陽だまりにパン
例えばそれは、冬の朝にもう一度はいるふとんのぬくもり
例えばそれは、春の木漏れ日の中で飲むカフェオレ
例えばそれは、夏の入道雲を仰ぎながら食べるラムネのアイスバー
例えばそれは、秋の
「ねえ」
昼休みのベンチに突然現れる知らない美少女
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周りに人がいるか見渡したけど、それっぽい人も見当たらず、え、私?という顔をしたであろう私に、うんうんと彼女は頷いた
「は、はい」
「そのパン、えっと…どこで買える?」
彼女の指差す方、自分の手元に視線を落とした。
齧りかけのパンと、紙パックのカフェオレ
平日昼間の見慣れた光景。
唯一見慣れないのは、この目の前に立っている同じ制服を着た、サラサラで肩まである黒髪を風になびかせている美少女だ。
「えっと、普通に購買で売ってるけど…」
そこくらいしか売ってないし。
とは言わなかったけど、ここは田舎の商業高校で、近くにコンビニも無い。
何か買うなら購買部に行くしかない。
だから、そんな事を聞かれるなんて驚いた。
「へー!おいしいの?それ。」
彼女はそう言うと、ニコニコしながら当たり前のようにベンチの隣に腰掛けた。
座るんだ…とは思ったものの、距離感が近い人特有のぐいぐいくるような圧は感じず、人といるのがあまり得意ではない私でも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「うん、おいしいよ。素朴だけど、私は好き。」
くるみとレーズンが練り込んであるだけのシンプルなパン。
高校の購買部という場所柄、他のラインナップは焼きそばパンやクリームパンなどガッツリしたものが多いし、圧倒的に人気。
でも私は、その中でひっそりと並ぶこのパンがお気に入りでほぼ毎日ずっと食べている。
彼女は「ふーん、そうなんだ」と言いながら
なんだか嬉しそうに足をパタパタして空を見上げていた。
白い肌と長いまつ毛、ツンとした鼻、髪から少しだけ覗く耳。
女の私でも思わず見惚れてしまう、凛とした美しさが彼女にはあった。
ふと時計を見ると、もうすぐ12時40分。
「あの、パン、買いに行かなくていいの?
もうすぐ予鈴鳴るけど」
見知らぬ人間に声をかけてまで気になったパンを買いそびれさすのも申し訳なくて、私は「急いだ方がいいかも」と付け加えた。
すると彼女は少しキョトンとした後、すぐに笑顔になって首を横に振る。
「あっ、私は買わないよ!急に話しかけちゃってごめんね!ありがとう、じゃあね!」
そう言うと、ベンチからぴょんと立ち上がり校舎の方へ駆けて行ったのだ。
予鈴が鳴り響く中、私は口をぽかんとさせていた。
「なんだったの…」と思わず呟いてしまう。
午後の授業が始まっても、私は集中できずにいた。ついさっき起こった不思議なお昼休みの余韻が残っているからだ。
『謎のパン少女』私は頭の中で彼女をそう名付けた頃、午後の授業が終わった。
下校時間、生徒たちがごった返す廊下を鬱陶しく思いながら進む。
今日は当番で、職員室にノートを置きにいかなくてはならず、ただでさえ苦手な人混みが更に息苦しく思えた。
しかし職員室の手前まで来た時、一瞬にして私は息苦しさを忘れた。
謎のパン少女が、一礼して職員室をあとにする所に遭遇したのだ。
ただ両手には大量のノート、名前も知らない彼女の名前はもちろん呼ぶことも出来ず、
また昼休みと同じように、走り去る彼女の背中をみていた。
職員室のデスクにノートを置くと「おつかれさま」と担任の磯崎先生に労われた。
「あの、さっきの子…」
言葉がつい口から出る。
「え?」
「あ、いや、さっき職員室から出てきた、黒髪の!見たことなくて!」
なぜか焦って自分でも訳のわからない言葉で説明する。
「もしかして池本さんのこと?」
先生が自分の肩下のところに手をやり「これくらいの髪の?」と続ける。
「はい!その子です!」なぜか大声になる。
「あ〜、池本さん。ほらうち定時制でしょ、それで夜間に来てるの。まあ今日で最後なんだけどね、だからさっき挨拶に来てて。」
いろんな情報が一気に流れ込んできて、理解するのに時間がかかる。
彼女の名前は池本さんと言うらしい。
見たことがないのに同じ制服なのは、夜間に来ている為。
しかしそれも今日で最後、、
「え、今日で最後?」
10秒ほど黙りこんだ後に聞き返す。
「そうそう、転校するからね。今から購買部いくって言ってたわよ、パン回収しに。」
「パン……?」
私の中で疑問に思っていたことが次々と繋がりだす。
「パン屋さんだから、池本さん家。
でもいろいろ大変でお店たたむみたい。おいしかったんだけどな、あそこのパン。」
残念そうに肩をすくめる先生に「ありがとう!」とだけ言い残し、私は走り出していた。
購買部に向かって。
「あの!!!」
息も絶え絶えで叫んだ。
私の大好きなパンが詰め込まれた、青い大きなケースをもった少女がまさにそこから立ち去ろうとしていた。
「あっ」というと彼女…池本さんは少し恥ずかしそうに「昼間はどうも」と頭を下げた。
走ってきたものの私もなにをどう言っていいかわからず「いえいえ」と同じように頭を下げる。
つい勢いで飛び出してきたけど、私は何をしにきたんだろう。そう思っていると、購買部のおばちゃんが「あら!」と声をあげた。
「良かったわね、つかさちゃん。」
良かった?つかさちゃん?
私は何が何だかわからずお互いを見る。
「もう、おばちゃん!余計なこと言わなくていいの!!
あ、私、池本つかさって言います…」
昼とは一転、ペコペコと丁寧に挨拶をする池本さんに私は「はあ」と返すことしかできなかった。
どういう状況か理解ができない。
そんな私を見計らってか、購買部のおばちゃんがニコニコと話し始めた。
「つかさちゃんはね、お家のパン屋さんの手伝いでここにパン卸してくれてて。
いつもこのパン買っていく子がいるって話してたから、いつか会ってみたいってずっと言ってたのよ、ね?」
そう言って彼女の方を見た。
そこには大きな目にいっぱい涙を溜めた彼女がいた。
「今までうちのパン買ってくれて、美味しいって食べてくれて、ありがとうございました。」
深々とお辞儀をする彼女の長くて綺麗な髪がストンと落ちる。床にも涙が一粒落ちた。
事情を深くは知らないけれど、きっといろんなことがあったんだろうと、その姿をみて思った。
「こちらこそ、美味しいパンを毎日ありがとうございました。」
お辞儀をして顔を上げると、池本さんは少し切なそうな顔で微笑んでいた。
「それじゃあ」
彼女がパンの入ったケースを持ち上げる。
「身体に気をつけてね」
おばちゃんが涙ぐんだ声で手を振る。
彼女と会ったのはついさっきだけど、
私はいつもの昼休み、中庭にカフェオレ、そして"レーズンとくるみのパン"のあるその景色を思い出していた。
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例えばそれは、冬の朝にもう一度はいるふとんのぬくもり
例えばそれは、春の木漏れ日の中で飲むカフェオレ
例えばそれは、夏の入道雲を仰ぎながら食べるラムネのアイスバー
例えばそれは、秋の 焼きたてのパンの匂い