第二章:はじめての演説、はじめての嘲笑
冬馬の決意会!
夏の午後、新潟の空はどこまでも青く、太陽がじりじりと照りつけていた。セミの鳴き声が耳にまとわりつき、建設現場の鉄骨も熱を帯びている。
昨日工事現場で出会った人間の言葉を話す口の悪い狐サクラノと「この国を変える総理大臣を目指す」などの契約を結んだ現実に打ちのめされ、東雲冬馬は事務所の休憩室で、冷えた麦茶を片手にぐったりしていた。
「……で?演説って、どゆこと?」
隣でくつろいでいるのは、紅色の尻尾をゆったり揺らす妖狐、サクラノ。狐の姿では、目立つので人間フォームにもなれるらしい今は狐の面影はなくまるで有能な秘書の様だ。
この人間フォームの時は桜野朧と名乗ってるらしい長く生きてると色々あるらしい、、、、
彼女は足を組みながらタブレットを操作し、地元の祭りのチラシをこちらに突き出した。
「これ。今週末、町内会主催の夏祭り。屋台、盆踊り、そして――特設ステージ。」
「いやいやいや。ちょっと待て。俺、昨日まで重機に乗って砂利を撒いてたんだけど?」
「それが何よ。今日は言葉でこの国を動かすの。アンタが。」
「いきなり革命家モードやめろ!」
サクラノは満面の笑みで言った。
「ちゃんと舞台、用意しといたから。町内会長とは話がついてる。地元の若者代表として、未来への思いを語ってほしいって。」
「いやそれ勝手に話つけんな!承諾してないし!」
「契約したでしょ、私と。」
「それは“政治改革に関わるかも”的な話であって、地元の盆踊りで演説するって契約じゃなかったよな!?」
冬馬が机に額をぶつけそうになるのを、サクラノは涼しい顔で見守っていた。
「大丈夫、ちゃんと衣装も用意してあるわ。さ、原稿はこれ。」
差し出された紙には、デカ文字で《我々は立ち上がらなければならない!》という熱すぎる一文が。
「誰だよこれ書いたの!熱血過ぎんだろ!」
「私よ。」
「やっぱお前か!!」
⸻
その夜、冬馬の自宅。ユニットバスの換気扇がかすかに回る音の中、鏡の前でスピーチ練習をする冬馬の声が、どこか震えていた。
「皆さん、今の政治に満足していますか……いやダメだ、語尾が死んでる!」
「ストーップ!!」
サクラノの鋭いツッコミが入る。なぜか彼女は今、鉢巻きを巻き、手に竹刀まで持っている。
「目線が甘い!声が弱い!背筋が曲がってる!はい、ゼロ点!」
「何その部活モード!どこで竹刀拾ってきたんだよ!」
「私は何百年も政治家の演説見てきたの。どんな失言もスキャンダルも見てきた。だからこそ、演説の重要性がわかるのよ!」
「百年政治ウォッチャーが怖すぎるんだよ!!」
「じゃあ次、私が“イヤミしか言わない町内のおばあちゃん”役やるから。模擬演説、開始!」
「って、また演技!?あぁもう!」
⸻
そして迎えた、夏祭り当日。
神社の境内は人でごった返し、焼きそばの香りやかき氷の冷気が漂っている。子どもたちの笑い声と盆踊りの音楽、提灯の赤い灯りが夏の空気に溶けていた。
冬馬は特設ステージの裏で、汗を拭きながら深呼吸していた。
「いけるか…?ほんとにいけるか俺…?」
「いけるわよ。」サクラノは彼の背中を軽く叩いた。「アンタ、昨日よりずっと声に力が出てきた。あと、今日は顔がちょっとマシ。」
「最後のいらねぇ!」
ステージに呼び出される。スポットライトが当たると、一瞬で全身から汗が噴き出す。客席には子ども連れの家族、町内会の面々、近所のおじさんたちの姿が見えた。
眩しい投光器の光が目に入る。視界が白く滲む。マイクの前に立つ両足は、まるで地面に縫い付けられたように硬直していた。
(うわ……人、多っ……)
見渡せば、屋台の合間からちらちらと視線がこちらに向けられている。老若男女、夏祭りを楽しんでいたはずの人々の目が、突然現れた“演説する建設会社の若社長”を見定めるように注がれていた。
喉が渇く。手のひらにじんわり汗が滲む。
けれど、後ろを振り返るわけにはいかなかった。そこにいるのは、尻尾をたたんで腕を組むサクラノだけだ。
「……い、いきます……!」
マイクに向かって、冬馬は一歩、足を出した。
「えー……皆さん、こんばんは」
声がスピーカーを通して境内に響く。自分の声が思ったより高くて、少し震えているのが自覚できた。
(あー、声割れてんな……だめだこれ……!)
「おれ……いや、私はですね……この町で、小さな建設会社をやっております、東雲冬馬と申します」
語尾に迷いが出た。何人かが「ほう」という顔をした。知ってる顔もいた。工事現場で会釈だけ交わした町内の人たちだ。
「今日は……ほんの少しだけ、皆さんにお話をさせていただければと思って、こうしてマイクをお借りしています」
その瞬間。最前列の親父があくびをした。
子どもが風船を落として泣き、親が慌てて拾いに行く。
(ああ……ダメだこれ、完全に空気が違う……)
心が折れかける。ステージの隅に視線をやると、サクラノが小さく、でもはっきりと頷いていた。
(……ここで引いたら、俺の“覚悟”って何だったんだ)
冬馬は、もう一度深呼吸をして、視線をまっすぐ客席に向けた。
「……突然ですが。皆さん、今の日本って、どこかおかしいと思いませんか?」
空気が、一瞬だけ止まったように感じた。
「少子高齢化が叫ばれて久しいのに、抜本的な対策は“検討中”のまま。地方は衰退して、若い人たちは都会に流れていく。地元は空き家だらけ、学校は閉校、商店街はシャッター通り」
冬馬の声に、わずかに力が宿る。
「政治家たちは、まるで遠くの国の話のように語るけど、俺たちはここで毎日暮らしてる。建設業に身を置く俺から見れば、現場の現実と、政策の温度差があまりにも大きすぎる」
中年の男性が腕を組み、何か言いたげにこちらを見ている。子どもを肩車した父親が、真剣な顔で聞いていた。
「道路が崩れても予算が下りない。現場の職人はどんどん減ってるのに、若い人が入ってこない。技術があっても、声が届かない。それが、今の“現実”なんです」
冬馬の手が、知らず拳になっていた。
「でも、だからといって、俺たちは黙っていていいんでしょうか?“どうせ誰も聞いちゃくれない”って諦めて、黙って耐え続けて、何も変わらない未来を受け入れるしかないんでしょうか?」
冬馬は一歩前に出た。ステージの端まで行き、両手でマイクを握った。
「俺は……そうは思いたくない。俺たちは、この町で生きている。この町を、好きだって思ってる。この町を、子どもたちに残していきたい。だから声を上げたいんです」
拍手はなかった。けれど誰も喋っていなかった。
会場には、かすかに夜風が吹いて、提灯の灯りが揺れた。
「私は、ただの若い建設屋です。偉くもないし、スーツも似合わない。でも、この町を想う気持ちだけは、誰にも負けない。……だから、皆さん、どうか……」
言葉が詰まった。そのとき、ひとつの音が響いた。
──パン。
ぽつんと、控えめな拍手。
最前列の若い母親だった。隣にいた子どもが不思議そうな顔をして、それに倣ってもう一度、手を叩いた。
「……ありがとうございました!」
冬馬は深々と頭を下げた。汗が頬を伝って落ちる。手はまだ震えていた。
(……終わった。いや、終わったのか?)
拍手は、それきり広がらなかった。
ヤジも飛ばなかったが、熱烈な支持もなかった。ただ、夏の夜に響いた若者の演説が、確かに誰かの心に届いた瞬間だけは、そこにあった。
「はいはい、いい話だったよー」
「焼きそば冷めるわー」
そんな声が、夜空に溶けていく。
⸻
演説を終えた冬馬は、ステージの裏でひとり、静かに缶の麦茶を飲んでいた。空気はまだ蒸し暑く、背中には演説中の汗が冷えてまとわりついている。
「……あー、やっぱダメだったかな……」
独り言のようにつぶやく。
反応は悪くなかった……いや、むしろ思った以上に静かだった。だが、それが「聞き入られていた静寂」だったのか、それとも「興味のない沈黙」だったのか、判断がつかない。
そのとき。
「あのっ……」
背後から、小さな声が聞こえた。
振り返ると、セーラー服を着た女子高生が立っていた。ポニーテールを緩くまとめたその髪が、提灯の光でふんわり赤く染まって見えた。
「……さっきの、お話……よかったです。なんか、こう……ちゃんと聞こうって、思えたんで」
そう言って彼女は、小さく頭を下げた。顔を上げると、まっすぐな瞳が冬馬を見つめていた。
「……ありがとう。びっくりした。てっきり皆、焼きそばに夢中だと思ってたから」
「ふふっ、それもちょっとありましたけど……うちの父が、建設業やってて。人手足りないって、いつも言ってたんで……なんか、他人事じゃないなって」
その言葉に、冬馬は少しだけ笑みを浮かべた。
「そっか……。名前、聞いてもいい?」
「……早坂未来です」
「未来か……いい名前だな。なんか、希望感じる」
「そんなに持ち上げなくて大丈夫ですよ」
未来は少し照れたように笑い、手を振って屋台の方向へ走り去っていった。
「……ふふん。やるじゃない、冬馬。人気出てきた?」
いつの間にか、サクラノが背後に立っていた。すでに人間フォーム──桜野朧の姿だ。淡紅の着物風のワンピースに、長い髪を風に揺らしている。
「冷やかすなよ。……でも、ああやって言ってくれる人がいるって、ありがたいな」
「最初の“火”は点いたってことね」
朧は涼しげな目を細めてそう言った。そこには、妖しさの裏にある静かな情熱が宿っていた。
色々な考え方聞いてみたいです!