レジィとシャドー
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日々の生活をするなかで「めんどくさい」と思ったことはありませんか?
その理由は、もしかしたらシャドーの仕業かもしれません。
ある少年、いや青年レジィは、不運にも「めんどくさい」のシャドーに取り憑かれ、手を焼いていたのかもしれません。
「かもしれません」というのも、私はこの少年(青年)に会ったことも喋ったこともないからです。
では、どうやって、そんな少年、いや青年レジィを知ったのかというと一通の手紙が届いたからです。その手紙によると、このシャドーにエントロピーを向けると生きることすら放棄し、逃げ出すようになるようです。逃げても逃げても、シャドーは、追いかけてきます。そのうち怠惰さが、夕暮れのシャドーみたいに自分の存在よりも大きく、とても強い魔物「放漫」になるかもしれません。
そのため、私自身が質問に答えることはできません。なぜなら、その青年は残念ながらもうすでに、言葉を失っているからです。
拝啓 偉大なる兄弟「エレガンス」さま
1.シャドーと実体
「学校に行くために朝起きるのもめんどくさい。もっと、寝ていたい。もっと遊んでいたい」とわがままを言う小学3年生の僕、レジィくんがいました。
当然、両親がそんなわがままを許すわけがなく。ケツをたたき、学校の始まる時間40分前にあわてて起こしにきます。僕は仕方なく目をこすり、テーブルに準備されている焼いていない食パンを口に押し込みます。口の中はパサパサで水分が奪われるためコップに牛乳をつぎ流しこみます。すでにこのときは、学校が始まる30分前です。
「めんどくさいな〜。遅刻しちゃいけないのかな」と思いながら、顔と歯を洗い服を着て身だしなみを整えます。授業で必要な教科書や道具を用意しますが、時間がないので、記憶をたどり重要なものは学校に置きっぱなしにしています。
「しまった。きょうはドリルの提出の日だ。学校を休みたい。先生にまた怒られる。めんどくさ、行きたくないな〜。授業の間の時間を使って終わらせよう」と自分の頭の中でおしゃべりをします。
「なに、ぼーっとしているの。学校に遅れるわよ。」とお母さんの鬼の形相がまた始まりました。
「行ってきます〜」と、家を飛び出すのは、学校が始まる20分前です。学校が近くて良かったです。10分で着き10分の余裕があります。
校門をくぐり、下駄箱で靴を抜き替え、引き戸を開けます。すると「おはよう」と大きな高い声がします。
元気で見栄っ張りのヴァナディだ。
だれにでも、大きな声をかけて挨拶をします。冬でも何故か、半袖、半ズボンで過ごしている女の子です。
僕はめんどくさいので、静かに無愛想に「おはよう」と返事をし、絡まれないようにします。
めんどくさいため、機嫌の悪いフリをしてドリルに取りかかります。学校の先生に怒られ、居残りになったらさらに、めんどくさいからです。
ドリルにかかろうとしますが、筆箱を出すのすらめんどくさいです。
生きているのって本当にめんどくさいな。
いっそのこと学校が、先生が、両親がいなければ・・・
このように僕の幼少期は、「めんどくさい」を極めていました。
しかし、そんなめんどくさい達人でも、異性と手紙でやり取りすることに関しては、時間を忘れることができました。
蓋をあける前のプレゼントのように、何が入っているのかワクワクします。
その人の字は、その人の性格として現れるから好きなのです。丸みをおびた可愛い字や丁寧に行におさまった整った字をはじめ同じ文字は、一つとしてありません。
そんな僕の字はめんどくささが出ています。
なんて書いてあるか、わからないほどです。
「る」と「ぬ」を間違えていることも多々ありました。けど、そんなことを気に留める人は少なかったです。
だって、まだ小学3年生で、当時のシャドーはそんなに伸びていなかったからです。
こうやって、みんなとずっと楽しく手紙でやり取りできればいいのにと思っていながら、ひたすらドリルを書き写します。
めんどくさいので、読めるギリギリの字をいくつもある四角の檻に埋めて、再提出にならない最低ラインで綴ります。
2.伸びるシャドー
小学3年生から5学年自動的に進級し、1学年1クラス、30人前後で、合計4クラス120人の中学2年生になりました。担任の先生は4人。なにかしらのシャドーに先生たちも飲み込まれているようです。
それもそのはずだ。1日の先生の労働は、多くて13時間。1人の生徒に割ける時間はおおよそ26分です。そのなかで、テストの問題作りや回答、提出物の赤ペン先生でカリキュラムをこなし、生徒1人と目を合わせる時間は1日に1分もないです。
疲労があきらかに現れています。
子どもたちは疲労を現した存在そのものであるため、先生の黒いシャドーが現れれば、クラスは、荒れ果て、飲み込まれます。
シャドーは、さまざまな貪食や淫蕩、資本、悲観、激怒、機嫌、虚栄心、放漫などとして現れるようです。
僕がはじめてこのシャドーに取り憑かれたときは、学校から逃走しました。
母に「行ってきます」と元気よく出かけたようにみせ、学校に背を向けてあてもなく自転車をこぎました。小学生と違い、自転車だったため冒険に出かけ、彷徨いました。
当然、学校から母に電話が入り、すぐに見つかってしまったのですが、まったくもって学校へ行くのがいやになってしまいました。
自分が悪いように扱われ、先生や親の言うことは正しく。シャドーが伸びるのを感じました。「平謝り」をして、めんどくさいやり取りを最小限にしました。
僕を学校にしまい込もうとするシャドーでは限界があるようです。そこはとても狭く光が当たりにくいためです。窮屈なのです。檻の中のシャドーには限界があるのです。
しかし、めんどくさいので学校に背を向けたのは、その一回きりでした。学校に行きたくない気持ちは日に日に増しましたが、それ以上にめんどくさくなるので行きました。
このときも異性との手紙は続けていました。しかし、その一回の騒動にもシャドーが入り込みました。
「レジィ君、昨日朝来なくて先生が大騒ぎしていたけど、大丈夫だった?」と、異性のパセリズンの手紙に書いてありました。何かがズキンと音がしましたが「大丈夫。ちょっと体調がわるかっただけだから。」とパセリズンの機嫌をとりました。しかし、僕の心にはあきらかに抑えきれないシャドーを認知しました。言葉にできないですが、認知したのです。
しかし、深く考えるのもめんどくさいので逃げ出しました。
それにあわせて徐々に、異性に手紙を書くこともめんどくさくなりました。
これが、中学2年生のときのことです。
シャドーが伸びていくのを自分で確実に実感したわけです。
当時は、そんなことを知る術もなく。また、学校の先生も、シャドーの正体の答えを知らなかったでしょう。
シャドーの正体を知っていたなら、僕はこの手紙をあなたに送ることもなかったでしょう。
3シャドーの爆発
高校2年生になると、いよいよ行き場のないシャドーは、どこに向かうのかわからなくなりました。もはやシャドーを実体として捉えるようになっていました。
同時に、めんどくさい達人なので、テストも赤点ギリギリ、部活も一番簡単な文学部。親に指図を受けないギリギリを選択しました。
そうやって、首の皮ひとつで、高校3年生になりました。しかし、どうにもならない問題が起きました。問題と言っても、ただめんどくささから、無気力になっただけです。
無気力になると同時に、体まで壊し重い結核になりました。
しかし、病院に行くこともめんどくさいため放置をしました。
六日目の晩、母が見かねて病院に連れて行ってくれました。そこで、ようやく結核とわかりました。
重度ではあったもののギリギリで「入院するか、入院しないか」のレベルでした。選べたので、入院するのはやめました。家から出るのは、もっとめんどくさいからです。
まさに、もぬけの殻とはあのことです。
夜中に熱を測ると、42度の熱がありました。フワフワして、ベットの横になっている自分を部屋の上からみていました。
ベットの脇にある机の上には、冷えピタと着替え、飲み物、風邪薬が置いてある。
緑色で泡の模様の背丈半寸ばかりのカーテンは、閉められていました。
母の気遣いでしょう。
しかし、そこにはどうしようもない真っ黒な自分がいました。
どこか懐かしい匂いと真っ黒な匂いがしました。それが何かと問われても分かりません。
ただ、真っ黒な匂いなのです。
気がつくと、朝になっていました。若いおかげで、結核は治りました。
しかし、シャドーは色濃く残りシャドーに身を任せていると「なぜか安心すること」も同時に分かりました。
4シャドーの行方
僕も、20歳手前、大学2年生になりめんどくさいので、勉強せず入れる大学に行き、バイトをするようになり、彼女もでき、両親や教授も安心していました。
それもそのはず、いままでよりも充実した生活を送っているように見えるからです。わたしは大人たちのめんどくない最低限を心得るようになっていました。
提出物も出し、単位も落とさなかった。家にはいたくなかったので、夜に海やボーリング、カラオケに行き、日中は授業で寝て、上手くやっていました。
しかし、シャドーの快感を味わってしまった僕はある決意を結核が治るのと同時に、ある決意をしたからです。
決意したので、めんどくささから逃避できました。時間の流れも速くあっという間でした。それなりに楽しむことができました。
エレガンスのあなたなら、きっとこの意味が分かるはずです。
なぜなら、僕達は偉大な兄弟だからです。近いうちに僕達は必ず出会います。
シャドーを実体として捉えるようになったときには、その日も近いでしょう。
敬具 レジィ 19歳364日
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もう一度いいます。私はレジィ少年と一度も喋ったこともなければ、会ったこともありません。
しかし、手紙は確かに届きました。開封された気配もありません。
こうして、一枚の手紙を紹介しました。
だから、私にこのことを質問されても墓石のごとく答えられません。しかし、新聞とSNSで調べたところ、その少年、いや青年レジィは、19歳364日に川で溺死していることが、分かりました。死因は事故とされていました。自殺はめんどくさかったのかも知れません。
そして、シャドーは現在もあなたのすぐ足元に潜んでいるかもしれません。
しかしシャドーは、所詮シャドーです。光を与えれば限りなく縮んでいきあなたの実体となることはありません。