第4話 怪物が生まれた日【side:ガスパール視点】
【side:ガスパール視点】
俺の名はガスパール・クライン。
現役時代はそれなりに名の知れた剣士だった。
今じゃすっかり酒と女に溺れる怠惰な毎日だ。
王国騎士団を抜けて、5年が経ったころ――。
どういうわけか、貴族のお偉いさんから呼び出しがかかり、俺がご子息に剣術を教えることになった。
ドミナル家は王族とも近しい、有力貴族だ。
騎士団からの圧力もあるし、断るわけにはいかない。
まあ、ちょうど騎士団時代の貯金も底をつきてきたころだ。
金払いはいいし、適当に基礎だけ教えて終わらせるか。
そう、最初はそんな程度のモチベーションだった。
貴族のぼっちゃんの名前はゼノヴィウス・フォン・ドミナル。
目つきの悪い白髪のガキで、いかにも生意気そうだ。
こういう世間知らずの甘えたガキは大嫌いなんだよな。
修行にかこつけて、せいぜい虐めてやるか。
事前に調べた情報によると、どうもこのゼノぼっちゃんとやらは、なかなかに性格の悪いガキらしい。
親に甘やかされて、傲慢不遜に育ち、一切の努力を嫌う。
そんなわがまま坊主が、いったいどういう風の吹き回しか、俺に剣を習いたいだなんてな。
まあ、そんな温室育ちのコイツが、俺の過酷な指導についてこられるわけがねぇ。
どうせすぐに飽きて、剣の道は諦めるだろう。
だいたい、11歳で初めて剣を持とうってのが、そもそも舐めていやがる。
そんなのよほどの天才でもないかぎり、もっと幼い頃から叩きこまねぇと、ものにならねぇって。
◇
俺が自己紹介をすると……なんとゼノぼっちゃんは俺を超上から目線で見下ろし、クソ生意気な言葉を吐きやがった。
まったく……いったいどういう育ち方してるんだこいつは……。
噂にはきいていたが、本当に生意気なガキだな……。
さすがの俺も、これには少し頭にきた。
なるべく顔には出すまいと思ったが、眉間にしわが寄る。
もともとそれほどやる気のある仕事じゃなかったが、これはさらにやる気が削がれるな。
まあ、適当に虐めて、音を上げるのを待つか。
俺がしばらく怒りを抑えようとして黙ったままでいると……なんとゼノぼっちゃんは急に、言われてもいないのに素振りをし始めた。
「うおおおおおおお……!!!!」
どうやらやる気はあるみたいだが……勝手に素振りをやりはじめるとは……。
そんな闇雲に剣だけ振り回しても、意味なんかないのにな……。
俺はしばらく、ゼノぼっちゃんの素振りを眺めていた。
すると、あることに気づく。
待て……今の剣の振りの速さ……俺よりも速くね?
というか、よく見ると、でたらめなようで、ちゃんと型になっている。
恐ろしい速さの剣だ……俺でなきゃ見逃しちゃうね。
あれ……?
オイオイオイ……。
もしかして今の……【破滅の太刀】か……?
いや、まさか……そんなはずはないだろう……。
だってゼノぼっちゃんは、剣の経験なんてないはず……。
そんな、適当に素振りをしていて、【破滅の太刀】を完成させるなんて……そんなこと、あり得るか……?
今のは偶然……もしくは俺の見間違いだろう……。
いや待て、偶然のほうがあり得ない。
【破滅の太刀】はそれほど複雑で、技術のいるものなんだ。
まさか、自然と身体が剣の振り方を理解しているのか……!?
だとしたら……なんという才能なんだ……!?
いや、【破滅の太刀】の型を仮に理解していたとしても、こんな綺麗に剣を振れるものか……?
剣を持ったばかりの11歳の子供がだぞ……?
いくら才能があったとしても、そんなのあり得ない……。
まず、普通なら肉体がついていかないはずだ。
この俺でさえ、はじめて【破滅の太刀】を形だけでも振れるようになったのは、30歳を過ぎてからだぞ……?
恐ろしい子供だ……。
これは……教えるのが楽しみになってきたな。
いや……俺に教えられることなんてあるのだろうか?
違うな……そうじゃない。
そんなことはどうでもいい。
俺は、すでにゼノぼっちゃんがどこまで強くなるのか、それを見てみたくなっているんだ。
この少年に、いったいどれほどの可能性があるのかを……。
これほどの剣の才能……眠らせておくには惜しい。
もはやこれなら、堅苦しい基礎や型の練習は不要だろう。
ゼノぼっちゃんほどの才能であれば、あとはひたすら実戦を積むのが一番成長につながるだろう。
それも、なるべく自分と近い実力の相手と……命をかけて……。
この俺でどこまで相手できるかはわからないが……せいぜいこの老体に鞭を打ってみるさ。
というか、俺自身が、すでにコイツと戦いたい……そう思ってしまっている。
俺自身がどこまでこの怪物に通用するのか――。
「――では次はさっそく、私と模擬戦をしてみましょうか」
「えぇ……いきなりか」
「大丈夫です。ゼノぼっちゃんなら……」
「そうか……では、いくぞ!」
ゼノぼっちゃんは凄まじい動きで、剣を向けてきた。
まるで剣そのものと一体化しているほど、綺麗な太刀筋だ……。
さすがの俺も、避けるのに精いっぱいだった。
俺が何度か剣を避けていると、今度はいきなり、ゼノぼっちゃんの動きが速くなった。
まだあそこから速くなるのか……!?
どうやら今の一瞬で、剣のより効率的な型を見つけたらしい。
もはや俺も知らないような型を、実戦の中で生み出している……。
「そこだな……!」
「速い……!?」
さすがの俺も、今回は避けきれない。
俺は自分の剣でガードした。
――キン!
ゼノぼっちゃんの剣が、俺の剣にぶち当たったその瞬間だった。
まるで俺の腕にいきなり巨大なゾウがのしかかったかのような、重い衝撃が加わった。
なんだ……アレは……!?
俺はすんでのところで身を引いて、衝撃を受け流す。
やべぇ……アレをまともに受け止めてたら、俺の腕は粉々に折れていただろう。
避けることも難しいが、まともに受け止めるわけにもいかないな……こりゃあ……。
へっ……なにが模擬戦だ……。
百戦錬磨の俺が……11歳のガキ相手にマジにさせられるとはな……。
「どうした? 避けてばかりいるのがお前の指導なのか?」
ゼノぼっちゃんはそんなことを言いながら、さらに鋭い剣を撃ち込んでくる。
まったく……言ってくれるな……。
こっちは指導どころか、お前さんの剣筋を見切るのですらやっとだよ……。
ゼノヴィウス・フォン・ドミナル……もともと怠惰なだけで、これは努力すりゃあとんでもないことになるかもしれんな……。
まあ、今でさえ十分に怪物だが……。
だが、仮にも俺はコイツの先生を任されてるんだ。
コイツの言う通り、避けてばかりもいられない。
今度はこっちが攻める番だ。
俺は本気でゼノぼっちゃんを仕留めるつもりで、剣撃を仕掛けた。
さすがにぼっちゃんに怪我させるわけにはいかんだろうが……あれだけ隙がないんだ。そうはならないだろう。
相手は怪物……油断すれば、こっちが呑まれる。
「帝国流剣術――【炎舞の型】!!!!」
――ゴォオオオオオオオオオオ。
――キン!
――キン!
俺は自分の持てる最高の剣術を披露した。
剣からまるで炎が放出されているかのような、豪快な剣撃。
「おっと……さすがは、やるな……」
そう言いながら、ゼノぼっちゃんは俺の剣をすべて受け止め、勢いを殺すようにして受け流した。
おいおい……さっきのは俺の20年かけて編み出した本気の技なんだがな……。
すると驚いたことに、ゼノぼっちゃんは先ほどの俺と同じ構えをする。
なに……!?
まさか……!?
そして――。
「【炎舞の型】!!!!」
――ゴォオオオオオオオオオオ。
「うわ……!?」
なんとゼノぼっちゃんは、先ほど俺が放った技、【炎舞の型】を繰り出してきた。
いったいどういうことだ……!?
俺はそれをすんでのところで避ける。
まさか、俺の技を真似して盗んだというのか……!?
そんなまさか……!?
一目見ただけで、俺の20年を真似しただと……!?
それはいったい……どれほどの才能だ……!?
「ふむ……。なかなか威力の高い技だな。今のでいいのか?」
ゼノぼっちゃんは何食わぬ顔で、俺にそう質問する。
まるで真似できることなど、当たり前かのように。
「は、はい……完璧でした。お見事です……」
俺はそこから、何度も何度も、手を変え品を変え、ゼノぼっちゃんに向けて剣を放った。
だがぼっちゃんはそれをすべて、いとも簡単に受け流し、真似してくる。
はは……なんだか楽しくなってきたぜ。
俺がこれまで56年の人生で積み上げてきたもの、それをすべて試せる。
それは、一人の剣士としては最高の喜びでもあった。
ここまでの本気をぶつけられる相手に出会えることなど、普通はあり得ないからだ。
感謝するぜ……お前と出会えた、これまでのすべてに……!
だが、それと同時に、俺にとっては、これまでの人生で積み上げてきたものを……そのすべてを、否定されることでもあった。
だが、それでいい。それが楽しかった。
今俺にできることは、この怪物の誕生に、真摯に立ち会うことだけだ。
俺は自分にできるすべての技を試すつもりで、何度も攻撃をし続けた。
次にあちらに攻撃の機会を与えたら、こんどはやられる……そう確信していたからだ。
しかし……隙がまったくないな……。
これはどんな攻撃を加えても、俺の才能ではゼノぼっちゃんを打ち負かすことはできないだろう。
ゼノぼっちゃんがこのまま努力を重ね、大人になれば……誰も倒すことができない、無敵の存在になり得るんじゃないか?
それこそ……誰かが毒でも盛らない限り、死ぬことなどないのでは……?
いかんいかん、めったなことを考えるもんじゃないな。
しかし、何十回目かの攻防の後だった――。
急に、ぼっちゃんの動きが鈍くなった。
どういうことだ……?
ふと、冷静になって、ゼノぼっちゃんのようすを窺うと、なんと意外なほどに――汗をかき、息を切らしているではないか。
まさか……スタミナ切れか……?
ゼノぼっちゃんには、異常なまでに体力がない……?
いやそんなまさか……あれほどの才能がありながら……?
そんなことってあり得るのか?
いや、無理もないか……。
ゼノぼっちゃんはまだ子供。
それに、剣を持つのもこれがはじめてだという。
だとしたら、むしろここまで俺の攻撃を受けていたのは、十分すぎるほど……!
それを考えれば、そろそろ体力の限界がきてもおかしくないということか。
そういえば、ゼノぼっちゃんはもともと身体が弱いときいていたな。
だからあまり無茶はさせるなと、メイドから言われていたのだった。
ゼノぼっちゃんの弱点……それは、剣の才能に不釣り合いなほどの――体力のなさ。
よし……これなら、いける。
まだ俺に勝機はある……!
なんとか教師としての威厳を保つことができる。
俺はひたすらぼっちゃんの体力を消耗させる攻撃を加えた。
いくら隙のない天才的な防御といえども、持久戦に持ち込めば、いずれ隙ができるはずだ……!
「そこだ……!」
ゼノぼっちゃんがバテて、動きが鈍り、そこに生まれた一瞬の隙。
俺はそれを見逃さなかった。
――キン!
俺の剣が見事にぼっちゃんの剣を弾き飛ばし、地面に落ちる。
そのまま、俺はぼっちゃんの首元に剣をかざし、ゲームセットだ。
「くっ…………」
「ゼノぼっちゃん……素晴らしい剣さばきでした……。ですが、今回はまだ私の勝ちとさせてもらいます」
「はぁ……はぁ……。さすがは、元帝国騎士団最強の名は伊達ではないようだな……。まあ、これなら教師として不足はないようだな」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
「今回は俺の負けだ。だが、いずれは勝つ」
「はい、もちろんでございます。私も教師として……いえ、一剣士として、その日を楽しみにしております」
いずれは勝つだと……?
よく言うぜ……。
危なかった……持久戦に持ち込まなければ、普通に俺が負けていた。
そうだな……今はまだ負けねぇが……あと3年……。
あと3年あれば、わからねぇ。
コイツにはそれほどの可能性を感じる。
まあ、その間本気で努力すれば……の話だがな。
……だがこれで分かった。
ぼっちゃんの弱点は、体力のなさだ。
体力ってのは、そう一朝一夕で身に付くもんじゃねぇ。
剣の才能はもともと備わっていても、それに見合う体力をつけようと思えば、それなりに努力は必要だ。
あれだけの重い剣を振るのには、かなりの体力がないと実戦では使い物にならないだろう。
もしこれで体力まで身に付けば、まさしくぼっちゃんは化物になる……。
だが、怠惰で有名なあのゼノぼっちゃんがそこまでの努力をするだろうか……?
どうせすぐに飽きて、やってこなくなるに違いない。
下手に才能があるせいもあって、早々に満足してやめちまうだろうな。
まあ、あれだけ剣が振れれば、並みの相手には負けないだろうし、貴族のお遊び剣術としちゃあ十分だ。
だが、それでいいのかもしれないな。
もしあれが体力まで身に着けちまったら、それこそ毒でもなけりゃ、誰も倒せないほどの化け物になる。
そんな化物が、聖人ならまだいいが、ゼノぼっちゃんは噂じゃあとんでもない性格の悪さだ。
そんな人間が化物じみた強さまで身に着けちまったら、マジもんの化物じゃねえか。
だったら、このまま適当に飽きさせて、剣を捨てさせるのが世の中のためだろうよ。
誰も手が付けられない悪人貴族なんて、最悪だもんな……。
だが、俺はもう思ってしまったんだよな……。
仮にゼノぼっちゃんの手によってこの世界が最悪な方向に導かれる未来が待っていようとも……あの怪物が完成する姿を見てみてぇ、ってな……。