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閃光




「久しぶりに帰ってきたと思えば、あんのババアッ!」

 青年は叫ぶ。ありったけの怒りを込めて。

 2階の自室を飛び出し、大きな音を立てながら1階へ駆け下りていく。そんな慌ただしい音を聞いた女は、一切気にすることなく淹れたばかりのコーヒーを啜る。

「おはよう! いつも言ってんだ、ろ……」

 女の姿を捉えた青年は、一言文句を言おうと大股で近づいたのだが、急に差し出された淹れたてのコーヒーが入ったマグカップに勢いは無くなっていた。

「ン」

「……あー、もう。アリガト」

 青年は呆れたように溜息を吐き出し、差し出されマグカップを受け取った。言いたかった文句をコーヒーで飲み込みつつも、じっとりとした視線を向けるのは仕方ないだろう。

「そんな目をするんじゃあない。わかっているさ、窓から入るな。だろ?」

「違う。窓から入るのはもういい」

「いいなら、いいじゃあないか」

「窓から入るなら、入った後は窓を閉めてくれ。…………風邪ひいちゃうかもだろ」

 少し間を開けてから続いた言葉に、女は目を丸くした。その反応で、まるで自分が恥ずかしいことを言ってしまったことに気が付いたのか、顔を見られないようにそっぽを向いた。けれども、そっぽを向いたことにより女からは、真っ赤に染まった耳が丸見えであった。

「―――は? あ、あぁ! そうだね、風邪をひいてしまうといけないもんなぁ!」

「おい! アンタ、絶対に馬鹿にしてるだろ!」

「ははッ! 馬鹿になんてとんでもない! 愛らしいと思っているとも! ……ふふ」

「笑ってんじゃねーか!」

「本当に作之助は可愛いなぁ」

「……もう黙ってください、アカネさん」



作之助と呼ばれた青年は月本作之助と、少しだけ古風な名前の高校生である。アカネさんと呼ばれた女は、茜色の綺麗な髪を持ち、一見すればただの30歳ぐらいの女性であるが自称“永遠の25歳”と宣う少し頭がアレな人だ。二人の関係は家族。親と子で間違いはないが、血は繋がっていない。お互いにその事実を知っているし、育てた事実と、育てられた事実は確かな信頼として、二人を家族たらしめている。

「さて、作之助。時間は大丈夫なのかい?」

「は?」

 アカネの言葉に、壁にかけている時計を見上げれば8時13分と、長針と短針が示していた。このままゆっくりすれば遅刻は確定だ。作之助は「あー、もう! アカネさん!!」という言葉に、罵倒の意味を込めて叫ぶ。それから、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。

「ごちそうさまでした!! 行ってきます!!」

「はいはい、いってらっしゃーい」

 乱暴ではあるが、律儀に挨拶をしながらマグカップをアカネに押し付けた作之助は、玄関に置いておいた鞄を掴み、玄関から飛び出していった。

「……誰に似たんだか」

 首を傾げながらも、空っぽのマグカップを見てひとり笑った。




 家から学校まで走り切った作之助は、なんとか遅刻を回避することができた。乱れた呼吸を整えながら自分の席へと向かえば、前の席に座っている男が作之助へと振り返る。

「おはよう。今日はもう来ないと思ったよ」

 彼の名前は白藤秋春。去年からの付き合いであるが、不思議と波長が合い、まるで十数年来の友人のような男である。

「おはよう。いやそれが、久しぶりにアカネさんが帰ってきたんだよ」

「あぁ。玄関からじゃなくて、窓から出入りする不思議な人ね」

「窓から入るのはもういいんだけど、窓が開けっぱなしでさ」

「風邪ひかなかった? まぁ、来たってことはひいてないか」

 秋春の反応で、今朝のアカネの反応に違和感を覚えた。しかし、何が引っかかるのかがわからない。考えてもわからないことを、考え続けても仕方がないため頭の片隅へ押し込んだ。

「心配してくれてありがとな」

「どういたしまして。―――ぁ」

 小さな呟きに秋春を見れば、二つの瞳は真っ直ぐ廊下を見ていた。視線を追うように廊下を見れば、肩辺りで綺麗にそろえた髪の毛を風に遊ばせながら、女子生徒が一人歩いていた。

「日向透だ。こんな時間に珍しいな」

「僕は君が日向さんを知っていることに驚いたよ」

「……よくは知らないけど、学年一位のやつだろ?」

 天は二物を与えずという言葉がある。けれども漫画やアニメの世界では、二物どころか、三物与えられまくりなわけだが。容姿端麗、頭脳明晰、才色兼備、そんな与えまくられた漫画のキャラクターのような女子生徒が、日向透だ。

「優等生でも、遅刻しそうになることあるんだな」

「にしては、焦っている様子はなかったけどね」





 今日も今日とて、無事にいつもと変わらぬ学校生活を終えた作之助は、校門で秋春と別れて近所のスーパーへと向かう。月本家では、家事のすべてを作之助が担当している。これは、幼い作之助にアカネが「できて損することはないから、今日から作之助は家事担当ね」と一方的に決めたことではあるが、幼い作之助自身も——まぁ、確かにな。と納得したため、文句の一つ垂れることなく今日まで家事担当を続けている。

 晩ご飯をどうするか考えつつ、もうすぐ無くなりそうな消耗品をカゴの中に入れていく。

 ――俺一人だけなら、テキトーに作ればいいんだけどなあ。

 ――アカネさん、自分が作らないからなのか、俺が失敗した料理も美味しいっていいながら食べてくれるのは嬉しいけど、その気遣いが逆につらいんだよなぁ。

 アカネは作ってくれた者、食材への感謝なのか、単純に味音痴なのか、出された料理は残さず全てを食べきるのである。幼い作之助の料理レベル、ひいては家事レベルはアカネのそういった態度で驚くほどのスピードで上がった。上がったうえで、過去の自分はとんでもない料理を出していたことへの申し訳なさから、アカネがいる日はちゃんと作ろうと決めていた。

 うろうろとスーパーを彷徨った結果、作之助はシチューを作ることに決めたのだった。

 ――少し多めに作って、余った分は明日グラタンにしよう。

 決まってしまえばあとは簡単で、必要なものをぽいぽいカゴに入れ、慣れた手つきでセルフレジにて会計を済ます。

 よっこらせ、と少し年より臭い言葉とともに、スーパーをあとにした。

 いつもと変わらない町を歩く。

 太陽はオレンジ色に輝いているが、その輝きをじわじわりと食べるように空はうす紫、青、紺、と広がっていく。もうすぐ夜が来る。

 少しだけ歩く足を速めた作之助であったが、一瞬見覚えがある何かが路地裏へと消えた。いや、見覚えがあるどころではない、作之助が通う学校の制服だ。

 ――いや、気のせいだ。

 視界を掠めたものを消すように、頭を左右に振る。別にこの辺りに、自分以外の生徒がいるのは何もおかしなことではない。作之助のように晩御飯の買い出しのためにスーパーに行く者、アルバイトをしている者がいる。

 わざわざ路地裏に消える者だっているだろう。

「あ~~~~、もうっ!」

 結局、気になった作之助は自宅へと向けていた足を路地裏へ向けて小走りで追いかけていった。




 大通りとは違い、狭く、暗い路地裏は、薄気味悪く作之助は、固唾を飲んだ。明るい大通りは隣というのに、まるで別世界にでも迷い込んだような、そんな寂しさに作之助は襲われた。

 そもそも、作之助は何故自分がこんなことをしているのか、自身の行動を理解できなかった。気になったから追いかけた? なぜ気になったのか、少し考えてみてもわからない。きっと、普段の作之助なら気になりはしても、追いかけることなんてしなかっただろう。わざわざ、危ないところに近づくほど、危険好きでもない。


 ―――ひらり。


 花弁が散るように、翻るスカート。

 誘うように揺れた、夜より暗い黒髪。



 顔は見えなかったが、確証はあった。

 よく知らない。同じクラスにもなったことはない。相手も作之助のことを知らないだろ。それでも、『見たことある女の子が路地裏に行く』なんてことを、見て見ぬ振りできる性格ではなかったようだ。

 入ったこともない路地裏を彷徨って、どれくらい経ったのだろうか。表からは見えなかった部分は、想像よりも入り組んでおり迷路のようだ。

 温かなオレンジ色だった空も、すでに真っ暗闇である。住宅から漏れる頼りないわずかな光が、作之助の足元を照らす。

「待ちなさい! 逃がさないんだから!!」

 空気を切り裂くような、甲高い声が路地裏に響いた。

 その声を頼りに、作之助は走り出す。

 …………スーパーで買ったものの中に、卵が入っていることも忘れて。

「これでもくらいなさい!!」

 蒼白い稲妻が路地裏を駆け巡る。不思議とそれには音はなく、熱だって感じない。不自然な稲妻は、最初からなかったように作之助の目の前から消えた。

「……どうなってんだよ」

 見たこともない現実に、作之助は息を飲む。

「そこにいるのは誰? 隠れてないで、出てきなさい!」

 鋭い声に、自身を落ち着かせるように深く息を吐き出した作之助は、ゆっくりと彼女の前へ出る。

「あなた―――」

 目を見開いて驚いた彼女―――日向透は、すぐさま顔を顰め、作之助を睨みつけた。鋭い眼光は、怒りで満ち満ちている。あまりの怒りように、作之助は固唾を飲む。しかし、彼は追いかけてきた理由がある。引くことはできない。

「こんな時間に、こんなところにいたら危ないぞ」

「……あなた、そんなこと言うために路地()()まで来たわけじゃないでしょう」

 透は警戒を緩めることをしない。一分の隙もない立ち姿に、作之助はわざとらしく溜息を吐き出した。普通に考えて、彼女がトンデモ現象を起こした本人としても、知りもしない人間が後を追ってくるのは恐ろしい事態(こと)だろう。男である作之助だって、想像するだけで恐怖を感じる。

「こんなこと言うために、わざわざ来たって言ったら?」

 恥ずかしいのか、顔を横に逸らしながら呟いた。

「そんな言葉、信じられるわけ―――」

 ないじゃない! と続くはずだった言葉は『ぐぅうぅぅ、ぎゅるっ』なんとも緊張感のない音にかき消された。

 作之助は耳を疑った。

 生まれて初めて他人の腹の音を聞いた。自分の腹の音は、自分に起こっている現象だから聞こえても、別になにも思うことはない。けれど、漫画や、ゲーム、とにかく物語において、お腹がすいたという主張で相手に聞こえるほど大きな音が鳴る。現実世界には、そんな人間いるわけがないと思っていた。ここにきて、その考えが覆ることになるとは。

 作之助が腹の音の大きさに感動している間に、透は怒りを通り越して、もう、あまりの恥ずかしさに泣きたくなっていた。

「あー、これから晩飯を作るんだけど、うちに来るか?」

「行くわけないでしょ!」

 断られること前提の提案だったのか、間髪入れずに拒否された作之助は、まぁ、そうだよな。と呑気だ。

「はぁ、もういいわ」

 作之助の態度に呆れて、なにを言うのも馬鹿らしくなってきた透は、大通りに向けて歩き出した。透が路地裏から、明るい大通りに出るのであれば、作之助も路地裏にいる意味はない。

「ちょっと、わたしの後ろを歩かないでくれる?」

「俺も大通りに出たいんで、許して」

 その言葉に、なんとも言い難い表情をした透であったが、言葉を出すことはなかった。

 大通りまで戻ってきた二人であったが、透は作之助の存在なんて無かったかのように人混みに紛れて消えた。

 同じ学校に通っているが、もう関わることはないだろうと作之助も帰宅途中の社会人の波に乗って自宅へと歩き出した。




「ずいぶんと、遅かったじゃあないか」

 玄関を開ければ、仁王立ちしたアカネが作之助を待っていた。

「あー……、すぐ作りますから」

 作之助はそそくさと台所へ行き、買ってきたものを片付けていく。

「――――あ」

 卵パックの中身は、言葉にできないほど悲惨なことになっていた。あまりの凄惨な光景のため、割愛させていただく。

 心にダメージを受けながらも、予定通り少し多めにクリームシチューをコトコトと作っていく。

「おーなーかーすーいーたー」

 だん、だん、だん、だん、と一定のリズムでテーブルを叩くアカネに、作之助は適当に返事をしながら鍋をかき混ぜる。

「ちゃんと返事をしてくれたまえ」

「なら、暴れるなよ」

「帰ってくるのが遅いのが悪いんじゃあないか。それに――――――絡まれてきたね?」

「絡まれたというか、絡みに行ったというか……。そんなことより、できたからお皿とってください」

 お皿を出したアカネは、作之助に「私はパンがいい。絶対にパン」と言い募る。アカネの圧に若干引きながらも、作之助は買っておいたパンをアカネに渡した。ちなみに作之助は、米派である。

 食卓についた二人は、黙々と食べ始めた。会話はない。ただ食べることに集中している。お互いに話したいことはあるのだが、いかんせん食べながら話すということができない二人なのである。

 食べ終えた二人は、食後の緑茶を飲む。

「さて、先ほどの話の続きだが――――」

「その前に、確認したいことが」

 律儀に右手を上げ、主張する作之助に、アカネは指を指して「はい、月本くん」と先生を気取って続きを促した。

「まず一つ目、俺って殺されますか?」

「その場で殺されなかったのが不思議なくらいだよ」

 アカネの言葉に、作之助は天井を仰ぐ。

「……じゃあ、二つ目。本当に魔女っているんですか?」

 作之助の言葉に目を丸くしたアカネは、数秒固まったのちに声を上げて笑い出した。その笑い方は、物語に出てくるような悪い魔女にそっくりである。いやはや、まったくもってアカネの性格の悪さが出ているな。







「お前の目の間にいる私が――――――魔女であることを忘れてしまったのかい?」













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