22.儀式
「セツリュウ様……ご飯です」
セツリュウは格子の隙間から差し出された、料理がのったトレイを自分のそばに引き寄せる。トレイと床がこすれる音が耳障りだった。
聖竜様の召喚に失敗してからしばらく時が経った思うが、実際どれくらいの時間が過ぎたのかはわからなかった。
リアが毎日食事を持ってきてくれる。いつも心配そうな目でこちらを見つめてくるので、観念して食事だけはとるようにした。まあ、実際は少々食事を抜いたところで、身体に何の影響もないのだけど。こういうときは無駄に強い竜の身体が憎ましく思う。
「あの、セツリュウ様」
いつもは料理を持ってきて、セツリュウが食べるのを確認したら、その場をあとにするのに。
しかし、リアは牢屋の前にしゃがみこんだままセツリュウに話しかけてきた。
「……」
セツリュウには答える気力がなかった。もう誰とも会話をしたくない。特にリアの顔なんて見たくもない。しかしそんなセツリュウの思いとは裏腹に、リアは話しかけてくる。
「あの。セツリュウ様はあの守護者候補の五人が死ぬと分かっていて、召喚術を行ったのですか」
「……そうよ」
セツリュウの言葉にリアはつらそうな顔で唇を噛む。
「だから、一人だけ息があったのは驚いたわ」
シリュウが言っていた。人間は弱くてもろいと。だから群れている生物なのだと。
だから召喚術が失敗したときに、一人だけかろうじて息をしていたのは驚いた。人間の生命力はセツリュウが思っていたより、強かったらしい。
「聖竜様がいたら、あの子だけは助かったかもしれない」
「え?」
「最後に息を引き取った子よ。聖竜様は守護竜。ほかの竜や守護者よりも、治癒術に秀でている」
だから、せめてあの場に聖竜様を召喚することができていたら。
聖竜様にお願いして、助けてもらえたかもしれないのに。
「でも失敗してしまった」
聖竜様はこの世界に来てくれなかった。
「あのセツリュウ様」
リアは何かを決意したかのように立ち上がる。
「聖竜様を探しに行きましょう」
「何を言うかと思えば。この世界にはいないわよ。竜の気も感じないし」
「シリュウ様から聞きました。ほかの世界にいるときは竜の力が封じられているって……。あの、私はバカだからわかりませんけど。でもこの世界にいても力が封じられたままってことはないんですか」
「わからないわ」
異世界から竜を呼び寄せるなんて、今まで誰もしたことがなかったのだから。
「わからないってことは、その可能性もあるってことですよね。そして、この世界のどこかにいる可能性もあるってことですよね」
「もし仮にそうだとして。竜の力が目覚めていないということは、人間の姿でいるということ。この世界にどれだけ人間がいると思っているの? その中から探せって?」
馬鹿らしい。そんなことしたって無駄なのに。
「……しましょう」
「え?」
「一緒に探しましょう!」
「リア何を言ってるの」
「セツリュウ様こそなんですか。あなたのこんな姿だれも望んでいません。守護者候補の皆さんはこんな……こんなセツリュウ様を姿を望んでいません」
リアはそう言いながら涙をこぼし始める。
「五人は命までかけたんです。こんな、あっさりあきらめないでください。そりゃ召喚術とか、誰かが死ぬ術に頼るのはだめですけど。でもそれ以外のできることは何でもしましょうよ」
リアは泣きながら、牢屋の鉄格子を両手で握り、そう訴えた。
「リア……」
「五人の想いを裏切らないでくださいよ」
そう言われても、いまセツリュウは牢屋の中。ここからできることなどあるはずもない。
「リア。私はここから出られないのよ。この牢屋の錠にはシリュウの術がかかっていて」
それを解けるのは術が使える、竜か守護者のみ。三匹の竜、三人の守護者、皆セツリュウをここに閉じ込めておくことに賛成しているからここから出られない。
「わかっています。シリュウ様じゃないと鍵を開けられないって。でも何か方法があるはずです」
「待ってシリュウじゃなくても竜か守護者なら開けられるのよ」
シリュウ……。リアに嘘をついたのね。彼女がセツリュウを牢屋から出さないかと懸念していたということかしら。
「だったら、私をセツリュウ様の守護者にしてください」
「守護者は成人した人間から選ぶのよ」
「そんなのあと一年もないじゃないですか」
「一度守護者になったら簡単にやめられないわよ」
「わかってます」
「年を取ることもなくなる」
「知ってます」
「人を殺した竜の守護者になるつもり?」
「なります。もし、あなたが五人のことを殺したというのなら、私もその罪を背負います。そして一緒に償いましょう」
何を言っても聞く耳を持たないらしい。
「じゃあ次の満月まで待ってちょうだい」
竜が守護者を選ぶ際、竜はその人間と儀式を行う。満月の夜、竜は自身が最も大切にしているものを渡す。それを人間が体内に取り込む。そして両者の口づけをもって儀式は完了する。
「……今日が満月の夜です」
……。
運がいいのか悪いのか。
「そう。本当にいいのね?」
「何度聞かれても首を横には振りません」
リアはその場にしゃがみ、できるだけセツリュウに近づいた。
「わかったわ」
セツリュウはそう言って、隠し持っていた聖竜様の鏡を取り出した。そして、それをリアに渡す。
「これは……」
「例の鏡よ。これは今の私にとって何より大切なもの」
セツリュウは鏡をなでる。正直手放したくはない。だがそうもいっていられない。セツリュウは名残惜しさを感じながらもリアに鏡を渡した。
「ちょうだいします」
リアはそれを胸に抱く。すると鏡が柔らかな光に包まれながらリアの体内に吸い込まれるように消えた。そして胸に雪竜の紋章が現れる。
最後に口づけだ。
「リア、顔をもう少し近づけて」
「はい」
セツリュウは格子の隙間から手を通し、リアの頬に触れる。彼女の頬は思ったよりも柔らかくて、気を付けないと、爪で傷をつけてしまいそうだ。
リアは突然顔を触られて驚いたのか、身体をこわばらせた。
まあ、彼女は口づけなんて一度もしたことないでしょうから。
「リア目を閉じて」
じっと目を開いてこちらを見つめられると、やりにくいものがある。
リアは体をこわばらせながら、ぎゅっと目を閉じる。
さっさと終わらせてしまいましょう。
セツリュウは自分の唇をリアの唇に重ねる。その瞬間にリアの身体が震えた。初心ね……。
数秒唇を重ねてから、離す。
リアは少し放心してたが、
「これで終わりですか」
とたずねてきた。
「ええ。さて、ここから出してもらおうかしら」
セツリュウは、お手本を床に描き、リアがそれ見ながら鍵の上に魔法陣を描く。すると錠はカタンと音を立てて、外れた。
「セツリュウ様、行きましょう」
「ええ」
二人は地下から地上に出てそのまま竜の住処を後にする。
幸いシリュウの姿を見ることはなかった。もしかしたら、今は自分が加護する国に戻っているのかもしれない。
「とりあえず、ナウネへ向かうわ」
「ナウネって確か……」
「先代の雪竜が加護していた国よ。その雪竜コクリュウに殺され、国も滅びたけどね」
だからこそ、今セツリュウがこの世界に存在しているともいえる。
「セツリュウ様……」
「正直、すぐに動き回るのは得策でないわ」
とりあえず身を隠して準備をしておきたい。そうなると竜のいない国、リオワノンかナウネに向かうことになるのだが。リオワノンの地を踏むのはものすごく抵抗を感じる。
リアはそんなセツリュウの言葉に頷く。
「わかりました、ではナウネへ」




