける。
「何だ!?」
「奥の宮いうたら王妃様の御寝所やろ!?何かあるんか!?」
「あぁ、王族の、それも限られた者しか入れない場所。奥の宮の更に奥に崖の中に作られた古い神殿がある、おそらくは」
「そこを守れってことか!?えぇいっこなくそっ!」
次々と溢れる黒ずくめの男達に邪魔され一向に前に進めない。
やっとのことで外に出た、本城の北側だ。このまま更に小さな森を抜け北に進めば奥の宮へ辿り着ける。
「来い!"ランドウ"」
メシーが自らの機獣を機獣石から呼び出した。
風を巻き起こしそこに現れたのは、身の丈4ツィート程の暗褐色に光る鎧を身に着けた機獣。
「トリス、ここは自分がくいとめるでお前は行け!!」
「すまんっ」
「いくで、ランドウ!!」
『承知』
その声を後ろに走り出す。
走りながら私も紅い機獣石を額飾りから引きちぎった。
「疾くこよっ!グランディ!!」
声高々に己の機獣の名を呼ぶ。
走るトリスの横に紅い風とともに真っ赤な機獣が現れた。
『御主、肩へ』
「行くぞグランディ!!」
その肩へと飛び乗れば私の機獣は速度を上げて一目散に森を駆けた。
背にした城のあちらこちらから、爆音や悲鳴が聞こえてくる。
その音にくっと唇をかみ締めた時だ、ふっと上に影が差した。
「!?」
見上げれば黒い船底をさらけだした飛行船が数隻目に飛び込んでくる。
明らかに招待客たちが乗ってきた外交用の客船とは違う…どうみても軍艦にしか見えないそれらは、堂々とラクーシュの空を旋回しているではないか。
「あれは、まさかモーティア艦隊!?」
『御主!上空に熱源感知っ』
船底に設置されている副主砲の機首がこちらに向けられ、発射された。
「走れ!」
グランディが更に速度を増す。
爆音がすぐ後ろで聞こえた。
次に直撃した地面がえぐれ土砂が飛びちり、熱と光を伴って衝撃波が背中を押した。
「くっ!」
直撃は免れたが、安全圏からは脱出しそこねたようだ。爆風によってグランディから転がり落ちそのまま前方に飛ばされ奥の宮へ入る階段に背中を盛大に打ち付けた。
「っ…」
打ち付けた背中が熱を持つ、どこかひびが入ったかもしれない。だがそんな事に構っている暇はない。
「グランディ、ここを死守せよっ」
『御意』
引きずるように身を起こし、剣を握り締め壁伝いに宮の中へと入る。
目指すは奥の宮の更に奥。
元々奥の宮は王城の最北端-・・霊峰カカザの裾山の切り立った崖に寄り添うように立てられている場所だ。
宮を進めば進むほどにその作りは人の手によって汲み上げられたものから自然の岩肌を削られて出来た内装へと変わっていく。
そしてその一番際奥、ほとんど細工を施さずただ崖の一部を切り出しただけのような所にその神殿はあった。
大神殿のように大きくはない、ただ一室だけの古びた原始的な神殿ではあるがそこを覆う空気は俗世とは違うものだ。
壁には消えることの無い炎が揺らめき、中央に座している巨大な石像を照らしていた。
それはラクーシュの守護神といわれる光神ライツオーネ。
「ふっ」
それを見上げ私は思わず身の内に凝固まっていた"怒り"を吐き出してしまった。
「何が光神か!?何が守神か!?」
額飾りから引きちぎり今は左手に握られている機獣石を通じて、グランディが外で多くの敵と交戦しているのがわかる。
額の石の向こうからは伝わる波動は彼の苦いうめき声を頭の中に響かせる。
(持ちこたえよ、グランディ)
「貴様が真の守り神ならば今こそ動け!わが国を守ってみよ!」
この巨大な石像は元々は機獣だったという。
全ての機獣の祖にして"神"だという。
「どうした!動かぬか!?」
遙か昔、戦乱の時代、ラクーシュ王家の祖はこのライツオーネを扱うことの出来る"金の使徒"と呼ばれる異界の人間とともに、荒れ狂う土地を平定しこの国を築いたそうだ。
やがて役目を終えた"金の使徒"はもといた世界へと帰り、ライツオーネは石となり眠りについた。
「何のための守り神か!?それではただの木偶の坊ではないかっ!!」
国が危機に陥ったとき光神は金の使徒とともに再びこの地に蘇り、国を救うと。
(救うのではないのか?今こそ国の危機であろう!?)
父を、母を、姉を、仲間を、この国を!!
「それとも伝承通り金の使徒がいなければ動かぬかっ!!この役立たずめ!」
猛々しく罵声を浴びせ続けるが石像は何も返しはしない。岩壁に己の声がむなしく響き渡るだけだ。
その代わり脳裏にグランディの声が強く響いた。
(『御主―!!』)
-・・あの男だ!
グランディの胸に剣が深々と突き刺さる…その光景が脳裏によぎった。
(『も…うし訳』)
グランディとの接続が切れると同時にそのダメージが我が身へと襲い掛かり、口から血の塊を吐いた。
足から崩れ落ち地に伏せる。
「がっ…はぁっ…ぁ…」
肺から漏れる息は頼りない。
実際に剣をつきたてられたのは自分ではないからその胸から血が溢れることはないにしろ、内部を焼き尽くすような痛みは本物だ。
痛みと喉元に溢れる血のせいで上手く呼吸が出来ない。
「ほぅ、このようなところにおられたか」
「!?」
顔を上げれば入り口に寄りかかるようにして奴が立っていた。
「カルジっ…貴様ぁっ!!」
「貴公の機獣一体では盾の役目は荷が重すぎたようだ」
「黙れっ!!この裏切り者!!ここから生きて帰れると思うな!」
痛みなど知ったことか、溢れる怒りの前ではそんなもの無意味だ。
剣を手に地を蹴り跳びかかった。
「まだ立つというか、その傷でこの私に勝つと?くくっ…」
その頭蓋をかち割ってやろうと振り下ろされた剣はしかしあっさりと防がれてしまった-・・剣と剣がぶつかり合い火花を散らす。
「私は裏切ってなどいませんよ、トリス将軍」
トリスの赤い瞳とカルジの紅い瞳がぶつかりあう。
「私の名はカルジ・ド・モーティア・グリセトン。皇帝ラード・ド・モーティア・ジャジャリーの第36子なのですから」
「!?」
剣が弾き飛ばされる。
「ぐっっ」
次いで鳩尾にくる衝撃。無様にもバランスをとることができず仰向けで体を冷たい石の床に滑らした。力が入らない、跳ね上がる体、頭を打ち付け軽い脳震盪をおこした。息が荒い。だがそんなものっ
だが、どれだけ勇んでも声が出ない。変わりに漏れるのはひゅーひゅーとした自分の呼吸音。五月蝿い。痛む腹の底からふつふつとわきあがるのは憎悪、憎しみ、怒り。
剣をとれ!と体に命じても腕が上がらない。探る指先にあたるのは岩肌のみ。
ちかちかと、視界が定まらない。その中で見下すように悪魔が覗き込んでいる。
(私は、死ぬのか…?)
「さらばだ、紅姫」
冷く剣先が閃く。
死ぬ。
(死ぬなどっ)
唯一自由になる眼をかっと見開き、いっそこの眼力だけで折れてしまわぬものかとその剣先を鋭く睨み付けた。
―・・トリス
姉の声が聞こえた気がした。
(姉上っ)
剣が振り下ろされようとした、まさにそのとき。
部屋が光に満たされた。
「何だ…アレは…?」
果たして二人のうちどちらが呟いた言葉か…
*
ここは何処だ?
今まで暗くて何も無い場所に漂っていたのに突然そこから放り出された。
そこを出される前に声を聞いた気がした。
まだ若く、未熟だけれども紅く燃え滾る魂の声を聞いた。
こちらに放り出されると同時に肉体が構成される。
あたえられた瞳に容赦なくはいってくる光に耐え切れずに瞬きを数度繰り返しようやく目がなれ、視線を感じ足元をみればそこには人間が二人いるでないか。
驚きを隠せない顔でこちらを見ている。
その一人の小柄な人間と眼が合った。
こいつだ。
こいつが自分を呼んだのだ。
面白い、実に愉快だ。
「おい、娘」
自分が声を掛けるとその人間の娘はさらに驚きを深くする。
久方ぶりの人間。その一つ一つの反応が懐かしい。
「お前に力を貸してやるよ」
*
何だ…この子供は?
突如として光とともに現れた男とも女とも区別の付かない美しい金色の髪の子供…いや人間ですらないのかもしれない。
その金の瞳と眼が合った。
ざわ―・・
肌があわだつ。
見透かされた気がした。
自分の全てを覗き見られた気がした。
「おい、娘」
やはり男とも女ともいえぬ中性の声がその口からこぼれる。
私はその姿に魅せられて…
「お前に力を貸してやるよ」
知らず内に頷けば、にっとそれは笑った。
-・・契約は完了した。
大きな地響きが鳴り響く。震えているのは地面か神殿か…いや違う。
今まで微動だにしなかった石像がその身を震わしているのだ。
体を覆っていた石皮がベリベリとはがれ、その巨体が作る振動が神殿を揺るがしていく。
ついに止まらぬ揺れに神殿の天井が崩れ始めた。
「くっ」
我に返ったカルジは落下物をさけ奥の宮を急ぎ出る、すると宮の前で黒い機獣がカルジを出迎えた。
『カルジ様、この"気"はまさか?』
「金の機獣が目覚めてしまったようだ。」
『何とっ!?では金の使徒がっ!』
「いや違う…アレは」
奥の宮が大きく崩れていく。そして瓦礫の間からみえる"あの影"
「来たか」
『いかがなさいますか?』
「退く、後は兄上殿の飛空艦にでもがんばっていただくとしよう。目的のモノは手に入れたからな、長居は無用だ」
『御意』
黒い機獣はカルジを抱えると空へと飛び立った。
「カルジ将軍より入電。”我一時帰還セリ。奥ノ宮ヨリイデシ機獣心シテカカレ”」
部下の報告にモーティア帝国第六皇子ライオスは鼻で笑った。
「フンッ。大口をたたいておいて逃げ帰るかカルジめ。それとも妾の子としての分をわきまえ私に最後の手柄を譲ったか…まぁいい、主砲用意!!」
瓦礫からゆっくりと姿を現した金の機獣を指差し高々と号令を発する。
「あの金の化け物の胸を貫け!!撃てぇ!!」
大きな音を立てて主砲が発射される。
しかしそれは金の機獣の胸を貫くことはおろか、その身に届くこともなく透明な壁のようなものに阻まれ霧散した。
『愚かな人間どもよ』
くぐもった声が当たりに響き渡る。
金の機獣は背中に帯刀していた2本の湾曲した剣を抜き放つ。
『我が安息の地にて矛を突き立てたこと、後悔するがよい』
剣が投げられた。
ブーメランのように空を飛んだそれは、まるで生き物のように軌道を変え砲弾をよけると数十隻とあった艦隊を次々に吹き飛ばし一瞬にしてその数を三分の一にまで減らしていく。
「なっなんだと!?」
戻ってきた剣を掴み再び構えた金の機獣を見て、ライオスは自分の血の気が引いていく音を聞いた。
力の差が違いすぎるっ…
「ほっ本艦は離脱するっ!他船は本艦の援護にあたれっ!」
上ずった声で命令を発するライオスの言葉を部下が復唱すると同時に他の部下が新たに報告を上げた。
「本艦に接近する高速物体有!別の機獣です!」
「何っ!?」
ライオスは反射的に前方を見た。
薄い雲を突き抜け紅い機獣が戦艦の目前に出現する。
ガラス越しに見る紅は鮮烈で…ライオスはその背に乗る機獣の主人と目が合った。
ほんの少し前にもっと近くで見たというのに、その時とはその"色"が全く違う。
紅蓮の炎が燃えている。そっと動いたその紅い唇がの動きに目を奪われてしまう。
(堕チロ)
何故彼女が”戦場の鬼姫”、”紅姫”と呼ばれるのか。
ライオスはそれを今、身をもって体感したのだ。
-・・船は炎に包まれ落ちていった。
*
「引き上げたようだな」
ソレは黄金に輝く機獣とともに地に沈み行く夕日を見ていた。
「だがそれも暫くの間だけだ。すぐに体勢を立て直して攻めてくるだろうさ」
「おまえは」
トリスはグランディによりかかり疲れきった声を出した。
「何だ?」
「一体何者…いや、一体何なんだ?」
ソレはクスリと笑った。
「何…か。さて、何だろうな?」
「…力を貸してくれるのは今回だけなのだろう?」
「あぁそうだな。今回は異例中の異例だ、お前の強い思いにたたき起こされただけだからな」
「また眠るのか?」
「あぁ眠る」
「もう起きないのか?」
「さてどうだろうな?それを決めるのは我が使徒だけだ」
トリスは眉を顰める。
「使徒は現れるのか?」
「あぁ」
「いつだ?」
「知らん」
ソレの姿が日が沈むとともに薄くなっていく。
「姉上は無事なのか?」
「その姉が我が使徒をこの世界へと導く」
「…そうか…無事なのか」
「さて、そろそろ時間だ」
ソレの姿は消え、声しか聞こえなくなってしまった。
「またすぐに合えるか?」
「それも我が使徒による」
「必ず…見つけ出して見せるさ」
「私をあまりまたせるなよ?」
それきり声がしなくなってしまった。
ソレの存在ももう何処にもなく、横を見上げれば金の機獣は再びその身を巨大な石像と変えていた。
『御主・・』
「姉上は生きておられるのだな」
「トリス!!」
遠くで自分を呼ぶ声がした。
メシーとチェーチだ。
他の仲間は無事だろうか。国は…どうなった?
行方不明者の捜索、外交問題の解決、建築物の再建、死者の弔い…帝国との…
これからやるべき沢山の事柄が頭の中を駆け巡る。
「あぁ…今日から私が王、か」
小さく呟いた彼女の独り言を聞くものはいない。
夕闇の中、紫色の空の中に一番星が光った。
ラクーシュ王国建国以来、初めての女王が今ここに誕生する。
ラクーシュ暦731年。春を迎えて間もない日の出来事であった。
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