第1話 メイド至上主義
そのスープの香りは甘かったが、確実に命を縮める味がした。
俺がこの世界で最初に学んだのは、食べ物は敵だということだ。
貴族の料理はすべてが美味そうなのに、そのすべてが殺意を帯びている。
これは、のちに毒の王と呼ばれることになる俺の物語――。
◇
その日は毒味役が下手を打った。
スプーンの最初の一さじを腹の中に運んだ瞬間、俺は椅子ごと後ろ向きに倒れた。
毒味役に悪気はなかったのだろうが、その特殊な毒は虚弱体質の俺にだけ効果的に作用した。
三日三晩、悪夢と高熱にうなされ、俺が目覚めたときにはすでに毒味役は処刑されていた。
気の毒だとは思うが、混入した微量な毒素を見抜けなかったのだから仕方がない。
後日調査によって、俺の気絶は【ジャンガイモ】という野菜に含まれるわずかな毒素が原因だとわかり、事件性はないものとして処理された。
だが、俺を溺愛している父は万が一のことも考えて、犯人捜しに必死だったときく。
そんなことよりも、俺の頭の中ではもっと大変なことが起こっていた。
毒にうなされた影響のせいか、どうやら俺は【前世の記憶】を思い出してしまったようなのだ。
ずいぶん長い夢だったなと思ったが、違った。
あれは間違いなく俺の前世の記憶――。
俺は異世界からの転生者だったわけだ。
ということはつまり……。
「最悪だ……」
目覚めてすぐに、俺は鏡を見た。
鏡に映っているのは、紛れもない、あのゲームの登場人物だ。
悪役顔で鋭い目つきに、銀色の髪の毛。
しかも、決して主人公などではなく、悪辣という言葉がよく似合う、その顔は――。
「ゼノヴィウス・フォン・ドミナル……俺、ゲームの世界に転生しちゃってたのか……」
大人気ファンタジーRPG『ファントム・レギオン』に出てくる悪役貴族、ゼノヴィウス・フォン・ドミナル――それが今の俺の姿だった。
今となっては朧気だが……たしかに俺にはこの11年間、ゼノヴィウスとしてこの世界で生きてきた記憶がある。
しかも寝ている間に、俺の頭の中に、現代日本で暮らした、前世の記憶が流れ込んできた。
今の俺には、令和の日本で18歳まで生きた記憶もあるのだ。
ちょうど一人暮らしの部屋で『ファントム・レギオン』を徹夜でプレイしていて、寝落ちしてしまったら……これだ。
あのまま俺は死んだのだろうか?
まあ貧乏で食うもんにも困るくらいな、不幸な人生だったから、死んだってどうでもいいが。
やはり、3日間もろくに飯を食わずに引きこもってゲームをしていたのがいけなかったのかな。
でも貧乏学生で、節約しながら無料ガチャゲームで脳みそドーパミン漬けにして、人生誤魔化さないと生きていけなかったんだよ……。
しゃあないよな……。
だが――。
「マジかよ……最悪だ……。よりにもよって、このキャラに転生してしまうなんてな……」
正直、主人公でなくとも、ゼノヴィウス以外ならなんでもよかった。
なぜならこのゼノヴィウスというキャラは、基本的にどのルートでも、終盤には毒殺されてしまう運命にあるからだ。
ゼノは主人公の前に最強の敵として立ちはだかるラスボスだった。
大人になったゼノは悪役貴族として領地に圧政をしき、圧倒的な権力とそのいやらしい性格と戦力で主人公たちを何度も窮地に陥れる。まさに邪知暴虐。
絶対に倒せない敵として、主人公の負けイベントすらあるほどだ。
しかし、ゼノは実際に戦闘で倒す必要はなく、物語終盤で味方の裏切りや陰謀のせいで、毒殺されてしまう――。
最強キャラ――ゼノの唯一の弱点が毒だったのだ。
11年間ゼノとして生きてきた今ならわかるが、ゼノは親に溺愛されて育ったせいもあり、傲慢不遜で性格の悪い人間だ。
だから誰かの恨みを買って、毒殺されるのも無理のない話だ。
しかし誰が毒を盛った犯人なのかはゲーム内でも謎とされていて、考察が進んでいるところだった。
「ってことは……俺ってそのうち毒殺される、ってことだよな? せっかく異世界に転生したってのに、そんなのは御免だ……」
なにも知らずにあのままゼノとして生きていれば、俺は必ず殺される運命にあった。
だが、今の俺は違う。
いったいどういうわけだが、俺には前世の記憶がある。
――つまりこの世界の未来を知っている。
現実と違って、ゲームなら、攻略可能だ。
「自分の未来がわかってるんだったら、それを回避すればいい……! 運命なんて、変えてやる! 今の俺には、それができる……!」
毒にさえ気を付けておけば、普通の戦闘で殺されるようなことは、まずない。
ゼノはその恵まれたステータスのおかげで、ゲーム内でも最強を誇る。
そんなゼノの唯一の弱点が毒。
クリア後の裏ルートで戦うときも毒が弱点だった。
正攻法で主人公がゼノに勝つルートは俺の知る限りでは、ない。
つまり破滅回避さえできれば、俺はこの世界で主人公にすら無双できるほどの強さを持っているということ!
どうやら前世での俺は死んでしまったみたいだが、こうなったらこっちの異世界で人生を謳歌するしかねぇ!
そうと決まれば、全力で破滅回避する努力をしよう。
ようは毒にだけ気を付けておけばいいんだ。
もともと貴族だから、毒には普段から気を付けてはいるはずなんだけどな……。
ゼノが毒殺で死ぬ可能性があるとすれば、身内や使用人による裏切りだろうか……?
「ファントム・レギオン」の攻略ファンサイトでも、いろいろと毒殺犯の推理がされていたっけな。
俺はあまり興味がないから、考えたこともなかった。
くそ、もっとしっかり考察を見ておくんだった……。
「待てよ……? そもそも俺が悪役ムーブをしなければ、殺される理由もないんじゃないか?」
ゼノは領地に圧政をしいたり、世界征服を企んで主人公と対立したり、最強の悪役だったからこそ、毒殺される運命になった。
つまり、普通に善人として、愛され貴族として暮らしていけば、殺されることもないのでは?
幸いにも、俺が殺されることになるのは、10年以上あとのことだ。
記憶が戻ったのが11歳の今で本当によかった。
そうと決まれば、ありとあらゆる人に媚びを売って、誰からも好かれる人間になろう!
誰からも恨みを買わないように、誠実に生きよう……!
まあ、これまでの行いでかなりヘイト買ってそうだけど……。
というのも、自分で言うのもなんだが、ゼノヴィウス・フォン・ドミナルという人間は、すこぶる性格が悪い。
そりゃあまあ、あんな嫌われキャラに育つのも納得の素行の悪さだ。
親にめちゃくちゃに甘やかされ、傲慢不遜に育ってしまった。
貧乏で親に虐待されて育った前世とは真逆だな。
とても自分の記憶だとは思いたくないのだが、まだ11歳だというのに本当に酷い人間だ。
特にメイドや使用人たち、自分より下の人間にはとことん態度が悪い。
暴言や暴力は当たり前で、人を人とも思ってない。
そんな俺が急に態度を変えたら怪しいだろうか……?
いや、今ならまだ、子供が成長するにしたがって心を入れ替えたのだ、と思ってもらえるだろう。
まずは身近なメイドたちに好かれないとな……。
彼女たちにはさんざん酷い態度をとってきた。
俺はさっそく、部屋から出て、メイドたちに媚び売りキャンペーンの旅を始めることにした。
◇
しばらく廊下を歩き、曲がり角まできたそのときだった。
向こうの角から走ってきたメイドと、ぶつかってしまう。
――ドン!
「うお……!?」
「きゃぁ……!」
――ガシャーン!
俺は歳のわりに高すぎる防御力のおかげか、その場からびくともしなかったのだが……。
メイドは運んでいた料理をその場にぶちまけて、へたり込んでいた。
皿が割れ、破片が飛び散り、中に乗っていた高級そうなケーキと、クリームは俺の顔にまで飛び散っている。
くそ……最悪の出だしだ……。
メイドたちに好かれようと部屋を飛び出したはずが、仕事の邪魔をしてしまった。
たしかこのメイドは、ミレイユ・ルナティリカとかいう名前だったな。
考察サイトではこいつも毒殺の犯人候補として名前があがっていたっけ。
「も、申し訳ありません! ゼノヴィウス様!」
ミレイユは顔面蒼白になりながら、大きな声で頭を下げた。
「ど、どうしましょう……せっかくの最高級ケーキを無駄にしてしまいました……。はわわ……私の3か月分のお給料がぁ……。それに、絨毯も……。私の不注意でお屋敷を汚してしまって、すみませんでした。す、すぐに片付けますので!」
メイドのミレイユはそう言いながら、とても怯えた表情で割れた皿を片付ける。
これまで俺にさんざん酷い目に遭わされてきたのだろう。
完全に俺にびびって委縮してしまっているのがわかる。
俺が怒りのままに罵声を浴びせ、殴りつけるとでも思っているようだ。
たしかに、これまでのゼノであれば、そうだった。そんな高級ケーキと高価な絨毯を無駄にされて、冷静でいられるはずがない。
しかし、今の俺は違う。俺は決めたのだ――メイドに好かれようと!
そう、逆に考えれば、これはミレイユの高感度を上げるチャンスでもある。
ここでミレイユの予想を裏切り、俺が優しい言葉で手を差し伸べれば、きっとこれまでの悪印象を払拭できるはずだ。
ヤンキーが犬を拾うとなぜか好感度が上がるように、普段悪いやつがいいことをすると、過剰に評価されるという法則があるのだ!
いわゆるギャップというやつだ。
俺はミレイユに優しい言葉をかけようとする。
なるべく優しい顔で、優しい声で、紳士的に手を差し伸べるつもりだ。
かける言葉はそうだな……。
『そう怖がらないでくれ。俺は怒っていないよ。それより大丈夫だったか? いきなり飛び出した俺が悪かった。一緒に片付けされてくれ』
よし、これでいこう。
これならきっとミレイユも俺のことを見直すはずだ。
頭で整理してから、俺は口を開いた。
すると、いったいどういうことだろうか。
俺の口が、言うことをきかない。
「あ…………あがががが…………」
「ぜ、ゼノさま……? ど、どうされましたか……!? もしかしてお皿の破片が!? どこか怪我をされましたか!?」
「ち、ちが…………う…………あががが…………」
俺はどうにか優しい言葉をかけようとするのだが、なぜか上手く身体が動かない。
優しい声を出そうとしても、険悪な声にしかならないし、優しい表情をつくろうとしても、顔の筋肉がこわばって、怒ったような表情になる。
善人ムーブをしようとすると、なぜか身体が全身でそれを拒否してきやがる。
そうか……今の俺は傲慢不遜極まりない性格のゼノヴィウス。
だから、元々のゼノの性格に合わないようなことを言おうとすると、身体がそれを拒否してしまうのか……?
クソ……なんて面倒なんだ!
優しい言葉をかけようとすると、俺の中に染みついたゼノとしての性格が全力で邪魔をしてくる。
どれだけ頑張っても、口をついて出そうになるのは耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言ばかり。
魂に刻まれたゲームキャラとしての設定が、俺の行動を矯正しようとしてくる。
せっかくメイドに好かれようと思ったのに、これじゃあコミュニケーションすらままならないじゃないか!
「があああ! あがあああ……! クソがぁ……!」
「ひゃぁ……! ご、ごめんなさい! ゼノさま! お願いですからぶたないでください!」
なんとか抗おうとしたせいで、俺はものすごい険しい表情で、大声を出してしまった。
そのせいでまたミレイユを怯えさせてしまったじゃないか!
これじゃあ悲しきモンスターじゃねえか。
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