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始まり




 目を覚ませば、目の前には見慣れた天井が広がっていた。

 むくりと床から起き上がり、なんとなしにキョロキョロリと見慣れた部屋を見渡す。何一つ記憶通りのリビングは、とくに新鮮味などなく素知らぬ顔した家具がそこにあった。

「……ん? リビング??」

 なぜ自分がリビングで寝ているのか、覚えていない。固い床で寝た体がギシギシと訴える痛みが、少しずつ昨夜のことを思い出させた。

「日向は?!」

 なにやら黒いものから助け出そうとしてくれた透の必死な顔を、最後に見た気がする。とにかく床から起き上がり、透の無事を確認するために昨夜の場所まで行こう玄関へ向かう。

「そんなに慌てなくても、彼女なら無事さ」

 背中に投げられた言葉に、作之助の動きは止まる。

 声がした方へ振り返れば、そこにはアカネが優雅にコーヒーを飲んでいた。作之助を見ることなく、少しだけコーヒーを口に含む姿には、焦りなどない。

「本当にアイツは無事なんですか、アカネさん」

「私がキミに嘘をついたことは無いだろう?」

 にやり、と口角を上げるアカネの姿に若干イラつきながらも、アカネが言うことも事実のため自身を落ち着かせるように深呼吸をする。アカネはいつものように、コーヒーが入ったマグカップを作之助へと差し出した。

「ありがとうございます」

「なあに、お安い御用さ」

 ずず……っ。熱いコーヒーを啜る。

「女の子だからね。彼女は客間で寝かしているよ」

「そうですか。………ところでアカネさん、答えてくれますよね?」

 作之助の言葉に、視線だけ続きを促すアカネは少しだけ楽しそうだ。その表情で作之助は、なぜ自分がリビングの床で寝ていたのか理解した。理解したが、確認できるまでは違う可能性がある。違う可能性なんてほとんど無いのだが、それでも作之助はアカネに確認をする。

「俺がリビングの床で寝てたのって、俺を運ぶのがめんどくさかったからですか?」

「そうだとも、なにか不満でもあるのかい?」

 当然、不満なんてないだろう? と言わんばかりの態度に作之助は眉をよせる。道端で倒れていたのを回収してくれた恩がある。もちろん、助けてくれた身として文句は言えない。言えないのだが、家族としてせめて毛布は被せてほしかった。

 アカネは何も言わずに家を空けては、ふらっと突然戻ってくる。作之助はこの家に高確率で一人のことが多いわけだが、一人でいるときに風邪なんてひいてみろ、学業も、家事だって二進も三進もいかなくなる。けれど、やはりアカネの思う通り口に出すほどのことではないため、喉まで出かかった文句を、作之助は無理やり飲み込んだ。

「それにしても、殺される予定だったんじゃあないのかい?」

「仮にも息子が殺されるっていう親の反応がそれでいいのか……?」

「あっはっはっはっ! 素直に殺されに公園まで行った、作之助が言うのかい?」

 怒りも、悲しみも含まれない声色は、作之助がなにをやるのか、なにをするのか、楽しんでいるようであった。こういう時、作之助は自身が夏休みの朝顔になってしまったような気持ちになる。

「それにしても、日向のやつ全然起きてこないな」

 露骨に変えた話題に、アカネは呆れたような顔をして作之助を見た。その表情に作之助は首を傾げる。それは話題を変えたことではない、他のことが要因であるのだが作之助にはさっぱりわからない。

「彼女なら、もうキミの後ろにいるじゃあないか」

「―――へ?」

 なんとも間抜けな声がリビングに響く。ゆっくりと後ろを振り向けば、アカネの言う通り日向透がいた。にこやかに笑っている。笑っているのだが、よくよく見れば形のいい眉は中心によっているし、上がった口角はぴくぴくと動いている。

「えっとぉ……、おはようございます?」

「おはよう、月本くん」

 あぁ、表情はなんとか取り繕っているのに声が、声が隠しきれていない。不機嫌さを、怒りを、後悔を、なにより――――――安堵を。

 隠しきれない少女を見て、作之助の口からほろりと言葉が落ちる。



「好きだなあ」



 ――ピシリッ! と、空気が固まる音がした。

 まさに急速冷凍。体感温度が下がる、下がる。空気に気づいていないのか、気づいているうえで「体は大丈夫か?」「体調は?」「お腹すいていてないか?」と呑気に質問を重ねる目の前の男に透は、耐えるように手のひらを握りしめる。握りしめすぎて震える拳に、何を勘違いしたのか、作之助はキッチンへ急いだ。

「あったかい飲み物淹れるから座って、インスタントだけどコーヒーか、紅茶どっちがいい?」

 風船の空気が抜けて、どこかへ飛んでいくように、透の怒りは溜息とともに抜けていった。

「……紅茶で」

 疲れたように座る透を見て、「ご飯は食べる?」と聞く。ゆらりと見やれば、右手に卵、左手にハムを持った作之助が笑っている。

「今なら、ハムつき」

「なんでちょっと豪華なのよ」

 少し噴き出しながら、目尻を下げる。そんな彼女に釣られて笑う作之助。

「いやぁ、私もいるのだけどね」

「~~~~~ッ!?」

 完全に忘れていたのか、声にならない声を上げる透を気にすることなく作之助はアカネと会話を続ける。

「アカネさんは?」

「もちろん、食べるとも! キミの中に、私が食べないかもしれないという選択肢があるのが実に不快だね」

「食べないとは思ってないけど、家を出る用事があるなら目玉焼きじゃないほうがいいだろ」

「どうだい、うちの作之助は?」

「どうって、聞かれても……」

 突然話を振られた透は、改めて殺す相手を見た。淡々と調理を進める姿は慣れているのか、一切の迷いがない。自分にはないものを持っている人は、眩しくも、妬ましく見えるものだ。調理実習でしか調理をしたことがない透からすれば、淀みなく動く指先はまさにそうであった。その無骨で、美しい指先が躍るように動かなくなるのは、少しだけ、ほんの少しだけ、もったいないな、と感じた。

「少しぐらいは、殺すのが惜しくなったかな?」

「こんなことぐらいではなりません」

 にやにやりと笑うアカネは、実に楽しそうだ。

「それにしても、自分の子どもを殺そうとしている相手が目の前にいるのに、随分と冷静なのね」

 アカネのにやけ顔をどうにかしようと振った話であったが、その顔は透の予想とは反対にさらに笑みを深くすることになった。

「そりゃあ冷静どころか、楽しくなるに決まっている! 君に月本()作之助()を殺すことなんてできないからね」

 事実、透には作之助を殺すことはできなかった。

「なんでそう、言い切れるのかしら?」

「ピリピリしない、しない。殺せない理由は近いうちにわかるから、その日を待っていればいいさ。――――作之助のことより、世界のことだ。この世界が驚くスピードでバランスが崩れていることに、そっちは気が付いているのかな?」

「えぇ、気が付いているわ、量が多くなるのに比例して、各地で事件事故、行方不明者も増えているわ。……なにより、昨日の影がいくら幸せと不幸の差が広かったとしても、あの大きさになるのは速すぎる」

 昨夜のことを思い出し、震える指先を握りしめる。

「大変そうな話は横に置いておいて、ご飯にしよう!」

 コトリ、と軽快な音を立てて並べられたお皿は色鮮やかであり、偏った食生活を送っている透からすれば、とても豪華な食事であった。目玉焼きはその名の通り、目玉が二つ。目玉の数に合わせて、下にはハムが敷かれていた。小皿に分けられたサラダ。こんがり焼けた食パン。それから、透の紅茶に、アカネと作之助のコーヒーが食卓に並ぶ。

「簡単なもので申しわけないけど、どうぞ」

「これが……簡単なもの……?」

「ダメじゃあないか、作之助。料理が苦手な人からすれば、キミの言う簡単な料理だって難しいんだ。それに私の目から見てもキミの料理は、とっても豪華で素敵に映っているよ」

 最後の言葉に合わせて、バチコンっ! と流れるようにウインクをしたアカネを無視し、作之助はトーストに手を伸ばす。そんな釣れない態度に慣れているのか、アカネも何も言わずに自分の目玉焼きにケッチャプをぶっかけた。

「ハアッ!? ちょ、ちょっと!」

「うわっ、うるさっ。急に大きな声を出して、どうしたんだい」

「アカネさんが、目玉焼きにケッチャプをかけるからでしょ」

 アカネの目玉焼きは、白身も黄身も関係なく全てトマト色になっていた。こういう極端なものを見ると、食事の彩がいかに大切かわかる。

「目玉焼きにケチャップって、あなた正気っ?!」

「私はいつだって正気だとも! それにケチャップをかけないのなら、目玉焼きに何をかけるっていうんだい?」

「そんなの醤油一択でしょ!」

「いや、それもどうなんだよ」

 冷たく言葉を返しながらも、作之助は透の前に醤油を置いた。

「あ、ありがと。……って、あなたは塩コショウ派なのね」

「しんぷるいずざべすと」

「……塩コショウを否定するつもりはないけど、それはさすがにかけすぎじゃあないかしら?」

「そうか?」

 首を傾げながら、自分の目玉焼きを見下ろす。たしかに透が指摘するように、かけすぎなのかもしれない。アカネと同様、作之助の目玉焼きは茶色だ。

「目玉焼きを食べたいんじゃなくて“塩コショウ”を食べたいからねぇ」

「もう少しかけたいけど———」

「それ以上は、体に悪すぎるわよ」

「はいはい、止めておきますよ」

 あまりの真剣な表情に、作之助は肩を揺らす。

 アカネは絶対に止めることはしない。彼女は止まらない代わりに、他人を止めない。だからこそ、他人である自身を心配する透の気持ちが作之助には新鮮で、少しくすぐったい。

「わたしも昔は塩コショウ派だったから、たくさんかけたい気持ちはわからなくもないのよ」

「塩コショウ派だった君は、どうして醤油派になったんだい?」

「……初めて卵かけご飯を食べたときに、卵と醤油が合うことに気づいたの」

 恥ずかしそうに醤油がかかった目玉焼きを食べる少女に、作之助は目を伏せながら笑った。

「……なら、次は俺も醤油をかけて食べてみようかな」




「さて、と。お腹も膨れたことだし現状確認をしようか」

 食後のコーヒーを楽しみながらアカネは、洗い物をしている作之助と、紅茶を飲んでいる透に視線を向ける。

「もう少しで終わるから、もうちょい待ってください」

「もう~~。洗い物なんて後でもいいじゃあないか」

「洗ったことがない人は、黙って待っててくださいね~~~」

 ぶぅぶぅと言葉を垂れるアカネを無視して、洗い物を続ける。案外アカネの扱いが雑な作之助に透は意外そうに話しかけた。

「あなたって、そういうことも言うのね」

「あ~~~。まぁ、相手がアカネさんだから」

「人によって態度を変えるのは、よくないことだぞぅ」

「はいはい、すみませんでした。次回から気をつけますね」

 洗い物を終えた作之助は、適当に謝罪しながら台所から戻ってきた。

「それで現状確認って?」

「この世界の現状さ」

 突拍子もない言葉に、作之助の脳みそはフリーズした。言葉は理解できているのだが、その規模の大きさについていけないのであった。

「世界って、世界?」

「世界は、世界に決まっているだろう」

 当然のように返された言葉に頭を抱える作之助を見て、透は知識の共有を始めた。

「まず、昨日話した“バランサー”については覚えているかしら」

 冥土の土産として教えられた内容を思い出し、小さく頷いた。

「わたしたちは何か組織があるわけではないの」

「えっ? 漫画とかは組織が存在して、主人公が知らないだけで仲間がたくさんいる感じだけど、そういうのではないんだ」

「もちろん、組織ではないけど徒党を組んでいる人たちはいるわ」

 組織がないことには驚きはしたものの、アカネが組織に所属できるイメージできないため素直に納得した。そもそも組織があれば、アカネは追放されて、よくわからないが賞金首にでもなって狙われる毎日を送っていそうだ。

「失礼なことを考えていないかい?」

「考えてない」

「はい、ウソ~~~~」

 事実失礼なことを考えていた作之助であるが、騒ぐアカネを無視して透に続きを促す。

「縦のつながりはなくても、横のつながりはあるのか?」

「えぇ、ほとんどのバランサーは先祖代々の惰性で続けているのだけど、やっぱり情報の共有は大切だもの」

「ところで、日向がバランサーなのは教えてもらったけどさ。アカネさんもバランサーってことでいいのか?」

「そういえば月本くん、あの時『俺の親に聞けばわかるかも』って言っていたわよね」

 ジロリと四つの目玉がアカネを捉える。じりじりと焼けるような視線もなんのその、気にすることなくコーヒーを口に含む。その一口でマグカップの中身が空になったのか、無言でマグカップを軽く掲げて作之助にお代わりを要求した。その変わらずの態度に、作之助はわざとらしく溜息を吐き出しつつも、アカネからコップを受け取り立ち上がった。

「日向は?」

 空っぽのマグカップを見て、首を傾げた。

「それじゃあ、お願いするわ」

「あいよ」

 アカネ、透、自分のマグカップを持って再び台所へ戻った作之助は、黙々とインスタとのコーヒーと、紅茶を淹れる。その姿を眺めながら、透はアカネに話しかけた。

「もしかして、あなた話す気が無いのかしら」

 眉を寄せ、できるかぎり低い声で問う透。アカネはそんな透の鋭利な横顔を見て、口元を緩めた。そんな二人を台所から見ていた作之助は、急いで中身を入れたマグカップを持って二人のもとへ戻った。

 作之助からマグカップを受け取ったアカネは、軽くお礼を言いながら少し考えるように首を横に傾げた。何を悩むことがあるのか分からない二人は、ひとまずアカネが口を開くのを待つことにした。

 たっぷり25秒経過したとき、アカネは口を開いた。

「まず私がバランサーだとして、自ら世界の調整するタイプ見えるかい?」

「見えないですね」

 作之助の即答に腹を立てることなく、ケラケラと女は笑う。

「そう。いくら“そういう能力”を持っていたとして、大衆のために使おうとする奴らの方が少ないから組織はない。そもそも作るだけ無駄なのさ。少なからず私は、大衆のためになんか使わないし、使ったことはないね」

 あとは言わなくてもわかるだろう? とでも言うように、怪しげに目を細めたアカネに作之助は納得した。確かに、目の前に座る魔女を名乗っている女が、世の中のために何かするタイ

プではないことは、ともに過ごした12年間のうちで身に染みている。

「そんなあなたが、世界のために動こうとしているのは何故なのかしら?」

 当然の疑問であろう。『大衆のためになんか』に使わないと言っておきながら、世界のバランスを調整することは少なからず『大衆のため』になる。

「なあに、単純に遊び場がなくなるのは嫌だからね。――――――結局は自分の為さ」

 大衆のためでなく、自分の為。本人の意思としては、やはり大衆は関係ないのだろう。

 今まで大衆のために能力を使ってきた透、少なからず知り合いのバランサーだって大衆の、世の中のために能力を使っていた。自己のために能力を使うのは、個人的には許せるわけもなく。けれども、ここで己の個人的に感じた怒りをぶつけるほど幼稚でもない。

「……それはそれとして、一ついい?」

 恐る恐るといったように、二人に話しかけた作之助は気まずそうに頬を掻きながら、言葉を続けた。

「そもそもの話、今って世界が崩壊しそうなほどヤバいのか? 正直なところ、実感も何もないんだけど」

「そうだねぇ。ヤバいことには、ヤバいけれど時間はあるとも! 現時点で私が把握していることは、誰かが“意図的に”バランスを崩しているということだね」

「このままバランスが崩れていったら、どうなるんだよ?」

「もちろん、言葉通り世界は崩壊……というか、消えてなくなるね! 表が裏になりえないように、裏だって表にはなりえない。幸いなことに、世界が消えるときに痛みを感じることは無いだろうから安心し給え」

「いや、安心できないんですけど?」

「消えたくないなら、元凶を見つけて、叩くしか方法はないね」

 軽い口調で吐き出された言葉に、作之助はうなだれた。

「その元凶をどうやって見つけるかね」

 時間はあると言っても、悠長にかまえていられるほどの時間は恐らくないだろう。昨夜の影が、脳裏をちらついた。

「それなら作之助が役に立つだろう」

 突然名前を呼ばれた作之助は、「はぁッ!?」と声を上げる。その声にアカネは「うるさ」と文句を垂れたが、急に名前を出されれば誰だって驚くだろう。そもそも作之助はアカネや、透とは違い不思議な力があるわけじゃあない。

「さっきも言ったが、裏は表になりえない。裏の者が表で動こうとすれば、表での体が必要になる。いわば着ぐるみだ。その着ぐるみにキミはぴったりなのさ」

「だから昨夜の影も、月本くんの身体の中に入ろうとしていたのね」

「つまり、俺を囮にして元凶を見つけ出そうってことね」




 気合を入れる少年少女を横目に、女は薄ら笑いを浮かべる。




「なあに。……例え本当に狙われたとしても、キミなら大丈夫さ」







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