涙の雨
「自分が何をしているのかわかっているのか!?」
無駄だとは知っているがそれでも目の前の少女に問いかけずにはいられない。
何の迷いもなく、ただただ"怒り"と"殺気"をその身の内から滾らせ剣を振るい続ける少女。
一見すれば剣など握ったことさえない子供だというのに、その一打一打は歴戦の勇士を思わせるほどひどく重い。
だが直接剣を打ち交わしているからこそ気づくこともある。
「その場所、それは本当にお前がいるべき所なのか!」
「………」
寸でのところでかわしているものの、少女の放った剣戟に服が裂け、気づけば身体のいたるところに血の筋が走る。だがそれは目の前の少女も同じことだ。
「考えろ!!」
繰り出される剣先はとても鋭い。が、少女の力の全ては攻めることに向けられているようで受ける方には一切力をさいてはいないようだ。
だからその身体に出来た傷はトリスよりもひどい。
"死"を感じていないのだろうか。
この少女の目からは"恐怖"が微塵も感じられない。
まるで生きようとしていないその様は、その存在全てが"戦う"ということだけに注がれているようにも見える。
否ー・・注がされている。
(くそっ)
腹立たしい。腸が煮えくり返るとはこういうことを言うのだろう。
奴らが少女に何かをしたのは一目瞭然、その行為然り。
そして何よりも一人の武人としてー・・この戦いは"腹立たしい"。
「お前は何のためにここへ呼ばれた!何故ここにいる!!お前がここにいる理由は何だっ!?」
腹のそこからふつふつ滾るありったけの怒りを剣先と言葉に乗せ打ち込む。
それに僅かにだが少女が反応した。
「……私がいる…理由……?」
「そうだ!」
「私…私は…セリスさんの…ため…に」
揺らぐ声。戸惑う表情。それに畳み掛けるようにトリスは問うた。
「お前は誰だ?お前の名前はっ!?」
「私の…名前……?」
一瞬、その剣先が鈍った。
「はぁっ!!」
「っ」
その隙を見逃さずに少女の手から剣を叩きおとし、続けざまに少女の懐まで飛び込んだ。
剣を手放したこと、そして問いに揺らぎ続けるその目をまっすぐに見つめトリスは力強く囁いた。
「お前は誰だ?」
「私は…」
少女が眉を寄せ顔をしかめた。
もう一度尋ねる。
「お前の名前は?」
「私は………ミア、藤本…美阿」
虚ろしか映していなかったその瞳に微かに光が戻る。
自身の名前を口にした少女は口から漏れた自身の言葉に驚きを隠せないようだ。口元を両手で押さえたかと思えばトリスから距離を置きそのばにひざから崩れ落ちた。
「私…私は……?」
混乱しているのその小さな体は小刻みに震えている。
目は大きく見開かれ、表情の無かったはずの顔にはありありと不安が浮かんでいる。
「私は…!!」
「ミア!!」
「っ!?」
呼ばれた名前に顔を上げれば、すぐ目の前に腕が伸ばされている。
-・・暗い暗い穴の中から私を連れ出してくれるのは、この、腕…?
「来い」
「あっ…」
「畏れることは無い、私と共に行こう」
揺れる美阿の視線がトリスの差し伸べられた手へと注がれている。
「あなたは・・・誰?」
途切れ途切れに、だが先程とは打って変わって意思のある彼女自身の言葉にトリスは応えた。
「私はトリス・デ・ラクーシュ・センチュア、お前の友となる者だ」
「あなたが…トリス…さん?」
美阿の手がトリスのその手へと伸ばされる。
「やっと…やっと、見つけた」
二人の手が重なる。
だがそれが触れ合う直前、その間に割って入った者がいた。
「っ!?」
「テンコウさ…んっ…!?」
二人の間に割って現れたテンコウは、美阿をトリスから隠すようその前に立ちふさがった。
「貴様!」
「勝手にミアを連れて行かれては困りますね、女王陛下」
「それは貴様等の決めることではない!ミアを解放しろ!!」
「それは出来かねぬ相談ですね」
「きゃっ!?」
テンコウは美阿を横抱きに抱きかかえると更にトリスから距離をとった。
「離してっ!騙してたのねっ…!酷いっ」
目じりに涙を浮かべ抗議する美阿にテンコウは困ったように苦笑した。
「ミア、すっかり薬が切れてしまいましたね。貴女の愛らしい表情を色々と目に出来るのは嬉しいのですが、彼女と一緒にいかれては困るんです。危ないですから大人しくしてください」
「彼女を離せ!」
「おっと、女王陛下。下手に剣を振るえばミアにも傷が付いてしまうかもしれませんよ」
「ちっ」
踏み込もうとしたトリスはテンコウのその言葉に動きを止めた。
「陛下!」
コラントが掛けよってくる。
どうやら決着はついてはいないようだ-・・隣に立つコラントと同じぐらい傷を作ったカルジがミアとテンコウの後ろに立つ。
「さて、どうする?」
カルジの問いにトリスは唇をかむ。
気づけば辺りを囲まれている気配がする。数は少ない、が機獣の気配もする。
私もコラントもまだ動ける、互いの機獣を出せば切り抜けることも不可能ではない。
だがそれは金の使徒であるミアを置いて逃げることも意味する。
姉上は取り戻した、まだ彼女を助け出す機会はあるかもしれない。
だがもうないかもしれない。
折角彼女の意識をこちらに取り戻すことが出来たというのに、このまま奴等の手中にある限りそれは振り出しに戻されるに違いない。もしかすればもう二度とその心を取り戻すことが叶わなくなるかもしれない。
全ては"かもしれない"の憶測でしかない。だが決して無いわけではない未来の一つだ。
…場合によっては彼女自身の命すら危うくなる可能性もある。
(どうする…?どうすればいい?ここまで来ておめおめとひき下がるしかないのか?)
「落ち着いてください陛下」
「わかっている」
考えろ。
ミアを助け出す、そして3人でここから離脱する。それが一番望む結果。
それをなすためにどうすればいい。考えろ。
何か手があるはずだ。
そう…何か…
と、必死に頭の中で現状打破を考え込むトリスの視界にひらりと舞い込んだ白い影。
それが白いドレスだと気づくのに遅れてその影が自分たちの間に割って入っていくことをとめることができなかった。
「姉…上…?」
そんな馬鹿な、何故ここに姉上がいるのか。
ありえない、と目を見開くトリスの前でセリスはその腕を大きく広げた。
(何故戻ってきたのですか!?)
驚きのあまりにその言葉を叫ぶことも出来ずにいれば彼女の腕が動いた。
場に不釣合いなその動きと彼女の出現にその場に居合わせた全員が動くことが出来ないでいた。
白く細い腕が宙に円を描けばその身体の内側から白い光が溢れ幾何学模様が描かれる。
宙に陣が出来上がると同時にトリスとコラント、そしてテンコウの腕の中に捕らえられていた美阿の身体を柔らかな光が包み込んだ。
(これは!?)
「強制転移っ!?」
横でコラントが驚愕の声を上げた。
(今のセリス様の力でこれを行うなど!?いくら精霊に通ずる巫女姫といえどもこのままでは…)
「お止め下さいセリス様!!今の貴女では命を落としかねません!!」
「!?」
どんなときでも飄々とした態度を崩さないことを主義としている道化の切羽詰った声にトリスは自身の体から血の気が引く音を聞いた。
「姉上ぇ!!」
「トリス」
だが光は容赦なく視界を塗りつぶす。すでに視界の中に姉の姿は無い、その存在を求めて必死の思い出手を伸ばせば、光の中からセリスの声が響いた。
「ミアを、お願いね」
「姉上!!」
(そんな、やっと助け出せたのに…っ)
じわりと目尻に涙が浮かぶ。
がむしゃらに手を伸ばした。光の中でただ一人の肉親の姿を捉えようと足掻くのに-・・何故足が動かない!!
「姉上っ駄目!駄目です!-・・嫌です姉上!!」
浮遊感に囚われかと思えば、目を開けていられないほどの光が溢れ視界を焼き尽くした。
「あぁっ」
やめて。やめてくれ。私はまだ、まだ
せり上がってくる思いに声を張り上げようとしたところで、ふわりと頬になじみのある暖かい手が触れた。続いて頭の中に直接響く、声。
「トリス、愛しているわ。ごめんなさい…そしてありがとう」
「姉…っ」
止め処なく涙が溢れる。
手をいくら伸ばしても目の前にいるはずのその人に届くことはない。
焼き尽くされた白い光の中、見えるはずのない視界の中で最後に見えた優しい姉の口元。
そしていつものように明るい声で…
(チェーチたちをしからないであげてね、私が勝手に戻ってきてしまったものだもの。今頃彼等も-・・)
その声を最後まで聞くことはできなかった。
気づけば白い光は消え、目の前には驚きに目を見張るラクーシュの兵士たち。
腕にかかる重みに下を見れば目を閉じ気絶している一人の少女の姿。
「トリス」
名前を呼ばれゆっくりと顔を上げれば、いつの間にか兵士たちの間から姿を現したメシーとチェーチの姿があった。
「本殿…今、陥落したで」
その言葉に視線を彷徨わせれば、少し離れた丘の上に建てられたモーティアの宮殿から煙が上がっているのが見えた。
「…そうか」
ポツリと頬に何かが落ちてくる。
「雨…」
美阿を抱きかかえ立ち上がろうとすれば横にいたコラントが何も言わずに彼女の体を受け取った。
トリスもそれに何を言うこともなくすぐ側に待機していた飛空艇へと歩き出した。
「本隊は?」
「さっき上陸したところや」
「モーティア帝の首はとったのか?」
「まだだよ、本殿を捨てて残党と共に北上していったみたいだね」
「追うぞ。道化、お前はここに残って帝都を完全制圧しろ。民衆には手を出さず貴族どもは捕虜として捕らえてなるべく事を荒立てずに済ませろ。だが無駄に抵抗するようなら構わん、後はお前の好きにしろ」
「御意」
「我々も北上するぞ。本隊と挟み撃ちで残党とモーティア帝の首を落とす。メシー、彼女の手当を」
「…わかった」
メシーに美阿を任せると、トリスは忙しく動き回る兵士達の間をすり抜け小高い丘へと登った。
眼下には燃えゆく帝都が見える。
宮殿も絶えることなく煙と火の手が上がっていた。
それを見渡したトリスは、剣を手にしていないほうの手で髪飾りをはずすとその長く紅い髪を振りほどいた。
帝都から吹きすさんでくる煙と風に強くたなびくそれは、眼下で全てを飲み込む炎のように揺らめいている。だが無情に焼き尽くす炎と違ってそれは哀愁を纏わせているようにも見える。
トリスはたなびく髪を無造作に掴むと握りなおした剣を自身のうなじに持っていく-・・そして首元からざっくりと長い髪を切り落とした。
握り締めた髪を離せばあっというまに風にさらわれて紅が空に散っていった。
その行く先を見届けることなく変わらず眼下に広がる光景を目に焼き付けていればどんどんと雨足は強さを増してきた。
「………」
トリスは無言のままその場に剣を突き立て、その場で最上級の敬礼をとった。その視線の先には煙が上がる離宮の壁が映っている。
ほんの僅かなその時間、ずぶ濡れになったトリスは空を仰ぎ見て一度だけ深く息を吸うとその場から踵を返して飛空艇へと戻っていく。
「第六艦隊出撃!」
女王の力強い掛け声と共に複数の艦隊が空へと上がり北上していった。
ラクーシュ暦731年、熱い夏を過ぎようとした頃。
モーティア・コウセツの暦576年。
モーティア帝国の長い歴史に幕が下りた。
トリスの章、終了です。