異世界オーバードラフト
お読みいただきありがとうございます! 本作は経済×ファンタジー×チートの長編を目指しています。序盤はスロー寄りですが、数字が動き出すと加速度的に世界が変化していきますので、ぜひ温かく見守ってください。感想・レビュー大歓迎です!
――動け、まだ締切は終わっていない。
月城啓司はキーボードに額を伏せたまま、そう心の中で呟いた。
開発フロアの時計は午前四時二十八分を指している。蛍光灯の白い光が疲弊した社員たちの顔色をさらに悪く見せ、机ごとに置かれたエナジードリンクの空き缶が墓標のように積み上がっていた。月末リリースの追加仕様。客先は「やっぱり必須」と言い、上司は「根性で乗り切れ」と言った。根性とは、眠気と胃痛と吐き気を同時に抱えながらコードを書くことらしい。
「……いける、テスト通った」
啓司はかすれた声でつぶやき、デプロイ用スクリプトを叩いた。その瞬間、視界が白く弾ける。
自分が椅子から転げ落ちたのか、天井が落ちてきたのか、区別がつかなかった。遠ざかる鼓動。足先が冷え、耳鳴りだけがやけに鮮明だ。
――結局、残業代すら出ないままか。
最後に浮かんだのはそんな自嘲で、光と闇の境目で啓司の意識は途切れた。
◇ ◇ ◇
冷たい風が頬を撫でた。背中に感じるのは固い石畳。目を開けると、群青色の空が広がり、二つの月が重なっていた。
(……夢?)
啓司は上体を起こし、最初に自分の服装が変わっていることに気付く。くたびれたスーツではなく、茶色い外套と丈夫そうな革靴。そして腰には布袋。縫い目が粗く、見覚えのない感触だ。
「門番に並べ! 入市税は一人一枚の金貨だ!」
怒鳴り声に振り向くと、高い城壁へ続く列が出来ていた。列の先頭では鎧を着た門兵が大斧を肩に担ぎ、入城希望者から金貨を受け取っている。
(異世界転移? そんなまさか……)
戸惑いながらも列の最後尾に並ぶ。すると頭上に薄い半透明のパネルが出現した。
――《均衡贖い》システム起動。
未来資産:不確定
現在借入残高:0
新規借入可能額(試算):金貨1枚
文字は日本語なのに、読み上げられる声は機械的で性別の判別もつかない無機質さだった。
(これが……チート? 未来の自分から資源を借りられる、とか?)
説明らしい説明はない。だが頭の奥に、確定申告書の作成要領を初めて読んだときと同じ“分かったような分からないような”感覚が漂う。とにかく門番に払う金貨は今の自分にはない。それなら――
啓司は無意識に「借りる」と念じた。
パネルに1…0のカウントが走り、布袋がずしりと重くなる。開けると黄土色の金属片が一枚。刻印は竜の横顔。
同時にパネルに小さな砂時計アイコンが表示され「残り時間 23:59:51」と赤字が点滅する。
(一日以内に返さないといけない、ってことか)
列が進み、啓司の番が来た。門兵は金貨を摘まみ、真贋判定のために噛んでみせる。歯形がつき、門兵はうなずく。
「よし、通れ」
「……ありがとう、ございます」
城壁の中へ入ると、朝焼け前の街道にランタンが灯り始め、市場の支度をする人々の喧騒が混じり合う。
(借りられるのは一枚だけじゃないかもしれない。けど返済期限を過ぎるとどうなる?)
自問した途端、頭の片隅にノイズのような映像が走る。枯れた畑、黒い雲、ぴょんと跳ねる小さなバッタ――いや、何千、何万という群れだ。
(返せなかった場合、未来の自分じゃなく周りに被害がいく……?)
根拠のない確信が背筋を冷やす。だからこそ失敗は許されない。たった一枚の金貨、二十四時間の猶予。仕事漬けの日々で養った〝納期から逆算する〟思考が自然に回り出した。
まずは宿を確保し、情報を集め、金を稼ぎ、期限までに同等価値を稼ぐ。稼げなければ……何か別の“価値”で返す方法を探す。それがモノかサービスか、あるいは――。
「よそ見してるとスリにやられるぞ、新入りさん」
脇から声を掛けられ振り向くと、短髪に革の帽子をかぶった少女が立っていた。肩には荷物紐が三本、腰には帳簿らしき革冊子。
「あんた、金貨一枚で入って来ただろ。宿なら案内するよ。紹介料は、えーっと……後払いでいい。私、信用取引派だから」
啓司の心臓が跳ねる。
(この街には“取引”で生きる人間がいる。だったら、自分にも勝算はある)
頭上のパネルでは、砂時計が静かに砂を落とし続けていた――残り、二十三時間四十八分。
◇ ◇ ◇
システムメモ
・借入操作は「念じる」だけで可能。対象は現金以外にも適用できる気配。
・返済は同価値/同カテゴリーが原則? 詳細不明。
・デフォルト時、周囲に“災厄”が発生するヴィジョンを確認。規模は未返済額に比例?
・金貨1枚=未知の価値単位だが、門兵が受け取るレベルの流通品。物価把握急務。
・タイマーはリアルタイムで減少。視認は自分のみ。ブツ切りのアラート音は無い。
まずは情報。そして収益モデル。
〝人が苦手とする計算〟と〝数値管理〟。それは啓司がブラック企業で擦り減らしながらも唯一磨き続けた武器だ。
異世界の夜明けは、金一枚の重みとともに始まった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました! 初回ということでサラリーマン時代→転移→最初の借入と、やや長めに描いております。次回からはいよいよ街の内部と情報収集パートです。今後ともよろしくお願いします!