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枯れ木の支度 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 枯れ木も山の賑わい、ねえ。

 おお、こーちゃんか。いやね、最近親戚と一緒するときがあってね。とある人が集まるイベントに付き合っていったんだよ。

 そのとき、たくさん集まっている人を前にして、姪っ子がいったんだよね。「枯れ木も山の賑わいだね」と。


 にぎやかってところから連想して、つい漏らしたのかもしれない。

 すぐ父親たる、うちの弟に訂正はされたんだけどね。本来なら、枯れ木であってもいないよりまし、みたいなニュアンスで使われる言葉だから。

 集まってくれている人が、まるで有象無象であるかのような物言い。ちょっとリスペクトにかけてしまうかもな。話している本人が、本当はいかように思っていたとしてもだ。

 本心とはかけ離れているのに、つい口にしてしまった言葉が根深い問題へつながっていく……知らなかったと後から話しても、ごまかしに取られてしまうかも。

 どんなことでも知っといて損はない、と歳を重ねて思うよ。相手に誤解されて、ぐさぐさ刺されないための自衛にもさ。


 ちょっと言葉の話に戻そう。

 枯れ木は確かにみすぼらしいが、そこにあるということは葉や花をつけた経験があるのも事実。もし木そのものがなければ、本当に根っこから救いようがない。

 しかし、枯れていてもそこに木があるならば、また何かの拍子に息を吹き返す可能性ありだ。

 季節がめぐり、新たな力を得ることもあるだろう。それが足かけ何年もかかる大事業かもしれず、人々の忘れたころにやってくる。

 受け取る側も、四六時中気にかけているものじゃないし、気にかけていなくてもいい。ただ、その時がきたとき、柔軟に対応できるゆとりがあってもいいかもしれないな。

 私が昔に体験したことなんだが、聞いてみないかい?



 私の地元には、「ボウズ山」とうわさされる山があった。

 学校の裏手にある山の一角だったんだけど、そこが中腹からてっぺんにかけて枯れ木ばかりが立ち並んでいるのさ。

 冬場なら分からなくもない景色だけど、一年を通してこの調子だからな。子供たちにからかわれるには、かっこうの立ち位置だったといえる。

 しかし、それが「ハゲ山」ではなく「ボウズ山」で済んだかというと、枯れ木の存在が大きい。


「ハゲ」はもう、救いようのないレベルでのはげ上がりを指す。金輪際、緑とは縁を立たれてしまい、木の一本も生えていない状態をね。

 その点、枯れ木が点在している分には「ボウズ」の分類。自分から剃っているだけで、毛そのものには見込みが残っている。

 いわば、枯れ木こそがその剃り残し。ハゲ山とは一線を画するところ。そこには未来があり、可能性があるというわけだ。

 私を含めた一部の子供は、ひまさえあれば山とそこに生える枯れ木たちの様子を探り、変化がないものかと観察をするのが、ひとつの趣味になっていたんだよ。

 

 ボウズ山のいわれについては、親から聞いたことがある。

 当時より30年前に、あの山で火事が起きたらしいんだ。火の手は強く、そこから広がる惨事を考える人も少なくなかったが、予想に反して火は、あの一角にとどまり続けた。

 消防隊も呼ばれ、それなりの人が遠巻きに様子をうかがう中、火は自らの存在をアピールするかのように一時間半も広がりを見せないまま、燃え盛っていたらしい。

 その勢いもまた、「今日のところはお開き」といわんばかりに急速に弱まっていき、ものの数分のうちにおのずから消え去ってしまったというんだ。

 煙を発しながらの焼け野原が残ったその景色は、確かに火があった証。しかし、いずこが火元なのかは特定することができず、人為的によるものとは考えづらかったらしい。

 以来、山はボウズのままでもって、年中冬真っ盛りともいうべき、寂しげなたたずまいを見せ続けていた。

 


 火あぶりの名残か、立ち並ぶ枯れ木たちはいずれも真っ黒な肌だ。

 素人目に、炭化していると判断していいものか。私たちの頭の中じゃ炭化すなわち、灰と化すこと。触れればたちどころに形を失い、崩れ去る印象なんだ。

 けれども、ここの木々はしっかりしている。押そうが、寄りかかろうが皮の一部もこぼすことない堅牢さ。

 後天的に火に包まれ、弱ったやもしれない状態とはとうてい思えなかった。

 不可解な現象を経て三十年もここにあるなら、すでに大人たちが何かしら調べていてもおかしくない。だが、私たちが関係する大人たちでそれに関与し、詳細を知る者はいないようだった。

 立ち入り禁止とされていないあたり、人に害のあるガスなどが出ている、という線はなさそうだったんだが……。


 その調査に変化が現れたのは、小学校5年生の秋だったか。

 元あった用事がつぶれて、急に暇をもてあました私は、学校帰りにまたボウズ山へ足を向けた。

 これまで何度も歩いた道。中腹から山頂まで迷わず進んだが、その頂付近に立つ数本のうちの一本を、私は目にとめた。

 高さ10数メートルはあろうかという、のっぽな木。そのてっぺん近くの張り出した枝の根元で、幹に寄りかかっているものがある。


 その大きさと表面に刻まれた溝から、バレーボールかと最初は思った。

 しかし、木の真下まできてよくよく観察してみると、その丸みは上へ行くほどすぼまっていく卵型。

 そう、卵だったのさ。これほどの大きさのものは、私はじかに見たことがない。

 しかも、巣のたぐいを介さない直置きだ。ここをねぐらとするような、鳥の仕業ではないらしい。かといって、産み落とす場所としてはいささか目立ちすぎるし、風の吹き具合によっては、いつずれ落ちてもおかしくなかった。

 ここには雨風を代わりに受けてくれそうな葉たちの姿は、全然ないのだから。


 もっと近くで見てみようと、私は木登りを試みる。

 身軽さには自信があったし、幹はずいぶんと太い。これまで相手した木たちにはもっとやっかいな手合いも多く、楽勝だろうと当初は高をくくっていた。

 けれども卵の下、2,3メートルくらいまでくると、急に手元や足元が滑り、危うく木から落ちかけてしまう。

 幹がぬめりを帯びていた。よくよく見ると、黒々とした幹がかすかなてかりを浮かべている。間近まで来なくては満足に確認できないほど同化した粘液が、ぐるりと幹を覆っていたんだ。

 

 独力で数回挑んだが、ケガをするのも時間の問題という鉄壁さ。

 翌日、ボウズ山を探っている友達連中に声をかけて、木登りの腕に覚えがある皆で挑んだが、いずれも卵のもとへたどり着くことはかなわなかった。

 このぬめりを取り除いてしまうのはどうかと、フライ返しを手にして向かった子もいたが、奇妙なことにこれらは金属部分をあてると、たちまち硬化をして歯が立たなくなってしまったんだ。

 手足は受け入れるも滑らせ、金属部分は受け入れもせずにはじき返す。いくら素早く動いても、そこを上回る機敏さをもって応えてくる。


 ――絶対、あの卵には何かある。


 この場に集った皆の、共通認識ができあがりかけたところで。


 木に登らず、じっと周囲の観察に徹していたひとりが、声をかけてきた。

 周りの木の本数、減っているんじゃないかとね。

 木そのものの数を、私たちの大半は気にしていなかったが、その子いわく、先ほどあったはずの木がなくなっていると話して、はばからない。

 試しに、いまここから見える木々のうち、12本を定めて印をつける。そのうえで、再び木登りにて卵のもとへ向かおうとしたんだ。


 幾度目かの失敗か。

 印をつけた木の数は11本に減ったんだ。見間違いじゃないかと、一同木登りの手を止めて、かの木のあったあたりへ向かう。

 しかし、その間にも木は10本、9本とどんどん数を減らしていった。たまたまそちらへ目を向けていた子によれば、演劇の小道具が片づけられるように、ふっと消失してしまうとのことだった。

 地面には、先ほどまで木が生えていたことを示す穴が残っている。けして見間違いではないと思うのだが……。



 困惑する私たちの鼓膜は、ほどなく「ごっくり」と嚥下する音をとらえた。

 互いに顔を見合わせる。お腹の虫もかくやという大きさで、意識して飲み込んだとしてもここまで大きな音を出せるものだろうか。

 なおも木は減っていく。それにつれて、直後に嚥下する大音が耳を揺らして。

 3本、2本と、まるで私たちに見とがめられたのを開き直ったかのように、木は次々消えていき、ついに最後の1本も消え失せる。


 ごっくり、ごっくり、ごっくり……。


 そこへせわしなく続く嚥下の音も、ぴたりと止まってしまったおり。


 あの卵を抱える枝が、みしりときしんだ。

 消えていく木たちから、意識を戻して見やると卵は当初よりも、ずっと大きくなっていたんだ。

 その身をしっかりささえていた枝は、もはや卵と比べれば小指ほどの細さ、心もとさになっている。

 卵自身もまた、私たちの前ではっきりとぐらつく。

 たまらず、枝は卵を取り落としてしまい、支えを失った卵――すでに子供の私たちと同じくらいの図体――は真っ逆さまに土の上へと吸いついていった。

 

 刃物を中心に入れられたかのように、見事な真っ二つ。そこに中身は見えず、ただ両断された殻のみが残される。

 が、何もいなかったわけじゃない。

 耳をつんざく悲鳴じみた叫びとともに、卵を落とした木の幹が、地面からてっぺんへかけて一気に立ち割られていったんだ。

 左右に分かれた幹たちが、おのおのくたりと倒れる間に、木の真上に立ち込めていた雲がたちまち左右へ道を開け、ぽっかりとした穴が現れた。


 卵から産まれた、何かだろう。

 不可視のそれは、幹を駆けあがり、踏み台として、空の高く高くへ飛び去って行ったのだと、居合わせた私たちは悟ったよ。

 不自然にとどまった火の手、そして数十年の時間。

 それは木たち含めて、卵の中身を養う力とする下ごしらえだったのであろう。

 ひょっとしたら、長年このままの状態にしていた人々の意識の調整さえも。


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