5.後書き-命の花の章
心の内に咲いている命の花 ・・ ・・
私たちは、その花を目で見ることはできません。
この物語の主人公、サーラのように澄み切った瞳の持ち主に出会わない限りは ・・。
でも、その花があることを感じることはできます。
世の中の価値観や、過去・現在・未来の柵から解放された無垢な瞳で自分の心を見つめた時・・
何もない空間を満たす淡い光・・その源で煌めきを放っているものがあったら、それこそが私たち一人一人が持つ命の花なのです。
私たちが、目の前にあるものに、理由を超えた美しさや尊さを感じることができるのは、心の内に宿っている命の花の煌めきが外に映し出されているおかげです。
自分の存在に疑問を持った時、私たちは、自分に煌めきを注いでくれるものを外の世界に見つけようとします。そして時に、外の世界に命の花の幻影を映し出してしまうのです。
そして、その花を手に入れようともがきます。
必死にもがいて、ついに手に入れたと思った瞬間、その花は儚くも消えてしまいます。
命の花を見失ってしまった心に映るのは、意味を失くしたものばかり・・自分が生きている実感さえも無くして、深い悲しみの底で漂い続けます。
しかし、悲しみの果てに、導きの存在が現れます。
導きの存在は、何も求めず、私たちの存在そのものに微笑みかけてくれるもので、その現れ方は多様です。”彼”が誰か、或いはどのようなものであるかはわかりません。
その導きにより、全てのものが、野に咲く花のように自然であることが、すでに美しく尊いことに気づきます。
心の内に光が射し始め、生きることの虚ろさは霧が晴れるように消えていきます。
そして歩み始めた人は悟ります。
自分の心の内に、美しく花開いている命の花があることを・・ ・