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嘘だと信じたかった日



 母方の祖父の職業は、拝み屋だった。

 見えないものを、感じて、見て、祓う。

 みんなの不安が不幸に変わって焼き付かないように、世界の……。いや、自分の周りの人間が、不幸の連鎖に巻き込まれないように、自身の仕事にプライドを持つ祖父の背中は僕の憧れだった。……本人に伝えたことはないけれど。



 僕と両親は、なにも見ることもできなければ、感じることもできなかった。

 だけど、僕の妹は何かを見て、感じることができた。できてしまったから、妹は夏休みや、冬休みなると祖父のもとへ行き“力”の使い方を教えてもらっていた。

 当時、祖父は焦っていた。

 僕が5歳くらいの頃から、世界のバランスが崩れ始めたらしかった。だからか、妹の修業は世界のバランスが崩れていくほど、厳しくなっていた。一個の下の妹は、僕なんかよりどんどん逞しく、凛々しくなっていた。そんな妹を誇りに思っていたと同時に、兄として何もできない、してあげられない事実に息ができなかった。

 見ないフリした劣等感が、知らない間に妹を傷つけていた。




 突然だった。

 前触れは、いつだって存在しないのだろう。

 その日―――何も感じない、見ることができない僕の幸福と、不幸が妹に焼き付いた。


 中一の梅雨。

 じめじめとした空気が、顔に張り付く髪の毛の不快が、雨の重たさが、じわじわと首を絞めていく。嫌な予感なんて、異様に駆け足な心臓なんて、気のせいだと頭の隅に追いやったあの日。

 玄関の扉がやけに重たかった。

 家の中は外以上に息ができなくて、自分の家のはずなのに別の場所のように思えて、足が上手く動かせなかった。


「おにー……ちゃ、ん」


 初めて聞いたんだ。

 妹の弱弱しい声を、子どもではいられなかった妹の、子どものような悲鳴を。

 靴を脱ぐのも煩わしく、土足のままリビングまで走れば、そこには真っ黒に染まった妹が立っていた。

 僕は呼吸しかできなかった。

 手を伸ばして、掴んで、大丈夫だと、抱きしめればよかったのに、そんな些細なことだってできやしなかった。




 そして、僕は初めて知ったんだ。




 僕の幸福と不幸が、妹に焼き付くのなら、反対に妹の幸福と不幸が、僕に焼き付いたとしても変な話じゃない。事実、僕が知らない妹の幸福と不幸は僕に焼き付いていて、真っ黒に染まった妹は、夜のように僕を飲み込んだ。

 次に目を開けたときには妹はいなかった。

 いや、これは正確な表現ではない。

 妹はいた。

 外身は確かに息をしているのに、死んでしまったと錯覚してしまいそうなほどの眠りに落ちた。僅かに上下する布団は、彼女の生存を伝えている。だが、一定の速度で上下するだけで、柔らかな頬に触れれば、錯覚じゃないことに気がついてしまう。

 そして肝心の中身は妹から零れ落ちて、僕の影と一つになっていた。

 僕の影と一つになった妹は、最初こそ出てこなかったものの、そのうちに己の姿に慣れてきたのか僕の影から出ては、やってみたかったことをしているのか走り回ったり、僕に抱き着いてきたりと楽しそうであった。その幼い姿に僕は、涙が止まらなかった。



 影になった妹と生活を繰り返すうちに、いつのまにか僕には見えなかった、感じることができなかった世界に足を踏み入れていた。視界の隅に変な影を見るようになった。自分一人しかいないのに、誰も知らない声を聞くようになった。



 そして、世界のバランスが本当に崩れていることを理解した。



 これは最後のチャンスだと思った。

 世界のバランスを意図的に、崩し続けることができたなら許される気がした。

 バランスを崩し続けて、表が裏になりえないように、裏が表になりえないように、世界の裏と表がぶつかって、世界が無くなれば。



 ……無くすことができたら。



 ――――――きっと、僕の妹はちゃんと死ねるんだ。






 世界のバランスが崩れ続ける中で、僕は影について一つだけ理解したことがあった。

 こいつらは、器を求めている。

 こちらの世界で動くためには、影の状態では誰にも……、力がある人間にしか認知されない。だけど、器を手に入れれば力のない人間にも認知される。影たちは、どうして認知されたがるのはわからない。やり残しを、やり直せるわけもないのに望んでいるのだろうか。

 世界のバランスが崩れ続ければ僕たちは、もれなく仲良く死んでしまう。だからこそ、世界のバランスを保つために、誰に頼まれたわけでもないのに頑張るバランサーのおかげで、僕は見たことがなかった。



 器を手に入れることができた者を――――――月本作之助()に出会うまでは。




 ■■■■■




「君がいるから、世界のバランスはいつまで経っても戻らないんだよ―――――ほら、空を見上げてみなよ。そこまで、もう迫ってきている」

 秋春の言葉に、空を見上げれば青い空が広がっていた。しかしよく見てみれば、うっすらと見える黒い膜のようなものが見え、それは少しずつ色が濃くなっていく。じりじりと濃くなる黒色は裏側が迫っていることを、秋春の言葉が事実であると訴えている。

「あなた何言ってるのよ。こいつは、ただの人間よ」

 作之助を庇うように一歩前に出た透に、秋春はアスファルトにぶちまけられた吐瀉物を見るように目を細めた。

「君こそ何を言っているんだい? 月本作之助が人間だって? 君は疑問に思わなかったのか、なぜ彼が狙われるのか、なぜ彼が――――――君の攻撃で死ななかったのか」

 その言葉に、透はあの夜を思い出す。

 作之助を殺すと宣言し、その宣言通りに放たれた閃光は当たったというのに死ななかった。その後はドタバタしたせいで、ちゃんと確認しなかった。……確認するのが怖かったのだ。

 外側が人間であるヨシ子には効いたのに、作之助に効かないのなんて少し考えればわかることだった。

考えたくなかった。

 知らないフリをしていたかった。



 だって――――――初めての□だったから。



 このぬるま湯の日常の中で、当たり前のような顔をした輝く(幸福)を食べて、目が覚めるほどの淋しい(不幸)を抱きしめて、一緒に生きていきたかった。

「それで君はいつまで、そうやって人間のフリをし続けるんだい?」

 呼ばれたそれは、ゆったりとした動きで顔を上げる。それから、しかめっ面の秋春を見て笑った。

「なんだ、バレてたのか」

 なんとも拍子抜けるような声色だった。

 人間ではない、と指摘されたとは思えないほどの、飄々とした態度に秋春の眉間の皺がさらに深くなった。

「別に隠してたわけじゃないからなぁ。……あぁ、でも。日向には悪いとは思ってるよ」

「……何をよ」

「日向が俺を殺そうとした時のこと。本当に日向になら殺されてもよかったんだけど、死なない可能性の方が高かったから、俺はあの日、あの夜、俺は公園に行ったんだよ。―――日向透と、()()()()()()日常を過ごしたかったんだ」




 透に振り返ることなく、淡々と話し続ける作之助は迫りくる裏側を眩しそうに見上げた。






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