15.王女と黒竜
「お父様! どこですか! お父様!」
リオワノン王国第一王女のアンヌは国王の執務室のドアを勢いよく開く。大きな音が廊下に響くが気にしない。
「大きな声をだすでない、今日も学校に行かなかったのか」
リオワノン王はアンヌをたしなめる。
「そんなことより、お父様、聞きましたわよ。あの光について。クレプスキュール家に調査を依頼したのでしょ?」
「ああ」
「その報告が異常なし、ということも聞きました」
アンヌはお父様が仕事をしている執務机へと近づく。その様子に仕事を続けようとしても無駄だと思ったのか、お父様は持っていたペンを置く。
「異常がないわけないでしょう! あの空を覆った光、世界で起きた災害、異常だらけではないですか」
大体そんないい加減な報告書を受理するお父様もお父様だわ!
「ではアンヌはクレプスキュール家の報告を信じないのかね」
信じろってほうが無理があるわよ。
大体調査をしたのはアンヌよりたった一つ上のクレプスキュールの一人娘だったと聞く。そんな未熟者のいうことを信じるなんて。
しばらくアンヌが黙ったままその場を動かないでいると、父は観念したかのようにため息をつく。
「実は調査に同行したという従者から、さらなる報告があってな。森で一人の少女と遭遇したそうだ」
やっぱり、何かあったんじゃない。
「じゃあ、クレプスキュールは嘘の報告をしたってことね」
「そうなるな」
と父は当然のように言う。嘘をつかれていてなんで何もしないの?
「そんな。嘘つきを罰しないのですか?」
「ルミエラのことだから何か考えがあってのことだろう」
と一人で納得している父。
「お父様は、ルミエラをそこまで信じているのですか?」
「ん? あの娘は優秀だぞ? 学園の成績は常に一位らしい。それにあのまじめな性格と、見た目。短命でなければ第一王子の妃候補だったのにな」
父の言葉にアンヌは全身の毛が逆立つのを感じる。
あの女がお兄様の妃候補だったかもしれない? お父様は裏切り者の血を王家の血に混ぜようとしていたの?
(ありえない、そんなのこの私が許さないわ)
「そうですか、お父様の考えはよくわかりました。ごめんなさい、お仕事の邪魔をして」
そう言ってアンヌは執務室を後にする。そして、廊下に控えていた従者の声をかけた。
「今すぐ馬車の準備を。ナウネの国境に向かうわ」
ナウネ国。およそ350年前の戦いで、コクリュウ様が滅ぼしたリオワノンの西に位置する隣国。今は人っ子一人いない、国だった場所。もう国自体は存在していないのに、人々はあの場所のことをいまだにナウネ国と呼ぶから不思議だ。
馬車をしばらく走らせ、リオワノンとナウネの国境付近に到着した。アンヌは馬車を降りてその場に従者も待機させる。
森の中へ入っていき少し歩くと、少し開けた場所にでる。森の中は基本木々が生い茂っているがここだけは木が生えていなかった。
中心には大きな塚があり、太陽の光に照らされている。
ここは黒竜の塚と呼ばれている場所だ。
コクリュウ様が封印されている場所でもある。
「コクリュウ様、調子はいかがですか?」
アンヌは塚に手を当てる。土はほんのり温かかった。
アンヌがはじめてこの場所を訪れたのは、九歳のとき。アンヌの誕生日を家族で今一度祝うためにお忍びで訪れていた別邸からの帰りだった。
ちなみにお父様とお母様は仕事の関係で先に城に帰っていたので、お兄様と二人で馬車に乗っていた。
そして、馬車の車輪が外れ、馬車が立ち往生してしまった。お兄さまはアンヌに馬車の外に出ないよう言い残し、外の様子を見に行った。そして、中でじっとしていることに退屈したアンヌは、こっそり馬車を抜け出し森へと入っていたのだ。森の中は木々がうっそうと茂っていて、ひとたび入ってしまえば、迷うような場所であり、それはアンヌも例外ではなかった。そして、泣きながら、当てもなくさまよっていたところ、この塚のある場所にたどり着いたのだ。泣くじゃくるアンヌの耳に塚の中から、声が聞こえてきた。
『なぜ泣いている』
「お兄さまのところに帰りたいの」
『お前の名は?』
「アンヌ」
『アンヌというのか』
「あなたは?」
『わしはコクリュウ』
「黒竜?」
『それよりもすぐに森を出たまえ。ここから真っすぐ行けばすぐに外に出られる』
「本当?」
『本当だ。歩いてみれば、わかるだろう』
「わかった。ありがとう、黒竜」
これがアンヌとコクリュウ様の出会いだった。正直土の中から声が聞こえたときは幻聴かと思ったけれど。
それでも、あのときコクリュウ様の言う通りに塚から真っすぐ歩いたら森を出ることが来たのは事実で。意外と塚と森の入り口が近かったことに驚いたのを今でも覚えている。
そしてアンヌは、成長し、従者をつければ一人で外出できるようになってから、今日のように今まで何度ものこの塚を訪れていた。両親は仕事などで忙しくしていたし、兄は後継者教育を受けていて忙しかった。アンヌだけが時間を持て余していて、きっと寂しかったのだろう。塚に向かって他愛のない話をして帰る、それを繰り返していた。アンヌがリオワノンの王女だと知ったときのコクリュウ様は大変動揺して、すこし可愛かった。ただコクリュウ様が何者なのかは、まだよくわかっていなかった。
父から竜が本当に存在すると教えられてからは、竜に関する文献を読みまくった。そしてコクリュウ様が竜だと知った。ナウネ国を滅ぼした罪で封印されたコクリュウ様。一番信頼していた人間に裏切られた可哀そうなお方。コクリュウ様は当時黒竜の守護者だったダンテリオン・クレプスキュールによって封印されたのだ。今日はその裏切り者の名前を聞いてしまったものだから、思わずここに来てしまった。
「きょうお父様からね、光の正体を聞いたの。一人の人間だって。しかもクレプスキュールの女と一緒にいるの。でも、放っておくみたいよ。それでこの国は大丈夫なのかしらね、どう思う?」
なんて近況を話してみる。しかし今日は返事が返ってこなかった。まあ、以前にもこういうことはあった。返事があったりなかったり。そういうときコクリュウ様は寝ているのだと、アンヌは勝手に思っている
アンヌはコクリュウ様を塚の外に出してあげたい。そう思いながら、塚に落ちている葉をそっと取り除く。
きっとひとりぼっちで寂しいと思うから。
「コクリュウ様、私きっとこの封印を解いて見せます。だから待っていてください」
***
「おい、あれはお前に惚れてるぞ」
シリュウは頭上から聞こえてくる、リオワノン王女の声を聴きながら、コクリュウをからかう。
「何をバカなことを」
とコクリュウは鼻をならしながら言った。
ちょうど王女が話しかけてきたときに、シリュウは転移術で塚の地下にある空間に来ていた。竜には窮屈な広さだが、人間には広すぎる空間だ。
シリュウは人の姿をしているが、コクリュウは封印術のせいか、竜の姿のままだ。だから大きさがシリュウの何倍もある。会話をするときにコクリュウを見上げなければならないのが、少し腹立たしかった。
「いやだって、あいつ何度も来てるんだろ?」
「懲りずにな」
「しかも封印を解くと言っている」
「時が訪れれば、そのときには彼女に頼むとする」
「それより、いいのか? 王女の言ってた人間ってあれ多分セイリュウだぞ?」
セツリュウ、あの女。召喚に成功してやがった。
「だが新たな竜の気は感じぬのだろう?」
「まあな」
「竜の力が発現していないのであれば、ただの人間と同じこと」
確かに、竜の力を使えない竜なんて人間と同等だが。
「それにどのみち時が満ちれば、お前がこちらの世界にあやつを呼び戻す予定だったろう」
コクリュウの力は封印されたときにだいぶ失われたという。長い年月をかけ、その力を回復している途中だ。確かにもうすぐ、コクリュウは十分といえるほどの力を取り戻すだろう。それこそ、セツリュウがセイリュウを召喚した時期と、シリュウが召喚する予定だった時期はそんなに離れていない。でも、相手の動向がわかるのとわからないのでは事情が違う。それに、シリュウが召喚していれば、セイリュウをその場で拘束だってできたはずだ。
「本当は異世界にセイリュウを送ったときにさっさと死んでくれればよかったんだが」
それでまた卵として住処に戻ってくれば、しばらくは孵化しない。その間に、コクリュウが力を取り戻す算段だった。
「案外異世界ってのは平和なんだな」
こちらの世界で赤ん坊が一人捨てられていたら、その命は助からなかったろう。
全く、新聖竜が生まれてからセツリュウのすきを狙って、前聖竜の守護者とセツリュウの守護者まで手にかけたのによ。
「割に合わん」
「だが、こちらにセイリュウの卵があった時より、お前があやつを向こうに送った後の方が、力の回復が早い」
それは知らなかった。たとえ卵の状態でもセイリュウの力はコクリュウに及んでいたってことか。
「なるほど、俺の頑張りも無駄じゃなかったってことだ」
「ああ」
シリュウは、コクリュウを封印することに反対だった。なぜ人間を殺したからという理由で、封印されねばならないのだ。そもそも、人間と慣れあう方がおかしい。人間は平和のためと言って、竜にお互い干渉しない約束を取り付けた。それから何百年、災害から守れといわれ、戦争に協力しろといわれ。いざ戦争に加担したら、人間を殺した罪で封印されるなんて。竜と人間は互いを傷つけてはいけない。その約束を破ったからだと。コクリュウは人間にそそのかされただけなのに! そんなの納得がいくかよ。なんで、そんなことを前の聖竜は許したのか。お前が守るのは人間じゃなくて竜だろうが。
「コクリュウ、俺はセイリュウが嫌いだ」
「今はまだ時が満ちておらん」
「わかっている、わかっているが」
「なら我慢しろ」
コクリュウはククク、と笑う。
「あと少しなのだから」