第七章:炎上とバズの狭間で
午前6時、新潟市の東雲邸──いや、事務所兼自宅の一室。
外ではセミが鳴きはじめ、窓の隙間からは潮の混じった夏の風が吹き込んでいる。
「……なんで俺が“令和の角栄”って呼ばれてんだ……」
東雲冬馬(25)は、畳の上で体育座りのままスマホを見つめていた。
寝ぐせ爆発、Tシャツは首元ヨレヨレ。部屋の片隅には空のカップラーメンと麦茶のペットボトルが転がっている。
X(旧Twitter)のトレンド1位は《#若き角栄再来》《#土木から政界へ》《#新潟から火がついた》。
昨日の演説動画が鳥居翼によって編集・拡張され、音楽付きでYouTubeに投稿されてから一晩。再生数はすでに10万を超え、全国に拡散されていた。
「バズるって言ってもさ……朝から“イケメン風建設社長”とか“クセになる喋り方”とか……恥ずいんだよ……」
そのとき、キッチンから現れたのは、人間フォームのサクラノ。
ゆるやかなウェーブがかった栗色の髪、露出控えめなノースリーブのワンピースに薄手のカーディガン。完全に“しっかり者のお姉さん”風スタイルだった。
片手に狐印のマグカップを持ち、コーヒーの香りを漂わせながらすっと近づいてくる。
「おはよう、冬馬。今朝のテレビ、全部あなたの話題だったわよ。情報番組のコメンテーターが“次世代の政治家像が見えた”って持ち上げてた。……あと、“あの顔で真面目な演説はズルい”って言われてた」
「どっち!? 顔を褒めてんのかディスってんのかどっちなんだ!?」
「さあ?」とサクラノはくすっと笑った。
夜。冬馬は疲れた足を引きずるようにして、駅裏の旧商店街へ向かった。
そこは今やシャッター通りと化し、街灯もまばら。静かな夜風に、どこか懐かしい焦げたタレの香りが混じっていた。
赤ちょうちんの灯がゆらめくその一角に、ひときわ古びた店があった。
──《ひなた屋》
店構えは昭和そのもの。木製の戸、色あせた暖簾、壁には「酒は飲んでも呑まれるな」と手書きの紙が貼られている。
ガラリと戸を開けると、カウンターにひとりの男がいた。
白髪混じりのオールバック、くたびれたYシャツの袖をまくり、無精髭をそのままに焼酎を舐めている。
薄暗い照明の中でも、背筋だけは不自然なほどピンと伸びていた。
「おう、演説の兄ちゃん。……ようやく来たか」
「……誰ですか?」
「九重真一。元・財務省、現・呑み屋の酔っ払い。あと、少しだけ政治に未練のある男」
煙草の煙がふわりと舞い、九重の目がギラリと光った。
その目は、ただの酔客ではない、何かを見抜く男の眼差しだった。
カウンターに座った冬馬の前に、九重が湯呑を差し出す。中身は熱燗。
くいっと煽った冬馬は、喉を焼くような熱さにむせかけた。
「……きっつ」
「若い証拠だ。だが、お前の演説は、きっつい焼酎より“真っ直ぐ”だった」
九重はゆっくり語る。
「田中角栄ってのはな、政治を“誠意”でやろうとした男だ。力じゃねぇ。
地元の声を聞いて、道路一本、川一つを動かしてきた。……政治ってのはな、口先よりも“腹の底の泥”の匂いがするやつの方が信用されるんだよ」
> 『政治は力じゃない、誠意だよ』
> ――田中角栄
冬馬は黙って頷いた。
ガラリッ!
扉が思いきり開いて、サクラノ(人間フォーム:お姉さん服)が入ってきた。
「……冬馬ぁ、GPSでバレバレなのよ? 今何時だと思ってるの?」
「えっ、なんでGPSオンになってんの俺!?」
「私が仕込んだのよ。社会人に“徘徊癖”があるとか思われたくないからね」
九重がくっと笑い、焼酎を掲げた。
「キミが噂の妖狐か。……なるほど。こいつのバックに付くにはちょうどいい異常性だな」
「褒めてんの? 馬鹿にしてんの? どっちよ?」
帰り道。冬馬は九重の最後の言葉を思い出していた。
> 『政治はね、真面目な人間が最後に“やらざるを得なくなる”仕事なんだよ』
その声が、夜の街に溶けていく。
サクラノは隣を歩きながら、小さく呟く。
「……悪くなかったわね。あの人の目。あんたみたいに、バカだけど真面目な男を昔から見てきたのかも」
「……やっぱ俺って、バカにされてる……よな?」
「今さら気づいたの?」
「うん……ちょっとだけ泣いていいかな?」