5.竜の住処にある地下牢
「セツリュウ様、お食事をお持ちしました」
「いらないわ」
セツリュウ様は竜の住処にある地下牢に入れられていた。召喚術が失敗してからというもの、彼女は一度も食事をとろうとしなかった。リアは、牢屋の外からセツリュウ様の変わり果てた姿を見ていた。艶やかだった髪は輝きを失い、乱れていた。拳は傷ついており、ところどころが赤黒くなっている。牢屋の壁にも赤黒い跡がついていた。
「おい、リア。あきらめろ」
背後からシリュウ様が声をかけてくる。セツリュウ様を牢に入れた張本人だ。
「シリュウ様、本当にセツリュウ様をここに閉じ込めておく必要があるのですか?」
正直こんなセツリュウ様の姿なんて見ていられない。リアは食事の乗ったトレイを持ったまま、立ちすくむ。
「お前、人間が五人も犠牲になってんだぞ? これでも全然甘いくらいだろ」
リアはシリュウ様が苦手だ。セツリュウ様はその五人を殺そうとしたわけでもないのに。
「で、でもそれはセイリュウ様をお助けしようとして……」
「はあ、まさか人間がセツリュウの味方するとはな」
とシリュウ様は吐き捨てるように言った。
「だ、だって」
セツリュウ様はリアにとって大切な存在だ。リアの面倒を見てくれたのは、セツリュウ様なのだから。本当は、今すぐここから出してあげたい。しかし、牢のドアには紋章のついた錠が付いていて、それはシリュウ様にしか解錠することができないものだった。
「リア、来い」
シリュウ様が手招きをする。リアが素直についていくと、地下牢の前の広い空間につく。そこは、この前、召喚術を行った場所だった。
シリュウは汚れた魔法陣をのところでかがむ。リアもそれに倣って、かがんだ。食事の乗ったトレイは後ろに置いておく。
「セツリュウはこれを使って、召喚術を行おうとした、そうだな?」
シリュウ様は魔法陣を指さす。
「はい」
「俺が見る限り、結構複雑な術のようだ。こういうのはヘキさん……ヘキリュウさんの方が詳しいんだが、まあいい。書かれた竜文字を見る限り、相当な力を要する。それに、この字見えるか?」
そう言ってシリュウ様が指さしたのは三角形に角が生えたような模様だ。
「はい」
リアはただただうなずく。
「これは竜文字で、魂を意味する。この部分を読むと『魂をもってして召喚する』って書いてあるんだ、これがどういうことかわかるか?」
「い、いえ」
「つまり、セツリュウはあの五人が死ぬってわかってて、この術を行使したんだと俺は思う。あと言っとくとな、命を扱う術は禁術なんだよ、絶対使っちゃいけないんだ」
シリュウ様は、そういって五人の亡骸が並べていた場所を見た。今はみんな墓地に埋葬された。シリュウ様の言っていることは正しい。けれど、リアは思う、あの五人は心のどこかでそれが分かっていたんじゃないかって。
「シリュウ様」
「ん?」
「セツリュウさまの守護者候補の皆さんはそれをわかっていたと思います。でも、それでもセイリュウさまを助けたいというセツリュウ様の想いに答えたくて……それで……」
「助ける? そりゃ何の話だ?」
「えっと、セツリュウ様が仰ったんです。セイリュウ様の祭壇に置かれている竜の鏡は竜の命を表していて、竜が死んだとき、その鏡が割れる、と。それでこの前その鏡にひびが入って、セイリュウ様に死の危険が迫っているって、セツリュウ様が」
シリュウは怪訝そうな顔する。
「そんな話、聞いたことないけどな……ただ仮にそうだとしても」
そう言ってシリュウ様は首を横に振った。
「俺はな、リア。あの五人が犠牲になるくらいなら、セイリュウは死んだ方がよかったんじゃないかって思うぜ」
「シ、シリュウ様!? でもセイリュウ様は竜の中で一番偉いんですよね。だったら助けるのが道理なのでは?」
セツリュウ様から聞いたことがある。聖竜はセツリュウ様達、つまり雪竜、紫竜、紅竜、碧竜を束ねる存在であると、竜の中で最も強い力を持っている竜なんだと。
そう言うと、シリュウは笑った。
「ははっ、えらい、ねえ……。確かにセイリュウは俺たちとは少し違う竜だけど……だからって、人の命と引き換えにしていい存在じゃねえよ」
「で、でも……」
「お前、セツリュウからどこまで聞いてんだ、竜のこと」
「え、えっと――」
竜は、この世界に加護を与えている。レトヴィオ国、レジドラ国、エルワス国をそれぞれの竜が加護しており、それによって世界の平和も保たれている。また、それぞれの竜は属性をつかさどっている。シリュウ様が地、コウリュウ様が炎、ヘキリュウ様が水、セツリュウ様が風というふうに。これにより、多くの災害からも国は守られていた。
リアが幼いころにセツリュウ様、つまり竜がなんで存在しているか聞いたところ、こう説明してくれたのを今でも覚えている。
「――という感じでしょうか」
「まあ、大体あってるな。で、だ。俺たち三匹、つっても普段は人の姿をしてるから三人と言っておくか。俺たち普段は割り振られた国で過ごして、国を見守ってんだが。ここ十五年くらい、この世界はおおむね平和だ」
「えっと」
シリュウ様は何が言いたいんだろうか。
「つまりこの世界にセイリュウは不要ってことだよ。」
「でも、セイリュウ様の命に危険が迫ってて……」
だからセツリュウ様が助けようとしたんじゃないか。
「だから何だってんだ。リア、俺の話を聞いてたか? 別にセイリュウ死んだって誰も困らねえんだよ」
「そ、そんな……」
シリュウ様の言葉に、リアは絶句する。なんてことを言うんだろう。
「必要なかったら、見殺しにするんですか」
「違う、他人の命を犠牲にしてまで助ける必要がないって言いたいんだ」
でも、でも。リアは何と言っていいのかわからなかった。セツリュウ様がしたことは間違っていたのだろうか。
「まあ、セツリュウを追い込んだのは俺たちだから、このことを予期できなかったことについては俺も責任を感じてるよ」
「ど、どういうことですか」
「竜が生まれてくる方法は知ってるか?」
それもセツリュウ様から聞いたことがある。
「えっと、確か……、竜が死んだあと、竜の住処で生まれるということだけ」
「まあ、そうだな。正確には、竜の死後、新たな竜の卵が竜の住処に現れ、しばらくしたら、そこから新しい竜が生まれてくるんだ。で、それを先代竜の守護者と、ほかの竜とその守護者が世話するんだが。本来、先代の守護者に加え、竜と現役守護者の持ち回りで世話すんだけどよ。あの時は先代の聖竜の守護者と、セツリュウ、それからセツリュウの守護者の三人に任せてたんだ。あたらしい聖竜が無事に卵から生まれてきてから五週間くらいたってからだったかな。新聖竜はいなくなった」
「いなくなったって?」
「言葉の通りだよ。この住処で見守ってんたんだが、セツリュウが目を離したすきに、守護者の二人は殺され、聖竜は攫われたんだ。しかも、その後セイリュウの竜の気を追えなくなっちまった」
「それはどういう意味ですか?」
「俺たちはほかの竜の力を感じ取れるんだ。つまり、大体どこにいるのかわかるっていえば言うのかな」
それは、すごい。さすが竜。
「でも追えなくなるというのは?」
「俺たちだって万能じゃない。守護者とは契約している限り、どんなに離れていてもコミュニケーションは取れる。つまりそれが異世界だろうとな。つっても俺は知識として知ってるだけで実際はどうか知らないけれど。だが、竜の気を追うってなると、この世界限定になる。それが追えないってことは、異世界に行っちまったってことだ」
なんだか、とんでもない話だな……。
「でも、なぜそんなことに」
「そりゃ、わからん。誰が攫ったのか、そしてその意図もな」
「で、残った竜で出した結論は、放っておこう、だった。もちろん、セツリュウは最後まで、反対していたが」
「どうして放っておこうと……」
「理由はいくつかある。連れ戻すには禁術を使わなきゃいけないから。そして、聖竜がここにいなくても特に困ることはないから。竜の力はほかの世界では発現しないから問題ないから。そして竜の卵は絶対に竜の住処に現れるから」
「ぜんぜん意味が分かりません」
「ああ、ほかの世界では竜の力が封じられるって言えばいいかな。つまり人間と全く同じになるってことだ」
「……」
「人間と同じってことは、大体長くても九十年くらいたちゃ、新しい聖竜がここに現れるってことだよ」
「それって聖竜様が死ぬのを待ってたってことですか」
そんな……何もせずにただ待ってるなんて。
「別に不謹慎な話でもねえぞ。ほかの世界で人間として生きて、その生を全うしてくれって言ってんだから。何の問題もねえだろ」
そういわれても、リアはなんとなく納得できないでいた。
「でも、自分が何者か知らないで生きるのは……」
それは、なんか寂しいんじゃないだろうか。
「いや、そんなことねえだろうよ。で、だいぶ回り道したけどな」
そう言ってシリュウ様は続ける。
「俺たちは、セツリュウに対してセイリュウはほかの世界で幸せになってるって説得し続けてんたんだ。それで今までなんともなかったから、大丈夫だと思ってたんだがな。まさか、こんなことするなんて……それにあの様子だしな。しばらく、あそこからは出せねえな」
また召喚術とかやられても困るし。とシリュウ様は呟いた。
つまり、セイリュウ様を召喚しようとしたことは間違いだった。そういうことだ。どんなにすごい存在でも、誰かを犠牲にして助けようとしてはいけない。シリュウ様はそう言いたいんだろうか。でも、セツリュウ様はセイリュウ様を助けたかった。そんなセツリュウ様を守護者候補の人たちは助けたかった。その命を懸けてでも。
それって、本当に間違っていることなんだろうか。リアはそうは思えなかった。それに、今のセツリュウ様の状況を亡くなった守護者候補のみんなが知ったらどう思うだろうか。
リアはそんなことを考えながらしばらく、自分が汚した魔法陣をじっと見つめていた。