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宮崎県・西都原古墳群は邪馬台国じゃない!b


 その中でも宮崎西都原古墳群のある辺りを邪馬台国とする説があり、信奉している方が多い様です。というのもそこが日本神話の天孫降臨の地に近いという事もあって、そこが邪馬台国にふさわしいという考えなのだろうけど、何故天孫降臨の地が邪馬台国にふさわしいのかがちょっと分からないです。


 それに対応する様に前に消した部分でも少し触れた事があるのですが、北九州こそが天孫降臨の地であり北九州にも日向があるという説もあります。


 それは兎も角、その西都原古墳群で一番巨大な前方後円墳の男狭穂塚古墳が5世紀前半とされています。それはやっぱりこの地域の首長がその頃に古墳時代のヤマト政権に組み入れられた証であって、そこに邪馬台国があって東に東遷してヤマト政権になったという事は考えにくい。それは大友氏が島津氏に負けて東遷して豊臣政権を倒して新たな国を作るみたいな荒唐無稽な事だと思っています。


 水行陸行みたいな事を考慮せずにどうして邪馬台国の場所が分かるのか? と思われるでしょうが、書いている人間は「分からない」です。一回も此処だと断言した事は無いはずです。ただ九州の中心地は古代からずっと筑前筑後の平野の辺りだったから、中国との交流を重視したヒミコの王国がそこから遠く外れる事は不自然で、自然とその辺りにあるはずだと思います。だから新幹線も電車も馬さえ無かった弥生時代に邪馬台国が別府だとか宇佐だとか宮崎日向だとかにあって、九州全体をコントロールする事は不可能でしょう。やはり筑前筑後のどっか、その辺りと考えるのは自然でしょう。ましてや四国だとか出雲や中国や吉備、近畿以東もありえないです。だから水行陸行とかあんなもん考えるだけ無駄だと思ってます。


 その考えからすれば、狗奴国は熊襲、ククチヒクは菊池彦という従来の考えが面白味は無いかも知れないけど、順当な所だと思う。


 そしてククチヒクが菊池彦だとすれば、血の繋がりは兎も角後の時代に菊池氏が大活躍する様に、ククチヒクという人物は実在した可能性が高い。ククチヒクが実在したならその主であるヒミクコ(ヒミココ)とその敵対者であるヒミコも該当するなんらかの人物が居た可能性が高いと言えると思う。なんだか欠けた土器の小さな破片から見えてない部分を復元するみたいな話だと思うが……


ヒミコ

↑↓長年仲が悪い

ヒミクコ(ヒミココ)

↓臣

ククチヒク(ククチヒコ・菊池彦・実在?)


 そうした観点から言っても、宮崎日向にヒミコや邪馬台国にかかわる様な伝説があるとは思えないです。

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