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邪馬台国九州説と、いわゆる九州王朝説の違いb


 畿内説の人らから見たら何だかカレーの「甘口カレーか辛さ百倍カレーの違いか」みたいな話で、微妙なのですが九州王朝説に全く賛同出来ない点は「倭の五王」が九州王朝、いわば卑弥呼政権の子孫だと多くの場合主張している訳です。それには全く賛同出来ないです。


 なぜなら倭の五王、神功皇后と子応神天皇から始まる時代と、誰の古墳かは絶対的に明確に言えないとしても仁徳天皇陵などの巨大古墳はセットなので、倭の五王が九州王朝などとするのは不自然と思っています。何故なら海から見える巨大前方後円墳が海外からの使者を驚かす為の装置なのだから、倭の五王が九州王朝なら何の為にあんな巨大古墳を近畿の誰が作ったのかという事になってしまう。また日本広域を支配した物証があるワカタケル大王、倭王武の上表文にある内容を見ても倭の五王は近畿政権と考えるのが自然でしょう。


 残念ながら九州王朝説は実は古事記日本書紀の書かれてある事に反発したい気持ちが強い、政治色が強い説でもあると思っています。九州王朝説本を読むと、最初こそ邪馬台国九州説と似通っていても、途中から「近畿政権が九州王朝の権威を奪った」とか「近畿王朝が正統九州王朝を乗っ取った」とかそういう表現が増えて行きます。


 そもそも古代の日本は統一化される前は、どこが正統かどこが正しいかなんてナンセンスで、倭種倭人の国々、出雲も吉備も東海も近畿ももちろん九州邪馬台国も対等のいち王国と考えるのが筋で、「正統九州王朝の権威を畿内が乗っ取った」という表現もヘンな物だと思っています。(その背景に中国鏡や金印などの中国権威を至上とする考えが背景にあるとも)


 逆に「日本はもともと各地域の王権が支配していたのだから、神として最初から日本列島を治めていたとする皇室の日本神話は嘘っぱちだ!」とか言い出す方も多いのですが、それは間違いです。


 たかだか短期間に日本の中央部を支配した織田信長ですら、最後は自分の事を神だとか言い出した例があります。最大の敵であった武田や上杉が次々に弱体化して行き、危機があってもなんだか割と勝手に相手が滅んで行く様な「偶然」が続いただけで自分の事を神だとか言い出すのが古来から権力者の本性で、今より自然現象と人間が一体化していた古代弥生日本で、最終的に初の日本統一の勝者となった皇室の祖である天孫が自分達の王朝の正統性を神に求めるのは自然と言えば自然で、それを「嘘っぱちの歴史を広めた!」とか近現代になって言い出す方がヘンなのです。


 戦国時代は血沸き肉躍るなあとか言っておいて、古代日本になった途端に「出雲や数々の地方王国を滅ぼした大和政権の血塗られた歴史」とか言い出す人は、二重基準でしかありません。


 九州王朝説という物が実は大和朝廷史観への反発という想いから出ている事が多い以上、ちょっと相容れないなという感じがします。それと同様に九州邪馬台国(狗奴国含む)が東遷して大和政権になったという説の中にも、神武東征を歴史時代の中に再現したいという方も中にはいらっしゃるでしょうが、日本の出発点は、中国正史にある卑弥呼、卑しい姫御子と記される女性から始まった……としたい、という想いからの人々も多く居ると思っています。やはりそうした考えにも相容れないです。


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