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ラクーシュ戦記  作者: 墺離
美阿の章
26/26

悪夢


 熱い


 体中のいたるところから汗が吹き出てくる。


 体の奥がとても熱い。

 このままでは内臓が溶けて汗と一緒に流れ出てしまいそうだ。


 苦しい 苦しい


 重い瞼を開けて見れば、血が…手に血がついている。


 コレハ誰ノ血?


 これは、これは…


 『…ひぃっ!?』


 気が付けば血は手だけじゃなく、服にも足にもたっぷりと染み込んでいる。


 顔を上げて辺りを見回せば、一面に広がるのは人、人、人、ひと、ヒト…人だった(・・・)もの。

 事切れ、血に濡れた骸の数は幾十、幾百、幾千。

 それが四方に果てしなく続いている。それこそ地平線すら埋め尽くすまでに…


 『やっ、』


 コト、と音を立てて足元で何かが動いた。

 視線を下げれば、そこには空ろな瞳でこちらを見上げてくる男か女かも分からぬ生首が一つ。


 目があった。その朽ちて爛れた唇が微かに動き呟いた。


 (ソレハオ前ガ殺シタ私タチの血ダヨ)


 『っっっっっっっっっ』


 言葉にならない悲鳴が喉元から溢れた。




                     *




 「いゃぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁぁぁ!!!!!」


 突如、静まり返っていた艦隊の中に耳を(つんざ)く様な悲鳴が響いた。

 その声が今から訪れようとしていた部屋から響くものだと分かると、トリスはその足を速めた。


 「どうした!?」


 ノックもなしに扉を開ければ部屋の中央、寝台の上で言葉にならない悲鳴を上げ悶絶する少女と、それを押さえつけている女兵士たちの姿があった。


 「陛下!それが、目覚めた途端に暴れ始めてっ」


 「いかんっ、なんでもいい!口の中に何か詰め込め!!そのままでは舌をかむぞ!!」


 トリスに続いて入ってきた老医師の指示により、兵士じゃ手早く側にあったタオルをその口の中にねじ込んだ。


 「~~~~っ!!~~~っ!!!!」


 少女の目は焦点定まらず大きく見開かれ、なおも暴れ続ける全身からはおびただしい量の汗が噴出している。


 「一体これは…」


 老医師は押さえ込まれている少女に近づくと脈を取り、その虚ろな目の中を覗き込んだ。


 「間違いございません、これは中毒症状でございます陛下」


 その言葉にトリスは苦々しげに重く息を付いた。


 「やはり薬を使われていたか」


 「一定時間ごとに使用されていたのでしょう。今はそれが切れて激しい乾きと熱に侵されております。しっかりとおさえていなさい」


 最後の言葉は兵士達に向けられた。

 老医師は鞄の中から注射器を取り出すと、少女の二の腕に打ち込んだ。

 薬は即効性のあるようのもので、しばらくするとその身体からは力が抜けていき、だんだんとその瞳が閉じられた。


 「これで暫くは落ち着くでしょうが、薬が切れればまた暴れだすでしょう。陛下、この少女を保護なされたのは何時でしたか?」


 「昨日の夕刻だ」


 「ふむ、約一日…といった所ですか。ならば後一刻ほどで鎮静剤もその効力を失うでしょうな」


 「体内に残された薬物を完全に取り消すまでどのくらいかかる?」


 「そうですな…半年近く使用されていたと見ると、酷かもしれませんが一ヶ月近くはこのベットの上に縛りつけて毒抜きさせるしか」


 「そして一ヶ月間地獄の業火に焼かれ続ける、か。では聞こう。医者としてこの少女にその苦痛を一ヶ月きる抜ける体力があると思うか?」


 「いいえ、残念ながら」


 それは少女の死を意味する。


 「他に手はないのか?」


 ううむ、と老医師は考え込む。


 「こういった薬物に関しては私よりもメシー将軍の方がお詳しいはず。あの方ならば短期間で毒抜きがすむ中和剤や解毒剤に心当たりがございましょう…が」


 「あぁ、あいつは前線だ。急いで呼び戻すにしても時間がかかる」


 「…では戻られるまで彼女には暫く辛抱してもらわねば」


 と、老医師の合図と共に少女の両手足がベットに括られようとする。


 「待て」


 トリスの声にその行為が制止された。


 「縛る必要はない」


 「しかし陛下、またひとたび暴れだしますと自身すら傷つけかねないのですぞ」


 「誰かが側についてればいいのだろう?なら、あれが戻るまで私が側にいよう」


 トリスの言葉に老医師は目を見開く。


 「何と!陛下が、でございますか?」


 「あぁ。残党狩りぐらいならあいつらに任せておけば問題はない」


 「でしたら私どもが…」


 「いいや、只でさえ人手不足だ。お前は戻って負傷兵の手当てにあたってくれないか?何かあれば呼ぶ」


 「御意に」


 「お前達も下がれ。あぁ、誰かメシーに通信を」


 一同が頭を下げ、部屋を退出するとトリスは枕元まで椅子を運びそこに腰掛けた。

 長い夜になりそうだ。



                    *



 体を灼き尽くす熱が再び戻ってきた。


 それと同時にあの"声”たちも戻ってくる。


 (オ前ガ、殺シタ)


 ごめんなさい


 (オ前ガ、私タチヲ、殺シタンダ)


 ごめんなさい ごめんなさい


 彼等の声が  手が   血が   私を   苛む。


 苦しい、熱い。

 誰か…誰か…


 (オ前ガッ)


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…


 苦しい、苦しいよ…

 熱い、熱いよぉ…


 「ごめ、んなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 千切れた彼等の腕が私を掴んで離さない。

 死体の山が胸元まで上がってくる。


 「ごめんなさい、ごめんなさい…」


 ぬるぬると血に濡れた手で髪をまさぐり顔をかきむしられる。


 苦しい苦しい熱い熱いあツいくるしイアツイクルシイクルシイアツイアツイアツイ!!!


 そう呟いているのが彼等なのか自分自身(わたし)なのかもわからなくなってきた。


 肩が埋り喉を圧迫され、死体の山から除くのはもはや顔だけ。

 ぎゅうぎゅうに押しつぶされ窒息死してしまいそうだ。いや、もうこの熱さから解放されるならいっそのこと…っ


 熱い熱い熱い熱い熱い熱い…!!


 何でこんなことになってしまったんだろう?

 あっというまに視界も埋まる。

 かろうじて口元だけが残されているが悲鳴を出し尽くした喉は枯れ、もう声はでない。

 ぱくぱくと動く口が紡ぐのは音にならない。


 苦しい…くるしいよぉ…

 おかぁ…さ…ん…たすけて…おか…あさん…


 「大丈夫だ」


 耳元で誰かがそういった。


 「大丈夫」


 また聴こえた。

 空耳、じゃない?


 確かに誰かの声が聞こえて、その人は私の手を握ってくれている。


 誰?ここには死人しかいないのに。

 周りで囁くのは地の底から這い出てきたかのような掠れた…苦しくて悲しい声ばかりなのに…

 手を握ってくれるあなたは誰?


 …手?


 (わたし、埋って…?)


 ユラリと死体だらけの世界が変わっていく。

 目の前にあるのは血の色とはまったく違う、もっと、もっと鮮やかで綺麗な赤。

 死体ではなく生きている顔。

 腐臭や錆びた血の匂いではなく、優しく包み込んでくれるような暖かい匂い。


 「…?」


 誰?と聞こうとしたが喉が焼けるほど痛み、上手く発音できなかった。

 ぼんやりと霞がかった視界の中のその人の顔を見ると、頬には何かに引っかかれた様な痕。

 ほんのり血がにじんでいる。

 視線を下ろせばその人に私の手首は掴まれていて…私の爪の間にもかすかに血がついている。


 私?

 私がやったの?


 「…ご……なさ……」


 喉を必死で鳴らす。

 その人も何に対しての謝罪なのか気付いたのだろう。

 首を横に振った。

 許すというのか。

 私が傷つけたのに…そう…私……私がっ、私が殺シタ!!


 「ごめ…なさ…………ごめん…いっ」


 「それ以上喋るな。お前、起きていてもそれしか言わないのだな」


 そっとあいている方の手で頭をなでられた。


 「大丈夫、苦しいのもすぐに直る」


 何度も何度もなでられた。

 なでられるたびに熱さとは別の暖かさが湧き出てくる。


 「目を瞑れ、落ち着いて呼吸をしなさい。今、この場にお前を傷つけるものはいない。私が側にいるからただ静かに眠ればいい。さぁ、ゆっくりと休むがいい…ミア」


 名を呼ばれて思い出した。


 (あぁ…この人トリスさんだ…)

 

 ゆっくりとその言葉に誘われるようにまぶたを閉じていく。

 緊張していた筋力も緩やかになくしていく。

 綺麗な赤い瞳が見守ってくれている。


 ―・・今度は何も現れなかった。



                    *



 その後も何度か痛みや熱さ―・・そしてぶり返してくる恐怖によって叫び、泣きを繰り返したが、その度にトリスは優しく宥めすかせ力強い声で眠りへと誘う。


 その晩、彼女(トリス)少女(ミア)の手を離すことはなかった。

 まるでこちらに繋ぎ止めるように。

 死者達が少女(ミア)を連れて行ってしまわないようにしっかりと握り続けた。



                    *


 「悪かったな、遅うなった」


 夜も更け、あと僅かで朝日が顔を覗かせるであろう時間帯になってメシーが音も無く部屋を訪れた。


 「どうだった?」


 「少してこずったけどなぁ、完全制圧完了や。"鋼""兜""鉄"の三隊がモーティア(こっち)に残って事後作業に当たるで。指示通り、"銀""白金""水銀"は先に本国へ帰還、俺らの"黒炭""白""紅"は負傷兵も多いから一気に帰らずに途中途中の国に経由しながら本国(ラクーシュ)に帰るっちゅー段取りや。"道"は先行して先々で俺らの受け入れ準備してくれとる。

まぁとりあえずはそんなとこやけど、何かあるか?」


 「問題ない」


 「さぁて、ほんなら次はこの譲ちゃんか…ってかお前のその姿!ほかの十将軍(やつら)に見せてやりたいわぁ。

天下の鬼姫、もとい鬼陛下がこんなちっちゃな女の子の手ぇ大事に握って、一晩中甲斐甲斐しく看病しとったなんてそんな女らしいことめずら-・・あだっ!?」


 と、その頭に枕の一つが高速で投げつけられた。


 「阿呆、さっさと仕事しろ」


 「わぁーとるって!そんないつにもまして殺気のこもった目で睨まんといてな!!」


 寝台の反対側へ移動したメシーは美阿の顔を覗き込んだ。


 「ふむ…ちょっと堪忍なぁ、嬢ちゃん」


 懐から細い針を取り出し手馴れた様子で眠る少女の首元に突き刺す。

 針を抜き取るとその小さく空いた傷口から血がぷくりとあふれでる、それを掬い取るとメシーは徐にそれを舐めとった。


 「ちっ…相当多量に使われとったんやなぁ、半年で投与していい量を遥かにこえてんで。体にも匂いが染み込んでる。けったいなもん使うてくれるわ…天輪花やな」


 「テンリンカ?」


 「セイファート大陸の更に東の方にしか生えん花や、調合次第では強力な麻薬になる。

 コレを使うた奴は人形みたいになって何も考えられへんうえに暗示に掛かりやすうなるから勝手に人格を作られて操られんねん。しかも力強剤の効果もあるからなぁ、この嬢ちゃんが剣を軽々扱ったっていうのにも納得いくわ。そんな顔せんとも、安心せぇ解毒法もしっとる」


 「本当か?」


 「コレ(・・)は俺の一族秘伝の薬や」


 その言葉にぴくりとトリスの片眉が上がった。


 「ということはモーティア側にお前の身内がいた、ということか」


 「まぁ別に不思議やないやろ。元々、俺の一族はセイファート大陸に根付いとったしな。ラクーシュ(こっち)についてる俺らのほうが珍しい。まぁそんなことはおいといてちゃっちゃと材料そろえて作るわ―・・コウ、ザン」


 メシーが呼べば、彼と同じ黒衣装を纏ったメシー小飼の遊子(ユウシ)でもあり黒炭軍の副将軍でもある二人の青年がどこからともなく姿を現した。


 「俺が戻るまでこの嬢ちゃんが少しでも楽になるよう手を尽くしてやってくれや」


 「「はっ」」


 「頼むぞ、メシー」


 「まかしとき」


 メシーは来た時同様音もなく姿を消す。

 トリスはそれを見送ると再び熱にうなされ始めた美阿の髪を撫で付けた。


 「姉上、必ずや…」




遊子…メシーの軍「黒炭」の中にある別働隊の名前。黒炭の中でも寄りすぐりのメンバーで構成されている、主に諜報活動等を得意とする隠密部隊。

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