10.ヒナノ、家を出る
夜が明けるころ。
ヒナノはルナさんに起こされた。
「そろそろ準備なさい」
ヒナノは疲労がたまり重くなった体をベッドから起こす。あれからずっと涙が止まらなくて、気がついたら疲れて寝ていたようだ。
「服はこれを着て。私のもので申し訳ないけど」
ヒナノは、シワのついた服から、少し大きめのルナさんの私服に着替える。
「あと、必要最低限のものはここに入っているから」
と小さなトランクも渡された。
そしてそのまま、ルナは迷うことなく人気のない廊下を選んで、家の裏口までヒナノを連れていく。
「ではここで」
「……はいお世話になりました」
ヒナノはそのまま一度も振り返ることなくクレプスキュールの家を後にする。
右手でトランクを持ち、左手で首からぶら下げた宝石を握りながら。
「え、ここまで歩いて来たっていうの?」
ガリバーさんはあきれた声を出しながら自分の後頭部をなでる。
ヒナノはクレプスキュールの家を出た後、王立図書館にあるガリバーさんの研究室に来ていた。
ルミエラ様に恩返しをする方法はないか。家を出て、歩きながらヒナノはそんなことを考えていた。当初はルミエラ様のそばにいて、何か身の回りの世話とかをして役に立とう思っていたのだが。追い出されたのでそれは不可能。
そして、
――呪い、解けないかな。
ふとそんなこと思った。ルミエラ様にかかった呪い。すでに誰かが解こうとしたことだろう。例えばそういう専門家とかが。ヒナノが何かしたって無駄かもしれない。でも何もしないよりよりはましだ。なにより、何かしないと自分の気がすまない。でも、どこから手をつけていいかわからない……。
この世界に来てから出会った人の中で頼れそうな人。とりあえず、その人のもとへ向かおう。そう決めた。そして昼頃、研究室に無事たどり着いたのだ。
「ええ、この世界の人はいい人が多いですね、道を聞いたらすぐに教えてくださいました」
「いや、それは運が良かっただけだと思うけど。ちなみにここまでどれくらいかかった?」
「さあ……時計を持ってないので……大体5時間くらいでしょうか」
ヒナノは窓辺に視線を送り、外の様子を伺う。窓からは太陽の光が差し込み、空気が心地よい熱を帯びている。
「そりゃお疲れ。そうだね……給料はあまりよくないけど、私の助手の席なら空いてるよ」
「はい?」
「ん? ここで働きたいって話でしょ?」
ガリバーさんはきょとんとした顔で言った。
ヒナノは完全に失念していた、そもそもヒナノは路頭に迷った状態だ。仕事どころか寝泊まりする場所もない。
「いいんですか?」
「もちろん。私は嬉しいよ、頼ってくれて。研究室に一人だと、部屋は散らかるし、独り言は多くなるから、誰かを雇いたいと思っていたところなんだ。ただ魔法とか胡散臭いものを信じている変な女を手伝ってくれる人はなかなかいなくて」
とガリバーさんはため息を漏らす。
「えっとヒナノちゃんは、この国の字は読める?」
「はい、読めます」
「なら、資料を探してもらうこともできるか。よし、じゃあ部屋の片づけとか、資料探しとか……。まあいわゆる雑用係として雇おう!」
「あ、ありがとうございます……」
こんな簡単にお仕事が見つかっていいのだろうか……。ありがとうガリバーさん。
「それにしても、仕事探しを思い立ってすぐに私のところに来てくれるとは。というか、よくルミエラ嬢が許してくれたね。私がヒナノちゃんになれなれしくしたら、ものすごい睨みつけてくるから、私は彼女に嫌われていると思っていたよ」
「あ、その私、ルミエラ様の従者をやめまして……」
「え、大丈夫なのかい。まだこっちに来て日は浅いんだろう?」
「ええなんとか」
えへへ、とヒナノは、ほおを掻く。
「そっか、なんか大変そうだね……。もし帰る場所がないなら、とりあえずここの仮眠室で寝泊まりすればいいよ」
ああ、なんて優しい人なんだ。
っと、ガリバーさんに聞きたいことがあったんだ。
「あのガリバーさん、竜の存在って信じていますか」
「おとぎ話に出てくる竜? 信じているよ」
「本当ですか?」
「そもそも私が研究者になったきっかけも竜だったから。むかし私の祖父が空を飛んでいる竜を見たって言ってね。周りは信じなかったし、祖父は一族から浮いて孤立したんだ。でも、私は小さいころから祖父が好きでね。それに祖父は私が頼めば何度でも竜の話をしてくれたんだ。厳しくも優しく、変な嘘をつくような人間でもなかった。だから私は、私だけは信じているんだ、祖父が見た竜というのを」
「そうなんですね」
「ヒナノちゃんも竜の存在を信じているの?」
とガリバーさんは首をかしげる。
どう話すべきだろう。
ルミエラ様から呪いの話を聞いたとき、ルミエラ様は呪いのせいで竜の存在を信じていると言っていた。ということは単純に考えれば、ルミエラ様にかかっている呪いには竜が関係していることになる。だとしたら、竜は実際に存在していないとおかしい。そうでなきゃ、呪いだって存在しないはず、だよね。
しかしこのことは、ルミエラ様から誰にも言ってはいけないと言われている。だがヒナノだけで呪いを解く方法を探し出すなんて、どう考えたって無理だ。そして、目の前には未知の力や竜の存在を信じている人がいる。頼らない手はない。
でもどう伝えれば……。
「いや。その竜って人を呪ったりするのかなあって」
「呪い? ああ、もしかしてルミエラ嬢のこと?」
「なにかご存じですか?」
「うーん、呪い方面は私もあんまり。確かにクレプスキュールの家には短命の子が時折生まれるって聞くけど」
ということは。
呪われたのはルミエラ様自身ではなくて、クレプスキュール家ということなんだろうか。
「まさか、ルミエラ嬢の呪いに竜が関係しているって考えているの?」
「その、ルミエラ様が竜の存在を信じているって仰ったんです。あのとても聡明な方が理由もなく竜の存在を信じているとは思えないですし、きっかけは何だったんだろうって考えて。それで、そういえばルミエラ様って呪いにかかっているって言っていたなって」
「へえ! ルミエラ嬢も竜の存在を信じているだって!? これはぜひ一度話を聞かないと!」
とガリバーさんは目を輝かせながら言った。
その様子にヒナノは、ぽかーんと口を開ける。
「しかし、ヒナノちゃんも面白い所を繋げてくるね。うんうん、やっぱ異世界から来た人間は発想が違うな! そうか呪いと竜か! それにルミエラ嬢に嫌われても呪いを解きたいなんて、ヒナノちゃんいい子だなぁ」
「別に嫌われたわけじゃないですから!」
うん、嫌われたわけじゃない。それだけがまだ救いというか……。
「そうだなー。呪いを解くには、呪われた原因がわかると何かヒントになる気がするけれど」
「呪われた原因」
「ルミエラ嬢の祖先が呪われるようなことをしたと仮定して、そこらへんを探れば……というか呪われた原因、ルミエラ嬢が知っているんじゃない?」
「かもしれません。ただ、ルミエラ様が話せることは制限されているようで」
「まあ、祖先が何かをやらかしたとして、それは簡単に人に話すことでもないからなぁ。正直ヒナノちゃんにできることってあまりないんじゃない? それに解けるものならとっく自分たちでその呪いを解いているでしょ。それが彼女らにできないってことは、ヒナノちゃんや私で無理ってことでは?」
「でも」
「まあ、雑用の合間に自分で調べればいいよ。私も何か気がづいたらヒナノちゃんに伝えるしさ。ただ、私の関心は呪いじゃなくて、竜だから。主に世界大戦とか、そっち方面のことになると思うけど」
「あ、転移術が出てきた?」
「そうそう」
「えっと確か、おとぎ話のもとになった戦いですよね?」
「へえ、思っていたよりも知っているじゃん。さすが元の世界に帰る方法を探していただけあるね。おっと、つらいことを思い出させてごめん」
「いえ私、決めたんです。この世界で生きていくって」
ヒナノがそういうと、二人の間に少し重たい空気が流れる。
「そ、そういえば、その宝石きれいだね」
ガリバーさんがそんな空気を振り払おうと話題を変えた。
「あ、そうですよね! これルミエラ様から頂いて……」
「え! ルミエラ嬢から!? 主人から贈り物をされるなんて、よっぽど愛されているんじゃない?」
どうだろう。これ贈り物っていうより、お詫びの品だし……。
それに。
「元主人ですけど……」
「いやいや、なんで従者をやめちゃったのよ。もしかしてルミエラ嬢のこと嫌い、なのかい」
「助けてくれて、家においてくれた人のことを嫌いになるわけないです。ルミエラ様のこと……大好きですよ」
ヒナノは顔を伏せる。ルミエラ様のこと考えるとまた泣きそうになってしまう。
「じゃあ……なんでと言いたいところだけど。私が深入りする話でもないか……。まあ、疲れたろうからお茶でも飲みなよ」
そう言って、ガリバーさんはお湯を沸かし、お茶を淹れてくれた。
せっかくガリバーさんがお茶を淹れてくれたのに、ヒナノにはその味がちっともわからなかった。