28.セイリュウ
目の前には床に横たわるルミエラ様。その首から流れる血が床を赤く染めていく。
「違う。私そんなつもりは」
視界の端で、ナイフ片手に王女がうろたえている。ヒナノはルミエラ様のそばに膝をつき、彼女の首を手で圧迫する。
ルミエラ様の視線は宙をさまよっている。
死なないで、死なないで。
違う、あなたが死ぬのは今じゃない。このときじゃないでしょう。
死なないでください、ルミエラ様。お願いです。なんでもしますから、
お願い……お願いだから。
ヒナノは全身から流れ出る汗などお構いなしに、そう願い続けた。
先ほどから身体が火照り続けている。周りの空気がものすごく冷たく感じる。
突如冷たかった空気が、温かく感じ始めた。
ルミエラ様の顔に光が差している。
違う、ヒナノとその周りが光に包まれているのだ。
一体何が起きているんだろう?
「ヒナノ」
「ルミエラ様?」
先ほどまで宙をさまよっていたルミエラ様の視線が、しっかりとヒナノ顔を捉えているように感じた。
ヒナノは恐る恐るルミエラ様の首から手を離す。ヒナノ手は血まみれで、ルミエラ様の首元も血まみれだった。しかし、刺されたはずのその傷あとは見当たらなかった。
「一体どういう――」
ルミエラ様がゆっくりと身体を起こした。
それとほぼ同時に、背後で大きな音を立てて何かが倒れた。外では鐘の音が鳴り響いている。
何事かと思い、振り返ろうとした瞬間。
「よお、セイリュウ様」
誰かが耳元で囁いたかと思うと、身体を何かが貫いた。そして即座に引き抜かれる。
「力に目覚めた聖竜を追ってきてみれば、王女と一緒にいるとは。手間が省けてありがたかったぜ。それじゃあな」
目の前には、見覚えのない男。そして横たわるアンヌ王女。さっきの音は彼女が倒れた音だったようだ。一体何が……聖竜? 誰が聖竜だって?
男は血の滴る剣を片手に、どこかに消える。もう何が起こっているのか理解ができない。
「ヒナノ!」
「ルミエラ様、ご無事でよかったです」
と微笑んで見せる。身体からは汗が止まらないけれど。これは、さっきの謎の力のせいなのか、出血のせいなのか。
「ルミエラ様、私セイリュウらしいですよ」
「あなた……」
「だとしたら、試すことは一つです。ルミエラ様、呪いを解きましょう」
「今はそんな場合じゃ――」
「――いえ最初で最後ですよ」
試せるものは、全部試そう。剣で体を貫かれたんじゃどうせ助かるまい。
「私が本当にセイリュウだとしたら、これが呪いを解く最初で最後のチャンスなんです。お願いです、ルミエラ様」
ルミエラ様は無言で、ドレスをから肩を出す。
「きっとこのためだったんですよ。私がこの世界に来たの」
あなたの呪いを解くために。そう思いたい、事実はどうであれ、今だけは。
右手で腹を押さえる。じっとりとした鉄臭い液体が手のひら全体を染めた。
ヒナノは呪いの印の上から解呪の図を描いていく。なにか手がかりがないかと何度も読んだ呪術の項目。そのおかげで、何も見なくても、図を描き記すことが出来た。
すると、書いた模様が淡く光り、その下の呪いの印が。
「消えた。呪いの印が消えましたよ!」
そう言葉を発したと同時に、ヒナノの視界がぼやけ始める。どうやら、あまり時間は残されていないようだ。
ただ、もう一つやっておきたいことが。ヒナノはアンヌ王女のもとに寄る。
「やめて、無理をしないで」
ルミエラ様が縋るように後ろからヒナノを抱きしめた。だが、無理をしようとしまいと、自分はもう助からない気がする。
ヒナノはルミエラ様と向き合う。だが、時間がない。王女にとってもヒナノにとっても。
だからこれがあなたとの最後の時間。
ヒナノは自分の胸元のネックレスを引きちぎり、ルミエラ様の手のひらに乗せ、両手で包み込む。
「ルミエラ様。私の分まで生きてください」
「待って、嫌」
ルミエラ様は激しく顔を左右に振る。
ヒナノはそんなルミエラ様の顔を両手で抑え、自分の唇をルミエラ様の唇に重ねた。
知っている感触。あの夜を思い出す。初めてキスをした夜のことを。
ずっと、あなたのぬくもりを感じていたい。ずっとずっと。
「私のこと忘れないでくださいね」
というのは少し残酷だろうか。でもこの世界ではヒナノの存在を知っている人は多くないから覚えていてほしいな、なんて。
ルミエラ様、愛しています。この命が尽きてもずっと。
***
あなたの頭を私の膝に乗せ、その髪をなでる。頬を、唇を。となりからは穏やかな呼吸音がかすかに聞こえてくる。
王女は助かった。私も助かった。でも、あなたは……。
どうして……なんで。ずっと側にいるって言ったじゃない。なのになんで置いていくの。私が先に死ぬはずだったのに……。
あなたは初めて出会ったときよりもボロボロになっていて。こんな目に遭わせるために一緒にいたわけじゃないのに。
目から涙が零れ、あなたの顔にぽたぽたと落ちていく。
あなたと出会い。私は変わった。
あなたの力になりたいと思った。どうせもうすぐ死ぬのなら、何かを成し遂げたいと思った。もちろん、いいことばかりじゃなかった。己の無力さを知ったし、相手を傷つける愚かさを許せないこともあった。あなたが家を出て行ったあと、呪いのことを調べていたと聞いたときは、心から嬉しかった。私にために何かをしてくれる人がいるなんて。
元婚約者にあなたを奪われそうになったときは心がぐちゃぐちゃにかき乱されたし、あなたが ずっと側にいると言ってくれた時は心から安心した。あなたといる穏やかな気持ちでいることができた。その感情がどういう意味を持つのかわからなかったけど。
あなたにキスをしたとき、そのときのあなたの嬉しそうな顔を見て心臓が破裂するかと思った。そのとき理解した。私はとてつもなくあなたのことが好きなのだと。もう手放したくない存在なのだと。
あなたに出会って、いろんな感情を知ったのに。これからいろいろなことを二人で知って行ける思っていたのに。
そう思いながら自分の手の甲を眺めた。握っていたはずのネックレスは消え、手の甲に謎の文様が浮かび上がっている。
これが竜の力なのか、何かはわからないが、これを見る度に私はあなたのことを思い出すのだろう。こんな毎日目にする場所にあなたがいた証を刻み込こまなくても。
「忘れるわけないじゃない」




