第15話 お毒味LADY
俺が魔法の修行をしはじめて、いくらか時間が経った。
毒の魔女モルヴェナは、最初こそ怖かったが、だんだんと慣れてきた。
しかし、どうもあの人はなにか勘違いをしている気がするのだ。
「辛いことがあったらいつでも言ってくれていいからな……?」
「は、はい……? わ、わかりました……。……?」
別に特に困っていることはないのだが……。
単にめちゃくちゃいい人なんだろうな。
いざというときは頼ろう。
それにしても、この【身体能力強化】とかいう魔法、めちゃくちゃ便利すぎる。
全身を強化するだけじゃなく、身体の一部に力を集めたりできるのが便利だ。
例えば、攻撃するときに右手に70パーセントの魔力を溜める。
そうすると、通常のパンチの何倍もの威力が出せるのだ。
ちなみに、なぜ100パーセントにしないのかというと、それだと防御が手薄になるからだ。
拳を70パーセントで覆っているときでも、全身に30パーセント防御用に魔力を残しておくことで、死角からの攻撃にもそなえることができる。
まあ、その調節が難しくて、ここ最近ずっと苦労してたんだがな……。
ようやくそれをものにした。
ミレイユの毒料理を食べるときに、ためしに舌や腹に魔力をためて、身体能力強化をしてみた。
すると、なんと普段よりも毒のダメージが減って、なんとか意識を保つことができたのだ。
これは覚えておいて損はない魔法だな。
教えてくれたモルヴェナ先生に感謝だ。
◇
ある日のことだった。
俺は前の晩、調子にのってミレイユの毒料理を食いすぎたのだ。
身体能力強化のおかげで、かなり耐えられるようになったから、調子にのって爆食いしてしまった。
それに、最近はミレイユの毒料理もかなり美味しいと思えるようになったからな。
特に昨日は俺の好きなメニューだったから、食いすぎてしまった。
前みたいに気絶するほどではなかったが……そのせいで、一晩たっても身体から毒素が抜けきらず、俺はふらふらなまま修行場にやってきた。
休んでもよかったが、せっかく今いい感じに魔法に慣れてきていたので、それだけは嫌だった。
俺は意識が朦朧としたまま、モルヴェナ先生に挨拶する。
「先生、今日もよろしくお願いします……」
「お、おい……大丈夫か……? ふらふらだぞ……?」
「だ、大丈夫です……」
しかし、腹が痛いのだけがしんどいな……。
修行の途中でまた痛くならないといいけど……。
そう思ったときだった。
「いててて……苦しい……」
急にお腹に激痛がはしり、俺はその場でよろけてしまった。
「だ、大丈夫なのか……!? 無理はするなよ……!?」
「え、ええ……もう大丈夫です……」
俺はとっさに身体能力強化で腹の内部を覆った。
おかげで、少しは痛みがましになった。
マジで便利だなこの魔法……。
俺がなんとか落ち着きを取り戻し、さて修行をはじめようと思っていたそのとき――。
いきなり、モルヴェナが俺のことを抱きしめてきた。
「ゼノヴィウス……!」
「おわ……!?」
――むぎゅ。
俺は、モルヴェナのその豊満な胸がつぶれるほど、抱きしめられる。
おっぱいに顔が完全にうずもれる。すごい重量だ……。
な、なに……!? なんでこうなった……!? なにごと……!?
俺、完全におっぱいに顔が埋もれているけど、モルヴェナは気にしないのだろうか……?
いや、俺もさすがにこれは刺激が強すぎて……恥ずかしい……。
「せ、先生……は、はなしてください……」
「いいんだ。もうなにも言わなくて……!」
「な、なにがですか……!?」
「辛かったんだな……。苦しかったんだな……」
なにを勘違いしているのかは知らないが、モルヴェナはそう言って、俺のことをさらに抱きしめる。
しかも、なぜかめちゃくちゃ泣いている。
意味が分からない……。
ま、まあいいか……ふかふかだし……。
落ち着く……。
◆
【side:モルヴェナ・ナイトベイン】
その日、ゼノはふらふらで、死にそうな顔つきで修行場にやってきた。
私はすべてを察した……。
この子は、強くなるために、親に虐待じみた修行をさせられている……!
親から過酷な修行を強いられて、こんなにやつれているのだわ……。
ドミナル家の主人、ヴァルター殿が私を師匠としてやとったのも、きっと過酷な教育を求めてのこと……。
私の修行は少々過酷で、逃げ出すものもこれまで多かった。きっとその噂を聞きつけて、私に依頼したのだろう。
いったいなぜヴァルター殿がゼノにそれほどまでの修行を強いているのかはわからないが……。
しかし……この子が不憫でならない……。
この子がなにをしたというのだろう……。
誰か、この子に優しくしてくれている人はいるのだろうか。
ゼノはいつもしんどそうな顔をしていた。
いつも体調が悪そうだ。
まるで毒でも喰らったあとのように、顔色が悪い。
いやしかし……そんな……まさかな……。
ゼノはそれでも、明るく私に挨拶してくる。
それが余計に不憫でならなかった。
「先生、今日もよろしくお願いします……」
「お、おい……大丈夫か……? ふらふらだぞ……?」
「だ、大丈夫です……」
本当に心配だ。
今にも倒れそう……。
これは、さすがに休ませたほうがいいんじゃないだろうか……?
しかし、そうなるとヴァルター殿にあとで怒られるのかもしれない。
余計に酷い修行を課される可能性もある。
だったら、私にできることは、私との修行時間だけは、ゆっくりと休ませてやることだけだ。
そう思ったときだった。
「いててて……苦しい……」
そう言って、ゼノはふらっと倒れたのである。
もう……この子は限界だ……。
見ていられない……。
「だ、大丈夫なのか……!? 無理はするなよ……!?」
「え、ええ……もう大丈夫です……」
口ではそういうが、全然大丈夫そうには見えない。
ほんとうに……この子は人に助けを求めることさえできないほど、弱っているのだな……。
「ゼノヴィウス……!」
「おわ……!?」
――むぎゅ。
気づいたときには、私はゼノを思い切り抱きしめていた。
私の体温で、この子の冷たく凍り付いた心を溶かしてやることはできないだろうか。
胸が当たっているが、そんなことは関係ない。
こんな胸が人を癒すのに役立つのなら、いくらでもくれてやる。
さあゼノヴィウスよ、私の胸で泣くがよい!
「せ、先生……は、はなしてください……」
「いいんだ。もうなにも言わなくて……!」
「な、なにがですか……!?」
「辛かったんだな……。苦しかったんだな……」
私は精いっぱいの愛情で、ゼノを受け止めた。
もうなにも言わなくていい……。
すべてこちらに伝わっているのだから……。
私は涙を流し、彼を抱きしめ続けた。
しかし、そのときだった。
――ドクドクッ……!!!!
私の身体から、瘴気のような禍々しい『毒』が放出され、霧散したのである。
そう、それが私が【毒の魔女】と呼ばれる所以。
私の特異体質だった。
『感情が高ぶると、身体から毒が放出される』のだ。
それは弱い毒だが、他人からは恐れられる。
それゆえに、みな私から最終的には遠ざかっていくのだ……。
私は、ゼノに万が一のことがあってはいけないと思い、彼をすぐさま突き放す。
「離れろ……!」
「先生……?」
「見ないでくれ……。この姿は見苦しいだろう……?」
身体から毒を放出している間の私は、まるで毒ガエルのように紫色を帯びていて、とてもではないが綺麗な姿ではない。
私はこの醜い自分の状態が、心底嫌いだった。
私は、自分の身体なんて大嫌いだったんだ。
特にこの無駄に大きな胸が嫌いだ。
しかし、そんな私の肉体でも、誰かを温めることができるのなら……。
そう思っていたのだが……。
平静を保とうとつとめていたが、どうしても泣いてしまった。
そのせいで、また危うく人を傷つけるところだった。
私はすぐにゼノから離れようとする。
しばらくは毒が出て、落ち着くまでは止まらない。
しかし、ゼノはそんな私にも関わらず、こちらに近づいてくる。
「は、離れろ……! 危ないだろ……!」
「でもこれ……弱い毒ですよね? 死にはしないでしょう……?」
「し、しかし……私が……怖くないのか……?」
「ええ、まあ……家庭の事情でね……。それより……その紫色に光った髪の毛……綺麗です……」
「な…………」
そう言って、ゼノは私の髪の毛に触れてくる。
驚いた……。
この状態の私に触れてくる人間がいるなんて……。
それに、こんな状態の私を恐れないなんて……。
ましてや、この醜い状態の私を、綺麗とまで言ってくれるなんて……。
ドクンドクン……。
ドキ……ドキ……。
これは、毒が放出される音じゃない。
私の心臓の音だった。
私……本気でこの少年に惚れてしまったかもしれない……。
◆
【side:ゼノ】
モルヴェナ先生に抱きしめられていると、いきなり彼女の身体から、毒が発せられた。
――ドクドクッ……!!!!
先生はその瞬間、俺を突き飛ばして、身体から離れさせた。
これはいったい、どういうことなのだろうか。
もしかして、先生は【特異体質者】だったのか……?
何千万人に一人という割合で産まれる、特異体質――。
彼らは『感情が高ぶると、自分の一番強い属性を身体から放出してしまう』という。
まさか、モルヴェナ先生が毒の特異体質者だったなんて……。
たしかに、毒の魔女の異名も頷ける。
「先生……?」
「見ないでくれ……。この姿は見苦しいだろう……?」
そういって、顔を覆うモルヴェナ先生。
だめだ……このまま彼女を見捨てては、彼女を傷つけてしまうことになる。
おそらくモルヴェナはこのことをかなりのコンプレックスだと思っているはずだ。
ここで彼女を突き放して、恨みを買うわけにはいかないだろう。
それに、この毒……意外と平気だ。
たしかに見た目はかなり毒々しいけど、実際は大したことのない毒だ。
こんなの、ミレイユの毒ジュースや毒オイルに比べたら、なんでもない。
俺なら余裕で耐えられるレベルの毒だった。
俺はモルヴェナにそっと近づく。
もちろん、毒殺の可能性があがるから、恨まれたくない、嫌われたくないというのもある。
だが、それ以上に、単純に彼女を傷つけたくなかったのだ。
モルヴェナには魔法を教わった恩もある。
それに、彼女はなにか勘違いをしながらも、俺のことを思いやって行動してくれていた。
そんな女性を、俺は傷つけたくない。
モルヴェナは危険だからと、俺を離れさそうとするが、俺は近づいていく。
こんな毒は、屁でもない。
それに、この毒……修行にちょうどよさそうな強さだ。
だからもし万が一倒れても、俺にとってはいい修行になるだけだ。
「は、離れろ……! 危ないだろ……!」
「でもこれ……弱い毒ですよね? 死にはしないでしょう……?」
「し、しかし……私が……怖くないのか……?」
「ええ、まあ……家庭の事情でね……。それより……その紫色に光った髪の毛……綺麗です……」
「な…………」
俺は前世からの家庭の事情で恐怖には慣れっこだし、現世の事情で毒には慣れっこだ。
それよりも、モルヴェナの毒で艶がかった髪の毛は、普段より一段と綺麗だったのだ。
俺はそこに吸い込まれるようにして、惹きつけられてしまう。
目が毒に釘付けだ。
俺は自分が思ったままのことを、思わず口にしてしまっていた。
それが、モルヴェナの気持ちをさらに高ぶらせることになっているとは知らずに――。