1.「ここどこ?」
「うっ……いたぁ……ん?」
ちょっと待って? ヒナノは痛む頭をさすりながら体を起こし、あたりを見回す。
「ここどこ?」
目に入るのは木、木、木、そして木! それ以外は空を飛ぶ二羽の鳥と、木から舞う葉っぱのみ……。
「いやいや待って? 本当に待って? なんで私は森なんかにいるの?」
理解できない状況に頭がパニックを起こしそうである。
「落ち着け……深呼吸、深呼吸」
ヒナノは、すぅはぁ、すぅはぁ、と呼吸を繰り返す。何度か繰り返しているうちに、頭が冷静さを取り戻す。が、頭を何度ひねっても、なぜ自分がうっそうと木々が茂った森の中にいるのかがわからない。
「どうやってこんな森にたどり着いたんだろう……そもそも、私は気を失う前は何をしてんたんだっけ?」
ヒナノは、どうにかして思い出そうとフルパワーで考えてみるが、何も思い出せない。もしかしたら、頭を打ったせいで記憶障害が起きているのかも。
とりあえず、ヒナノは自身の着ている学校の制服についた葉や枝の破片を取り除いた。ずいぶんと制服が汚れている。それに、ところどころ破れているし、脚には擦り傷もできている。しかもひどく全身が痛む。
一体何がどうなったら、こんな状態になるのか。崖から転がり落ちるとか? 全くそんな記憶はないけれど。気を失う前の最後の記憶は、授業が終わって、家に帰ったということ。
「家にいたはずなのに……そのあと、外に出かけたってこと?」
もう一度思い出そうとしてみるが、頭が痛むせいであまり集中して考えることができない。
うん、あきらめよう。
えっと、森で遭難したときは、その場から動かずに消防に連絡すればいいんだっけ?
「スマホ、スマホっと」
ヒナノは制服のポケットを探る。
「ない……」
どこかに落としたのだろうか。ヒナノはあたりを探してみるが、スマホが落ちている様子はなかった。
「スマホ忘れてきたってこと? 噓でしょ……」
ヒナノは肩を落とす。しかし、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。夜になる前に森から出なければ。
「よっこいしょ」
ヒナノは膝に手をつき、立ち上がる。
しかし、ヒナノはどれほど気を失っていたのだろうか。学校から家に帰ったときはすでに夕方だったはずだが、今は頭上で太陽がさんさんと輝いている、昼だ。
それにしても。
「く、クマとか出てこないよね」
あたりはしんと静まり返り、人の姿はない。というか道もない。そもそもこの森に人が立ち入ったりするのだろうか。人の手が加えられていない、自然豊かな森。もちろん、動物が住んでいることだろう。木々には実がなっていたり、根本にキノコが生えていたりと食料は豊富そうだ。
「食べたら死にそうなキノコもあるけど」
ヒナノは、目の前の赤色に黄色の斑点模様がついたキノコを見る。
「お腹空いたけど、絶対に食べちゃダメなやつだな、あれ」
仮に今が次の日の昼だとして、ほぼ丸一日食べていないことになる。三食きっちり食べる派のヒナノにとっては、お腹がすくことこの上なかった。
しばらく、力の入らない身体で歩を無理やり進めていると、視界の端から細長いヒモのようなものが飛んできた。思わず目を閉じ、両腕を前に出して顔をかばう。
「ぐっ!」
腕に何かが刺さるような痛みが走る。驚いて目を開けると、右腕の手首付近にヘビが噛みついていた。ヒナノはヘビを振りほどこうと、右腕を必死に振るが、ヘビはしつこく噛みついたまま離れてくれない。
すると突如、右手の方から誰かが叫ぶ。
「動くな!」
「え?」
ヒナノは突然の命令に身を固める。その瞬間ナイフが飛んできたかと思うと、ヘビの体が宙を飛んでいた。そして、噛みついていたヘビの頭がヒナノの足元に落ちる。
「ひっ……」
これ絶対、テレビだったらモザイクかかるやつだ……。
すこし遠くに落ちたヘビの胴体はまだクネクネと動いてるし……。
「あなた、大丈夫?」
ヒナノが呆然としていると、隣から声をかけられた。
「え、えっと……」
ヒナノが声のした方を向くと、そこにはとてもきれいな女の人が立っていた。銀色の髪を一本に縛り、背中の中ほどまで垂らしている。身長はヒナノより、十センチほど高いだろうか。ヒナノの身長が百五十五センチだから、この美人の身長は百六十五センチくらいということになる。白いブラウスに、茶色いロングスカートと茶色の編み込みブーツといういで立ちだった。
「森にスカートで……?」
ヒナノは思わず声に出してしまう。いや、ヒナノも制服のスカートだけど。
しかもそんなに歩きやすそうに見えないブーツで? いや、こっちも学校指定のローファーだけど。
「それがなに?」
抑揚のない、不機嫌そうな声で美人は言葉を返す。
うわあ、なんつうクールビューティー……。というか怖いなぁ……。
「お嬢様! 毒ヘビです!」
「それを早く言いなさい!」
美人さんの後ろから声が響く。そして、その言葉に少し怒ったように反応する美人さん。あ、後ろにもう一人いたんだ……って。
「ど、毒ヘビ!?」
嘘でしょ? 気が付いたら森の中にいて、体は痛むし、お腹は空いてるしで、今度は毒ヘビに噛まれたってわけ? ヒナノはふと、昨日の朝、見たテレビ番組の星占いを思い出す。確か、最下位だったような。前日のやつなのに、占い当たりまくりじゃん……。
「って、何してるんですか!?」
ふと気がつくと、例の美人が、ヒナノがさっきヘビに噛まれた箇所を口で吸っていた。かと思うと横を向き、口から含んだ血液を吐き出す。
「お嬢様、はしたないですよ!」
美人後ろに立っている女性――こっちもなかなかに美人だが、銀髪のお嬢様には到底及ばない――がたしなめる。口調から言って、銀髪美人さんのメイド? だろうか。それにしても、お嬢様って呼ばれている人に人生で初めて会った。
「そんなこと言っている場合じゃないでしょ、毒が全身に回る前に出さなきゃいけなかったのだから、これは人命救助よ」
と美人は何くわぬ顔で答え、メイド(仮)に差し出された白いレースハンカチで口を拭った。その一つ一つの動作から気品が溢れているのを感じ、ヒナノは思わず見とれてしまう。
「あ、あの助けていただきありがとうございました」
我に返ったヒナノは銀髪美人に頭を下げる。
「いいのよ、別に。それよりルナ、本当にこの場所であっているのよね」
どうやらメイド(仮)の名前はルナというらしい。
「はい、観測所から送られた手紙をご主人様から預かってきましたが、記されている場所はまさにここです」
ん? 一体何の話を二人はしているのだろう。ヒナノは首をかしげる。
「あなた名前は……いえ、こちらから名乗るが道理よね。わたしはルミエラ・クレプスキュール。こちらは私に仕えているルナよ」
ルミエラが名乗った後、ルナが頭を下げる。
というか、外国の人だったんだ……。あの銀色の髪は地毛なのかな……。
「それで、あなた名前は?」
「えっと、ヒナノです……あっ苗字は尾々蔵です」
「ヒナノ・オオクラ……聞いたことのない名前ね。それで、あなたはここで何をしているのかしら。若い女性が一人で来るような場所ではないと思うけれど」
それを聞かれてもな……。それに若い女性二人で来るような場所でもないと思いますけど。
ヒナノは返答に困る。
「えっと、気づいたらここにいまして」
ヒナノの言葉に、ルミエラは眉をひそめる。
「それは、徘徊癖があるということかしら」
「いや、そういうわけじゃ……それよりもここから近い駅ってどこですか? あの、二人ともこの森に用事があってきたんですよね……その、邪魔をしては悪いし、早く家に帰りたいので、道を教えてほしいんですけど」
スマホがあれば地図をみれるからよかったんだけど。手元にないしな……。でも、スマホがあったとしてもこの森じゃ圏外だったかもしれない。
「あの……ルミエラさん、私のスマホとか見てませんよね?」
どこかに落としていないかなぁ、と念のためルミエラにそのことを聞いた。
ルミエラは、駅……スマホ……? と首をかしげる。
そして、ヒナノの言葉にルナの顔が険しくなった。
「あなた庶民のくせにその態度は何?」
庶民のくせに!? じゃあ、あなたは一体何様なんですか、と言い返したい所だが、ルナがものすごい剣幕で睨んでくるので、ヒナノはその言葉を飲み込む。
「それよりも、ルナ。本当にこの辺りなのよね」
「はい、間違いありません」
「そう……まさか正体が人間だったとはね。ヒナノ、ついてきなさい」
「は、はい」
正体? 一体何の正体? ヒナノは、二人の会話に困惑する。
「あの、お二人は一体……」
……なんのお話をされているんですか、と聞こうと思ったら、二人はさっさと身を翻し、歩いて行ってしまう。
「ちょっと、待ってください。」
ヒナノは慌ててルミエラたちのあとを追うのであった。