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君の幸福を、君の不幸を、僕は等しく願ってる



 これは夢だ。

 俺だけの、幸せで、不幸な、ただの夢だ。

 あの魔女が言っていた「それじゃあ、良い夢を」と、最初は意味がわからなかった。




約束をした。

 大切な人とした、大切な約束だった。

 どれだけ汚れようが、どれだけ傷つこうが、その約束を果たすために歩き続けた。この柔らかな布に焼き付いた、あの子の喜びと、悲しみだけが動く原動力であった。

 あの子はもう忘れているかもしれない。

 あの子はもう代りを見つけているかもしれない。

 あの子はもう泣いていないかもしれない。

 あの子はもう笑っているのかもしれない。

 一歩前に出るたびに、溢れる“かもしれない”に、ありもしない恐怖に動けなくなっていく。怖くなって、動けなくなった身体は路地裏で力尽きてしまった。




 それでも――――――あの子に会いたい。と、願った。




 約束なんて関係ない。

 ただ、大切で、大好きな、あの子を一目でもいいから、もう一度見たかった。それだけで、ここまで来た。



「また、あいにきてね」


 幼いあの子の声が、頭の中でこだまする。

 折れるにはまだ早い。

 足を止めるには、まだ早すぎる。


 ふいに、体が持ち上げられた。

「見た目以上に、キミは大切にしてもらっていたんだね」

 そんな言葉ともに、ハンカチで汚れた体を拭かれた。自分のハンカチが汚れることも厭わずに、丁寧に拭く女と長い付き合いになるとは思ってみなかった。

 満足するまで拭いた女は、楽しそうだ。

「うんうん、感じた通り可愛いね」

 頭のてっぺんから、つま先まで丁寧に拭いた愛らしいぬいぐるみは、女と同様に満足気である。

「さて、私は気分がいい。気分がいい私に出会ったキミは、最高に運がいい」

 言葉通り気分がいい女は、まるで歌うように言葉を続ける。

「キミのような素敵な人形がここにいるのかは、どうでもいい。こんなにも素敵なキミのことだ。きっと持ち主も素敵な人物なんだろう? ――――――全てはキミ次第さ」

 眠る子どもの頬を撫でるように、頬を撫でられた。

 綺麗になったのは毛色だけでなく、よれて崩れていた形も新品同様に均等になっていたことに気がついた俺は、別の変化にも気がついた。





 そして俺は、女についていった。

 俺にはこの世界(常識)のことは、わからない。

 これは見栄だ。

 ……かっこつけたかったのだ。

 女は―――アカネと名乗った。

 それからアカネさんとの普通で、不思議な生活を始めた。アカネさんはまるで、俺を実験中の動物を観察するように、俺に文字やら、なんやら教え、どうしたのか詳しくは聞けなかったが、俺の戸籍を用意してくれた。

 人間のような生活に、初めての友人に、俺は勘違いをしてしまったんだ。

 この世界にとって自分が異物ということを忘れた。いや、忘れたわけじゃない、目を背けたんだ。

 あの子と同じ人間であると、この夢に溺れたんだ。

 11年間俺という異物が、ゆっくりと、でも確実に世界のバランスを崩していた。そうだ、秋春が言う通り、原因は“ぬいぐるみ()”だ。

 素直に捨てられて、燃やされればよかったのに、俺は自分の感情を優先させた。

 あの路地裏で、下心なんて出さずに死ねばよかったんだ。




 自分勝手なこの夢は、幸せだった。




 ◇◇◇




「……もう、夢から覚めないとな」

 その言葉には、軽さも、重さもなかった。

 ただの事実を淡々と口にする。

「―――俺がいなくなれば、世界のバランスはもとに戻る」

「君一人がいなくなったところで、この事態は収束するわけがないだろ」

 怒りさえも通り超えたその感情には、別のものがあった。


「いいや! 作之助が消えれば、世界のバランスは元に戻るとも! そもそも、君を人間に見立てるだけでも大変だったんだ! そろそろ私も疲れてきた頃合いだったから、ちょうどよかった~~~」

 なんとも、軽薄な声だろう。

 けれど、その軽薄な声が作之助の始まりだった。

「なんであんたが、ここにいるのよ!」

 突如として現れたアカネに驚きのあまり叫ぶ透であったが、彼女の声なんて聞こえてなんかいないのか言葉を続ける。

「なあに、最後となれば見届けるのが仕事と言うものさ。まー、ただこれは完全に私の趣味の話なのだけどもね。さて、先の話の続きだが、作之助がこの夢に()()()()()()、元に戻るように設定してある――――――それで、君は満足したんだろう?」

 意味あるげに笑うアカネに、作之助は頷いた。それから、秋春へ近づき目を細めながら、小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「なあに、安心し給えよ。その中身も、あるべきところへ戻るさ。よかったね、外側を捨てないでいて」

 その言葉に秋春は、目を見開いて、固まった。秋春から興味を失ったアカネは、秋春の存在も、透の存在の忘れたかのように作之助へと向き直る。



「……ふざけんじゃないわよ」



 透から零れた言葉に、作之助は困ったように笑う。

「笑ってんじゃないわよ!」

「いや、だって、まさか惜しまれるとは思ってもみなかったから」

 恥ずかしそうに、どこか嬉しそうに頬をかく作之助へ、ずんずんと大股で近づき、胸倉を掴んだ。

「うぇ?」

 瞳いっぱいに溜まった液体は、零れ落ちる瞬間を今かと待っている。

「惜しんでなんかないわよ! ただ! ……ただいきなり、なんなのよ。あんたが世界のバランスを崩している原因で、あんたが消えれば世界は戻るって、………ほんとうに、なんなのよ」

 突然の状況変化に戸惑いを、それ以上の怒りをどうすることもできずに透は下唇を噛む。ぷつり、と血が流れていく。

 これ以上喚いたって、嘆いたって、怒鳴ったって、縋ってみたって、目の前の男(現実)は変わらない。それは、へらりと笑う男が証明していた。透は胸倉を掴んでいた手を、するりと放す。

「驚くのも、戸惑うのもわかるけれど、いつだって人生ってやつは“いきなり”の連続さ! わからなくても、どうしようもなくても、止められないものさ。だからこそ、キミが気にすることは一つもないよ」

 アカネの言葉に透は小さく「うるさい」と呟いた。



「あー、まぁ、なんだ。秋春も、日向も、今までありがとな、楽しかったよ。――――――じゃあな」




 あまりにも一方的な、素っ気ない別れの言葉であった。

 秋春も、透も言葉を紡ぐ時間もなく、雪が水に溶けるように作之助は消えた。



 世界のバランスが崩れていることを、ほんとんどの人間が知らない。

 世界がもうすぐ消えてなくなることを、一握りの人間だけしか知らない。




 いま、世界のバランスの均衡が一人の犠牲で戻ったことを、三人しか知らない。




 ぽとり、と、作之助がいたところに黒猫のぬいぐるみが落ちていた。



 ◆◆◆




 一目だけでも見ることができたなら、それだけで満足できると思っていた。



 夢に溺れた俺は、一つ手に入れたら、もう一つが欲しくなって、どんどん際限がなくなっていた。

 正直、一緒に消えることができたなら、とか考えた瞬間もあったけど、このまま俺がこの世界にいたら秋春も、透もいなくなる。そう考えると酷くもったいない感じがして、こんなにも二人が一生懸命生きている世界を――――――気がつけば、愛していたらしい。

 だからか二人が生きている世界が、無くなるのは寂しいような気がして、覚悟もなにもないけれど、自分が消える選択をあっけないほど、すんなり受け入れることができた。







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