4.「良かったのですか?」
「ルミエラ様、待ってください。ルミエラ様!」
学園内を走るわけにもいかないので、なるべく早足でヒナノはルミエラ様を追いかける。
次第に距離は近づき、ほんの数秒でルミエラ様に追いつくことができた。
「あの良かったのですか?」
ヒナノが声をかけると、ルミエラ様は冷たい目をこちらに向けた。なんの感情も読み取れない目だった。
「何がかしら」
「いや結果的に昼食抜きになっちゃいましたけど」
勉強ってそこそこエネルギー消費するから、お腹空くんだよね……。
「あなたこそ、夕食まで持つの?」
ヒナノがルミエラ様のことを心配して言うと、質問で返されてしまった。
「全然大丈夫ですよ、ご心配ありがとうございます」
いや本当はご飯抜きたくなかったけど。でも従者として主人についていかないわけにいかないし。と、ヒナノは心の中で泣きながら思った。
「ヒナノ……あなた、何も聞かないのね」
それは言うまでもなく、さっきのことだろう、例の件、呪い、とか言っていたっけ。推測できるのは、ルミエラ様が呪いにかかっているか、もしくは呪いを誰かにかけたのかってことだけど。正直ルミエラ様と出会って一週間のヒナノが知ってもいいことなのか。それを判断するのはヒナノではなく、ルミエラ様だろう。
「ええ、必要であればルミエラ様からお話ししてくださるでしょうから」
「そう……。それよりも、あなたが元の世界に帰る方法を探さなくてはね。放課後は図書館にいてちょうだい」
「わかりました」
――放課後。
ヒナノは図書館前でルミエラ様と合流し、図書館内へと移動する。
「明日からは、ここで元の世界に帰る方法を探しなさい。司書には話をしておいたから、あなたがここに通い詰めても、不審がられることはないわ。それと、私も授業がない時間帯は手伝うから」
「あ、ありがとうございます」
ヒナノは深々と頭を下げて感謝の意を表す。ほかに感謝を伝える方法が分からないので、しばらく頭を下げたままでいた。すると、ルミエラ様がヒナノの左肩に手をのせる。ヒナノがルミエラ様の予想外の行動に心の中で驚きながら顔を上げると、少し顔を赤くしたルミエラと目が合った。そしてすぐに視線をそらされる。
「さ、さあ。早速手がかりを探すわよ」
「は、はい」
ルミエラ様にどこの本棚にどんな本があるか、どんな本に召喚術の手がかりがあるかを教えてもらってからは、二手に分かれて本を探し、それを読む。ルミエラ様はヒナノが召喚術によって異世界からこの世界に召喚されたと考えているようだ。だが、あくまで召喚術というのはおとぎ話の中にしか存在しないらしい。ヒナノはルミエラ様にこの世界に魔法というものは存在しないか聞いたが、変な顔をされた後、そんなものはないと即答された。
「……これといった手掛かりはないわね」
少しで手がかりがありそうな本を二人で片っ端から読み始めて三時間ほど経過した。
目が疲れたのか、ルミエラ様は眉間を指でほぐしている。
「この世界に魔法は存在しないということですし、召喚術だっておとぎ話にしか出てこないってことは、やっぱり召喚術を行う方法なんて実際にはないのではないですか?」
ヒナノは率直な疑問を述べる。
それに、ヒナノが異世界に召喚されたとは限らないというのもある。
「でもあなたは、この世界ではない所から来たのでしょ?」
「それはそうですけど……そもそも召喚術だとしたら、私を召喚した人がいないとおかしくないですか?」
「それも……そうね」
とルミエラ様は考える素振りをする。
しかし、ヒナノを召喚した人物がヒナノに接触してこない以上、ヒナノは何か別の方法でこちらの世界に来た可能性だって十分にある。ただ、その方法は全く見当もつかない。
「そもそもルミエラ様は、どうして私が召喚術でこの世界に召喚されたって思ったんですか?」
「それは……」
ヒナノの純粋な疑問に対し、ルミエラ様は少し戸惑った表情を見せた。
いつも自信に満ち溢れた表情をしているルミエラ様にしては珍しい。
「さっきまで私たちおとぎ話について調べていたでしょう? そしてそのおとぎ話には竜が出てくる」
ヒナノは先ほど読んだおとぎ話のあらすじを思い出す。
舞台は、竜に加護された国。味方だったはずの竜が突如暴れだし、人々を殺し始めた。そこに勇敢な騎士が召喚され、味方魔導士とともに見事竜を打ち倒す。話の中盤まではこんな感じ。後半部分は恋愛小説のようで、召喚術とは関係なさそうだったからしっかり読んでいないけど、その騎士と国の王女が恋に落ち、結婚して終わることだけはわかった。
ちなみに召喚術の描写でも、誰によって召喚されたとかそういうことは全く書かれていなかったし、この物語の研究者が書いた論文もストーリー自体の分析が主で、召喚術に関する記載はなかった。
正直、この程度の情報でルミエラ様が、召喚術が実際に存在すると思うなんて、意外だった。
「確かに、竜が出てきますけど……」
「私は竜の……竜が本当にいたのではないかって思うのよ。だから召喚術も実際にあるのではって」
ヒナノは返答に困る。そんな思い込みというか、願望レベルの話で、ヒナノが異世界から召喚されたと思ったのだろうか。ヒナノは突然こっちの世界に来て、途方に暮れているのに、軽い気持ちで元の世界に返すなどと言ったのか。
じわじわと怒りの感情が湧いてくる。彼女を信じて、言われるがままに従者として、学校に来て……。ヒナノはルミエラ様の遊びに付き合わされただけではないか。
「ふざけないでください……」
思わず声に出してしまった。しかし後悔していない。
「ふざけてないわよ!」
ヒナノの怒りの言葉に対して、ルミエラ様は声を荒げた。
と同時に周りからの視線が二人に突き刺さる。
うん、図書館で大声を出したらそうなるよね……。
「ル、ルミエラ様。移動しましょう」
ヒナノは周りに迷惑をかけないため、片手でルミエラ様に荷物を、反対の手でルミエラ様の手を引きながら、図書館を後にした。
それから、二人は図書館を出て家へと帰るために馬車へ乗り込んだ。しばらく、二人の間に気まずい空気が流れる。
ルミエラ様が声を荒げるなんて、出会ってから初めてのことだ。
なんか今日は今まで見たことのないルミエラ様をたくさん見ている気がする。
クレプスキュールの家にいた間は、なんというか見た目も中身もすべてが完璧なお嬢様、非の打ち所なんてございません、な人かと思っていたけれど。
「ルミエラ様、先ほどは申し訳ありませんでした」
ヒナノは頭を下げる。当初は後悔していないと感じていたが、ルミエラ様の反応を目の当たりにして、だんだんと後悔の念が沸いてきたのだ。
「いいえ……私の態度も悪かったわ。自分のことばかりで、あなたのことを考えていなかったかもしれない」
「それは私のほうです。本当にすいませんでした」
とヒナノはもう一度謝罪する。
「昼間の話は覚えているかしら」
ヒナノは下げていた頭を上げる。
それは……きっと、「呪い」の話だよね。
「覚えています。でも、私は無理に聞き出すつもりはありませんので」
ヒナノの言葉にルミエラは満足そうに微笑んでから深呼吸をした。
「私はおそらく二十代前半で死ぬわ」
予想外な話の切り出し方にびっくりするヒナノ。
いきなり何を言い出すんだこの人は……。
「えっと、それが呪いでですか」
「ええ……周りの人はそう呼ぶわね」
ルミエラ様は若くして死んでしまうということ。それを突然告げられ、ヒナノは衝撃を受ける。しかし、そんなあっさりと告げられる話なのだろうか。聞いたこっちはものすごくショックなのに。ルミエラ様は大丈夫なのだろうか。
でも、なぜその話を今?
「正直、私の立場では話せることが極端に少ないの。だから慎重に言葉を選んで言うわ。私は呪いのせいで確実に二十代前半で死ぬ。そして、私はこの呪いのせいで竜の存在を信じている。そして、竜の存在を信じているから、召喚術も存在してると結論付けた」
ルミエラは真剣なまなざしで言った。えっと、ということは、
「その呪いには、竜が関係――」
ヒナノがつまりこういうことですか、と話をまとめようとしたとき。
ルミエラ様がヒナノの唇にそっと人差し指を当てた。
「だめよ、自分で考えなさい。私から言えることは何もないわ。それと、今話したことは他言無用で」
「わ、わかりました」
それにしても、長く生きられないというのに。ヒナノのために残された時間を使ってくれているなんて。
なんだか急に申し訳ないという感情がこみあげてくる。
「ルミエラ様、ごめんなさい」
ヒナノは頭を下げる。
一体今日は何度頭を下げているだろう。
「どうしたの? いきなり」
「ルミエラ様の時間を私のために使わせてしまって申し訳なく思いまして。あの、帰る方法は自分で探しますからご自身のために時間を使ってください」
――残されたわずかな時間を。
「何を言い出すのかと思ったら」
そう言ってルミエラ様は、呆れたようにため息を漏らす。
「私はずっと自分のために時間を使っているわよ。私があなたをもとの世界に戻してあげたいって思ったから、手伝っているだけ。自分のやりたいことをやっているだけよ」
そんなことを言われてしまったら、何も言えなくなってしまう。たしかにお互いの利益が一致するのなら、それは嬉しいことだけれど。
ヒナノが自分の感情にもやもやしていると、ルミエラ様が優しくヒナノを抱きしめた。香水の匂いなのかシャンプーの匂いなのか、優しい匂いがヒナノの鼻孔をくすぐる。
「それにね、あなたには悪いけれど、あなたが来てから日々が少し新鮮になった。今までは、死ぬのをただ待つ日々だったの。だって、それがこの世界での私の役割。私に選択権はない。そして、みんなそれが当たり前だと思っている。でも、一週間前、あなたがやってきた。あなたが元の世界に帰るのを手伝うか、手伝わないか。それを選択する権利を与えられた。自分で行動を起こすことを許された、そういう風に思ったの……。だから、残された時間はあなたのため使うわ」
難しい、ルミエラの言っていることはヒナノが理解するには難しいことだった。とりあえず、ルミエラ様が喜んでいることだけはわかったけれど。
それより……。
いつの間に到着したのか、二人を乗せた馬車はクレプスキュールの家の前で止まっている。
「ル、ルミエラ様。おうち着きましたけど」
ヒナノの言葉に、ルミエラは慌てて体を離す。その顔は真っ赤で、見ているヒナノまで赤くなりそうだった。