9.迷惑
研究室から家に帰ると、ルナさんから話があると言われた。
そのまま、ルナさんの部屋まで連れていかれる。
「あのルナさん、話とは?」
「自分の世界に帰る方法は見つかったのかしら?」
めちゃくちゃ直球に聞いてくるじゃん。ルナさんはヒナノにあまり好感を抱いていないから、早く帰ってほしいってことなのかな……。
「そ、それがどうも無理そうでして。あきらめてしまおうかと」
あはは、とヒナノは軽い調子で、笑う。自分の言った、あきらめるという言葉に、涙がこぼれそうになるのをこらえながら。
「そう、ならこの家を出なさい」
「え……」
ヒナノは言葉に詰まる。そんなことを言われるなんて思ってもいなかった。
「きっとお嬢様に面倒をみる、とか言われているのでしょうけど」
言われたけど。でもヒナノもその言葉にずっと甘えるつもりはなくて。
「お嬢様は、それは大変責任感の強いお方だから、そう仰っただけで。本当は負担なのよ、あなたの存在は」
「それは」
ヒナノは言い返すことができなかった。事実、ずっとともに調べ物をしていてくれたのだから。自分の時間を犠牲にして。ヒナノがいなければ自由に使えたはずの時間を。
「私はお嬢様の従者兼世話係。ですからお嬢様の仰ることには基本的には従います。でもお嬢様の目が曇っているときは、その意思に反することもしなければならないのです」
ルナさんはヒナノがルミエラ様の目を曇らせていると、そう言いたいらしい。
「わかったかしら」
ルナさんの目は真っすぐこちらを捉えている。その強い視線にヒナノは逃げ出したくなる。
でもまだ、ルミエラ様のそばを離れたくなかった。
「あの私、ルミエラ様のお役に立てるように、いろいろ頑張ります。ルミエラ様の迷惑にならないようにします。だからこの家においてください」
「あなた、私の話を聞いてなかったの? これはあなたの問題というより、お嬢様の問題なの。あなたがお嬢様のそばにいる限り、あの方の人生が狂うのよ。まあ貴族のことを何もわかってなさそうなあなたに説明してもわからないかもしれないけれど。」
ルナさんはそう言ってため息をつく。
「あの方にも立場ってものがあるの。あなたみたいな怪しい人間にかかわっていたら、クレプスキュール家にいらぬ噂が立つのよ」
そこまで言われると言い返せない。そんなことを言われては、ヒナノにできることは、本当にこの家を出ることになってしまうではないか。
そんなの……嫌だ、嫌だけど。それがルミエラ様のためだというのなら。
「それと家を出るときはお嬢様にばれないように。絶対に引き留めようとしてくるから」
「わ、わかりました。明日の早朝でいいですか」
ヒナノの言葉に、ルナの険しかった目つきがすこし和らぐ。
「ありがとう。わかってくれて嬉しいわ」
「いえ」
でもお別れも言えないなんて、それは少しつらい。
「あの、ルナさん」
「なに?」
「お世話になりました」
「……」
ヒナノはルナさんにお辞儀をしてから、ルナさんの部屋を出た。
さて、これからどうするか。ヒナノは従者になった今も使わせてもらっている客間に戻る道すがら、そんなことを考える。この家を出るのは明日の早朝。ルミエラ様にお世話になったお礼とか言いたいけど……。これからも面倒を見てくれるつもりのルミエラ様にそんなことを言ったら不審がられるし。
考えに考えたが、自分がどうしたいのか一行にわからず結局部屋にたどり着いてしまった。そして偶然にも、客間の前でルミエラ様と会う。
「部屋にいないようだし、どこに行ったのかと思ったじゃない」
「すいません、ルナさんとお話をしていました。ルミエラ様のお役に立つようにと言われました」
ギリギリ、嘘じゃないよね。迷惑にならないってことは、役に立つってことだよね。ああ、もうなんかわかんないや。
「別に役に立ってほしいとか思っていないのだけれど。学園に従者として連れて行ったのだって、図書館を使うためであって。あなたを従者にしたかったわけじゃないのよ」
「でも、私もお世話になった恩返しがしたいので」
ヒナノがそういうと、ルミエラ様は口を強く結んで納得がいったような、いっていないような顔をする。
「まあ、いいわ。それより、部屋に入れてもらってもいいかしら」
「あ、はい」
ヒナノはルミエラ様を部屋に招き入れた。
「さっき買ったネックレスなのだけれど、私があなたにつけてもいいかしら」
「ルミエラ様がつけてくださるんですか」
「ぜひそうさせてちょうだい」
ヒナノがベッドに腰を下ろすと、ルミエラ様もその横に座る。
ヒナノの背後からルミエラ様が手を回して、先ほど買ってくれたネックレスをつけてくれる。なんだかドキドキするな。きれいな宝石に、そして後ろにいるルミエラ様の気配に。なんだろう、体が触れそうで、触れない距離感というか。その絶妙な感じが逆にドキドキする。
でも、今日でルミエラ様ともお別れなんだな。そう思うと、涙がこぼれそうになる。もちろん、この状況で泣いたら、ルミエラ様にまた元の世界にかえすことができなくてごめんなさいと言わせてしまいそうだから、ぐっとこらえる。
「この『学者の夜』という石だけど、貴重な石でね。なかなか店にも出ないのよ。だから今日、店でこの石を見てすごく驚いたわ」
ルミエラ様が背後から声をかけてくる。ヒナノは必死に涙をこらえているためにルミエラ様の方を向けなかった。ルミエラ様に顔を見られないようにヒナノは俯いた。
「それとね、私が小さかったころ、お父様にプレゼントとしてこの石のネックレスを頂いたことがあるの。だから、その……私とおそろいなのよ」
ルミエラ様とおそろい。私のような庶民がルミエラ様とおそろいの物を持っていいのだろうか。
でも、とても嬉しい。
「あ、ありがとうございます。私、幸せ……です」
感情が溢れてしまわないようにヒナノは声を絞り出す。
「ヒナノ、大丈夫?」
いつまでも、ルミエラ様と顔を合わせようとしないヒナノに対し、ルミエラ様は心配そうに声をかけてくれる。
「すいません、少し疲れたので一人にしていただけないでしょうか」
本当はもっとルミエラ様といたいけれど。
「そうよね……わかったわ。ゆっくり休んで」
ルミエラ様が腰を上げ、部屋から出ていく。
ドアが閉じられた瞬間に、涙が零れ落ちた。