脱出
ー・・身体の節々が傷む。
簡単な治療はされているようだが、本当に些細なものであって腹を貫かれ傷ついた内臓やら、骨までは直してはくれなかったようだ。
しかもご丁寧にも大きな傷は直さないもののその傷がこれ以上化膿して腐り落ちることがないように部分ごとに魔術がかけられていた。
今、自由に動くのは目だけ。
その唯一自由な部分を出来る範囲で動かしながら、改めて負傷部分の確認をしていく。
(う~ん…肺は大丈夫かな、うん、肋骨が五本折れてるぐらいか。あ~内臓が二箇所ぐらいやられてるかなぁ?まぁいっか。多分どっちも前になくしたやつだし…また今度ファティマ将軍に造ってもらえばいいか。後は…あちゃ~、右腕の腱が切られてる…あっ!手首も外れてるや。
足は…左が折れてるだけか、ふむふむ)
完璧に重症患者に入る怪我をおっておきながらものほほんとした思考を崩さないのは性格ゆえか。
チェーチは体の状態を確認し終えると、囚われていると見える部屋の中を確認できる範囲で見渡す。
部屋の様式から見てここはモーティアなのは間違いないだろう。
研究室か何かのようだ…部屋の隅には薬棚が並べられており、所狭しと妖しげな薬瓶やら分厚い本やらが置いてある。
見える高さから推測するに、自分は台の上に寝かせられているのか。
両手足には枷が付けられ台に張り付けにされている状態だ。
(むむむむむ。どうしよっかなぁ?)
考え込むチェーチの耳に扉が開く音がした。
(?誰だ?)
「ひひっ、お目覚めかねお姫さん…」
その声を聴いた瞬間、むっとチェーチは顔をしかめた。
そんなチェーチの反応を楽しむかのように入ってきた小男―・・ジュホウはひひひっと笑う。
「おぉすまなんだ…坊やだったさね…ひひっ」
「……………」
「まぁそんなに睨みなさんな。ひひっ…若に殺られて生きてるだけでも物種ってもんさね、あんた運がいいよ」
ジュホウは台の横まで来るとチェーチの顔に手を伸ばし徐に右目を覆う仮面を剥ぎ取った。
「!?」
「ワシが興味あるのはこの邪眼さね…おっと今、その力は使えんよ。ひひっ…ちゃぁんと対策はとってあるさね」
ジュホウは一度離れると壁際の実験器具を色々と抱えて戻ってくる。
「ほぉ…色は力を酷使しなくても虹色かい…ふむ、魔力が微々だが溢れているさね…この仮面でそれをおさえているのかい…ひひっ」
今度は仮面の方をいじり始める。
「ほほぅ…これは、これは…中々のもんさね。さぞ名のある魔法使いが作ったもんだと察するがね、誰の作品さね?…っとぉ、まだ喋れないんだったね…ひひひひひ…さて」
器具が肌に触れる。金属の独特の冷たさが伝わってくる。
不思議な形をしたそれはぐいっとチェーチの右目を開かせるとそのままの状態で固定された。
「安心しな、お前さんの目は傷つけやしないさね…ちょいと魔法で見るだけさ。大事な研究材料をそう簡単に傷つけやしないさね…ひひひっ」
魔術師としての好奇心がうずくのかジュホウは意気揚々とチェーチの邪眼の観察に入った。
それを意識の片隅に置きながらも、チェーチは別のことに意識を集中させる。
(あ~あ、てか右目乾いちゃうよ…僕結構ドライアイなのに)
などと緊張感もないようなことも考えたりもするが本人は至って真面目である。
ジュホウに感づかれないように深層意識にて作業を開始する。
チェーチの邪眼は歴代の邪眼の持ち主の中でも特殊な部類に入る。
ー・・複数の能力を持ち合わせるという特徴。
それが二つや三つならばそれほど特殊ともいえないが、チェーチの場合その数が半端ではない。
中にはチェーチ自信がまだ把握しきれないような能力もある。
勿論、それらを同時に酷使することは身体に大きく負担がかかり危険だ。
それに邪眼に秘められた力の多くは使う際に特定の"条件"が必要となる。
表層意識化ではジュホウによって普段良く使う能力が勝手に引き出されている。
(あ~あ、そんなにいじんなくても…同時酷使してなくてもそんなに入れ替わりに発動させられてちゃ結構疲れるんだからね)
外の様子を気にしながらもチェーチは滅多に使わない、隠された数多くの能力が眠る深層意識化であるモノを探していた。
(前使ったのは大分前だからなぁ…何処にあったっけなぁ?)
大量の本を納めたようなイメージの深層意識の中ー・・謝って他の能力を発動させてジュホウに気付かれないように慎重に意識化の海を泳いでいく。
(これ使っちゃうと暫く邪眼も使えなくなっちゃうってのが欠点なんだよね~…できればあんまり使いたくないんだけど。僕あんまり肉体労働派じゃないしなぁ)
そうして文句を呟き(考えるといった方が妥当かもしれないが)ながらも漸く目的のモノを見つける。
(あったあった!よし!)
更に神経を集中させる。
ここでコレを使っていることがバレでもしたらあっというまにこの魔術師は深層意識化にある多くの能力にも気付いてしまうだろう。
そうなったらたまったもんじゃない。
表層意識化での能力でさえ勝手に引き出されて不快なのに、ここまで入ってこられては精神が崩壊しかねない、そんなのは御免だ。
ジワジワと発動させていく。
(よしよしいい感じ。外は…気付いてないね)
案外研究熱心のようだ。
ジュホウは完全に邪眼の虜になっていた。
他の事は一切目に入っていないようだー・・だから気付かないのだろう。
チェーチの重症とも呼べる様々な負傷箇所が細胞を活性化させ再生しているなどということには。
完璧に潰された内臓たちは完全には直りはしないものの動くことに支障がない程度に再生されていっている。
骨がつながれ筋がつながる…だがそれはとてもじゃないが実におぞましい。
普通の人間ならばその何ともいえないその感覚に叫び声をあげるか失神するかのどちらかではあるが、これでも十将軍の一人…そんな失態犯すものか。
(まぁ気持ち悪いっていえば気持ち悪いんだけど…やっぱこれ生理的に受け付けないんだよねぇ)
細胞の活性は尚も続く。
負傷箇所だけにとどまらずそれは身体全体へと広がっていく。
徐々に身体全体が熱を帯び始める。
(うん、まぁそろそろ…かな?)
意識を浮上させれば、まだなにやら右目をいじっているジュホウにチェーチは視線を合わせる。
その時になってようやくジュホウが微かに異変に気付いたようだ。
「んん…?」
困惑をあらわに首をかしげたジュホウの左頬に、頑丈に固定されていたはずのチェーチの左腕がめり込む。
「なっー・・!?」
ジュホウは盛大に吹き飛び壁の薬棚に派手にぶつかった。
「ふぅ」
ばきばきっと音を立ててチェーチは右手も解放する。
すぐに両手首の関節をはめ直すと元に戻ったその腕で足の枷も豪快にはずしていく。
その右目はらんらんと光輝いている。
「あ~やっぱり疲るなぁコレ。効果は半刻ってとこかな?まぁそれだけあれば脱出ぐらい出来ると思うけど」
「っ~…いっ一体何なのさね…!」
瓦礫の中からジュホウが顔を出す。
衝撃に脳震盪でも起こしたのだろうか、頭を抑え首を振るジュホウの上にぬっと白い影が差した。
顔を上げればそこには不敵に笑うチェーチの姿。
「ひ…ひひっ…」
「さて、どう料理して差し上げましょうか?」
*
トリス達がそこへやってきたときにはもう既に事は終わっていたようだった。
相変わらずのほほんとした笑みをその顔に浮かべチェーチはひらひらと手を振って見せた。
「やぁトリス、元気だった?」
「その分なら心配はなさそうだな。まだ動けるのか?」
「ちょっと無理しちゃったから、後半刻したら邪眼も使えなくなっちゃうかな?あ~でも普通に剣使ってぐらいなら闘えるよ?」
「充分だ。あと少しで味方部隊も突入する-・・所でこいつはまだ使えるのか?」
トリスは床に縛られぼこぼこにされたと見える僧侶らしき男を足蹴にする。
「ひゅっ…いてててて…全く勘弁しとくれよ…ひひっ」
「カルジの居場所ぐらいは知ってるんじゃないのかな?一応部下みたいだし」
「一応はないんじゃないかい坊や…ワシはこれでも若の腹心だよ…ひひっ、何だい譲ちゃん達は若の居場所がしりたいのかい?それともあのお姫さんの居場所かな?」
トリスはジュホウの胸倉をつかむ。
「いてて…もっと優しく扱ってくれんかね、ひひっ」
「教えろ」
怒気もあらわに迫るトリスに対しジュホウは怯む事も無く笑う。
「ひひっ…わかったさね」
「何や、えらいあっさりとしとるな」
影入りを解いたメシーは皇子の体を隅の方に放置するとジュホウの顔を覗き込んだ。
「おっさん何か企んでるんとちゃうんかい?下手な嘘でもついてみぃ、しばくぞ」
「ひひっ、嘘など言わんさ…ワシだって自分の命は大事さね。ワシの言葉を信じようが信じまいがそれは嬢ちゃんたち次第さ…ひひひっ」
淡々と喋るジュホウをトリスはじっと観察する。
「…貴様の知っていることを話せ」
「ひひっ、良い目をしているねぇお譲ちゃんー・・若はいつもならこの時間はあのお姫さんと一緒にこの離宮の最奥にいらっしゃるが今さっき皇帝に呼び出されて今はこの離宮にはいないさね。
お姫さんがいるのはこの部屋を出て右の突き当りをまっすぐ行って三本目の回廊を左に曲がったその奥の扉の向こうさね。中はドーム状の屋内庭園になってて出入り口はその扉だけ…屋内庭園に作られている離れにおられるよ。
そうさねぇ、今の時間帯なら女官達もいないだろうよ…ひひっ、ワシが知っているのはこれだけさね」
「よし、いくぞ」
トリスは手を離しそのままジュホウを床に落とした。
「おっおい、トリス!このおっさんの言うこと信じるんかい!!」
「別に、完全に信用したわけではないが外観から見て作りはこの男の言うとおりなのだろう。それに時間も無い、どのみち動かねばならん」
「そうですねこうしてる時間さえも勿体無い」
コラントも頷き先を促す。
「まぁここまできたら一緒か…よっしゃ、いくか」
メシーも同意し改めてジュホウを近くの柱に縛りなおす。
「お~、お~、そう縛らんでも身体がボロボロで動けやしなというのにねぇ…ひひっ」
「仲間を呼ばれても困るからな。行くぞ」
最後に念のためとジュホウの口も縛るとトリスは一行を引き連れて部屋を後にする。
その後姿を見送りながらジュホウは笑いをこぼす。
(ひひっ…甘いさね。いっそのこと殺してしまえばよいものを、その甘さがいつか命取りにならなきゃいいがね…ひひひっ)
薄暗い室内の中にくぐもった笑いが響いた。
そして次の瞬間にはジュホウの身体は縄の中から消え、ふわりと僧衣をはためかせて台の上へとその体をあらわした。
「…ワシは決して嘘は言っていないさね。今現在の事実を述べたまで」
部屋の隅においてある杖を手にとるとジュホウはそれを振りかざす。
「さて、お譲ちゃんたちは何処までいけるかねぇ…ひひっ、こりゃ楽しみだ」
ひゅっと音を立てて再びジュホウはそこから姿をかき消したのだった。