688話_sideout_講義棟_学生ロビー
・というわけで今週のザコキャラです。対よろ。
「……………………」
互いに火花を散らして周囲の緊張感を高めつつエントリーを終えた王子殿下の一行を、離れた場所から昏い目で見つめている少女の姿があった。
彼女の名はアゼリア・シュトゥラ・コーバシィ。
王子殿下一行とは同級生の、一年生に属する貴族学生で、伯爵令嬢という身分にある人物だ。
その容姿を端的に表現するならば、よく言えば欠点のない、悪く言えば目立ったところのない面立ちで、背恰好も平均程度。容姿の平凡さとは対照的に、癖っけのある緑掛かった銀のロングヘアを目立つ赤色の花飾りでこれでもかとデコレーションしているのが特徴的で、服飾規定違反にならないギリギリを責めた派手なメイクとあわさって、とにもかくにも自己顕示欲の強い少女であった。
この学院におけるアゼリアの現在の立ち位置は、クレインワース侯爵令嬢エカテリーナが率いる派閥の有力者の一人というものだ。わかりやすく言えばかつてのロンベルク伯爵令嬢メアリや、その後釜であったミュラー伯爵令嬢コリンナなどと同じようなポジションだ。尤も、件の二名は紆余曲折あって失脚し影響力を失っているので、それによって現在のアゼリアは相対的に影響力を強めていた。
アゼリアが熱心に見つめる視線の先に居るのは、言うまでもなく麗しの君であるレオンヒルト第二王子殿下――――ではなかった。
彼女の目に映るのは今この時だけは憧れの王子様ではなく、その隣に何故か生えてきた一人の平民だ。
そう。何の間違いかレオンヒルトがチームメンバーとして連れてきた平民学生ことミアベル・アトリーの姿であった。
何を隠そう、アゼリアはあのミアベルという少女がとてもとても嫌いであった。
ミアベルの姿を見ていると、ズルくて、許せないし、嫉妬で狂いそうになるからだ。
どう考えても。
どぉう考えても。
持って生まれたものが違い過ぎるではないか。
神様の依怙贔屓か、世界からの忖度を思わずにはいられない。
ミアベルは、アゼリアが欲しくて堪らないものを全部持っているのだ。
それは類稀な美貌であり、魔法の才能であり、優秀な知性である。
アゼリアは思う。
ミアベルは可愛い。本当に可愛い。とてもとても可愛い。
でもだからこそ許せない。
何故って、彼女は何も特別なことをしなくても、ただ在るがままであんなにも可愛らしいのだ。
流行りのアクセサリーも、最新のコスメティックも、有名なフレグランスも必要ない。多くの令嬢たちが競い合うように莫大な手間と費用を投じて自らを磨き上げることに精を出しているというのに、ミアベルはそんなことを一切考えなくても誰よりも優れた容姿を最初から、ずっと持っているのだ。
故にアゼリアは思う。
私が馬鹿みたいではないか、と。
凡庸すぎるこの容姿を少しでも見目好いものにしようと、必死になって流行に齧り付き、毎日のメイクアップとメンテナンスに何時間も掛けているのに。そうしてアゼリアが渾身の努力で自らを飾り立てたところで、あのミアベルと並んで立てば途端に背景に成り下がるであろうことは想像に難くない。
しかもだ。
それだけでも充分に妬ましいのに、加えてミアベルには史上最高と言われる魔法資質が備わっている。
なんの冗談だ、と乾いた笑いすら出てこない。
まだある。
ミアベルは頭もよいのだ。そもそも特待生なので成績上位を維持しなくては学院に居られないという事情はあるものの、そうではないのだ。
特待生資格を維持するために必死に学んで好成績を収めているのだとすれば、別に悪感情を抱くこともない。
つまりミアベルはそうではなく、特待生資格を維持するのに苦労すらしないほどに頭がよいのだ。定期試験のたびに発表される成績上位者のリストの中で、ミアベルがどの位置にいるかを思い出せばそれは明らかであった。
だけどもだけども。
まだアゼリアは我慢出来たし、我慢してきた。
我慢出来なかったメアリなどがやらかして失脚していくのを尻目に、派手なメイクの裏では身の程を弁えてお利口に過ごすことが出来ていたのだ。
今、この瞬間までは。
なんでも持っているミアベルには、絶対に覆せない弱点があった。
生まれながらにして多くの贔屓をされてきたミアベルが、持って生まれなかった唯一のモノ。
身分である。
結局のところ、どれだけ優れていようが所詮は平民なのである。
それも良家や商家などでもなく、単なる一般庶民どころか、特待生の補助がなければ真面に学院に通うことも出来ない貧乏な平民の生まれなのである。
ミアベルには流行りのアクセサリーも、最新のコスメティックも、有名なフレグランスも必要ないが、しかし欲しくないわけではないはずだ。それは彼女だって年頃の少女なのだから興味がないはずがないのだ。なにも知らぬ存ぜぬでは友人との会話を合わせるのも難しいだろう。
だから一面の事実として、ミアベルには必要ないと同時に、欲しくても手に入らないのだ。
何故ならば、一流の品々はどれもこれも、貧乏な平民では逆立ちしても手が出ないような高額で、そもそも貧乏な平民が訪れることが出来る店などでは取り扱ってすらいないのだから。
身分のことを思えば、アゼリアは嫉妬に狂いそうになる自分を抑えることが出来た。
自分が持っていないから羨ましく見える。
きっとミアベルからすれば逆に、アゼリアの伯爵令嬢という身分こそが羨ましくて仕方がないのだ。
そうに違いない、と自分を誤魔化すことが出来たから。
でもおかしいのだ。
とてもとてもおかしいことだとアゼリアは思う。
ミアベルという少女は良くも悪くも多くの視線を集める。
多くの人に注目されるのだ。
だから高位の者達も、誰も彼もがどいつもこいつもミアベルに興味津々である。クレインワースも、アシュタルテも、ヴァンシュタインも、そして遂には王家までも。
理屈ではわかる。ミアベルには注目を集めるだけの容姿と能力があるのだから。アゼリアや、下位の者達がミアベルに注目するように、高位の者達だって人間なのだから同じように注目するのだ。
至って自然で、普通のこと。
しかし、アゼリアはふと思ってしまう。
たった今あげたような高位の者達と、ならば自分はどれだけ関わることが出来ているのかと。
アゼリアはエカテリーナの派閥に属しているものの、エカテリーナ本人と大した交流があるわけではない。アシュタルテは間違っても仲が良いなんて言えるわけがないし、ヴァンシュタインは弟のほうはともかく姉のほうとは話したこともない。王子殿下や姫殿下などは言うに及ばずだ。
これはアゼリアにその気がなかったからではない。
その気があったところで無理でしかないからだ。
これはおかしい。本当におかしい。
取るに足らない平民という身分でしかないはずのミアベルは、それでも多くの高位貴族や王族に注目され、良くも悪くも活発な交流を行っている。
一方、ミアベルが羨むであろう伯爵令嬢という身分を有するアゼリアは、高位の者達からは碌に名前を覚えてもらってすらいないだろう。親しくするなど夢のまた夢。その他大勢の中の一人でしかない。
何故。
簡単である。
身分が違うからだ。
アゼリアはミアベルのことがとてもとても嫌いだったが、だからといって何かをしようとは思っていなかったのだ。彼女は我慢が出来たからだ。我慢出来るための理由があったから。
なんでも持っているミアベルが、望んでも絶対に手に入らない唯一のものをアゼリアは持っているから。
それは身分だ。
その事実だけがアゼリアのプライドを守っていた。つまるところ、いくら気に入らないからって平民なんぞに躍起になるのはみっともない、という貴族令嬢のプライドであった。
だけど現実は奇妙だ。
身分を持っているはずのアゼリアは、どんなに望もうとも王子殿下と親しげに会話したりなんか出来やしないのに、なんの身分もないはずのミアベルは、あろうことか実力を見込まれて王子殿下のチームに参加しているではないか。
要するに。
アゼリアのプライドを守っていた身分というものは、実は大した意味を持たないハリボテでしかなかった。
ということは。
アゼリアにはもう、我慢出来るための理由がなくなってしまったということだ。
◇◇◇
「――どうしたのメアリん。なに見てるの?」
横から投げ掛けられた言葉に、メアリは思いっきり顔を顰めた。
その表情のまま横を向くと、何が楽しいのか満面の笑みを浮かべたダンクーガ伯爵令嬢セラフィーナの姿がある。
「その呼び方やめて」
「えーなんで? 可愛いじゃんメアリん」
セラフィーナは不満そうに頬を膨らませて、メアリの隣に居るもう一人に水を向けた。
「コリンさんも可愛いと思うよね? メアリんとコリンでペアみたいでいいでしょ?」
問い掛けられたコリンことコリンナは如何にも不愉快そうに小鼻を膨らませる。
「わたくし、貴女に愛称を許した覚えはないのだけど」
「そんなこと言わずにぃ。わたしのことはセラって呼んでくれていいから」
「呼びませんし、嫌です。ダンクーガさん」
「っもちろんメアリんもセラって呼んでくれていいからね」
「後ろ向きに善処するわ。ダンクーガ」
「…………」
取り付く島もない、とはこのことな反応を示す二人にそっぽを向かれて、セラフィーナは頑張って貼り付けていた笑顔を崩してがっくりと肩を落とした。
なんでこんなことになっているのかというと、紆余曲折あって関係性が崩壊しついでに居場所も影響力も失ったメアリとコリンナの二人をセラフィーナが強引に引っ張ってきたからである。言い方を変えれば、落ち目の伯爵令嬢二人をセラフィーナが自分の派閥に引き込んだとも言えよう。
しょんぼりするセラフィーナに、この場に居る最後の一人が声を掛ける。
「なんというか、苦労するね。ダンクーガ」
誰かというとシュヴァルツ伯爵令嬢ヘルガーである。
派閥という意味ではヘルガーはアシュタルテのそれに属している立場だが、セラフィーナとは個人的な交流があって行動を共にすることが多かった。
そのヘルガーから見ると、セラフィーナはどう見ても分不相応な苦労を自分から背負い込みに行っているようにしか思えなかった。なにせメアリとコリンナといえばただでさえ我も癖も強すぎる二人であるというのに、これまでのやらかしもあって立場も悪ければ評価も酷いものなのだ。囲い込んでも百害あって一利がある程度でしかない。
とはいえ、セラフィーナの事情を知っているヘルガーは、彼女が何を思ってこんなことをしているのか大体予想がついている。
「諦めない心が大切だって、スレイさんが教えてくれたから……!」
「ん。あの人が言うなら間違いない」
というわけである。
つまり自分がかつて恩人であるスレイにしてもらったことを、今度は自分が誰かにしてあげたいと思い立ったのだろう。その志自体は大したものだし、実際メアリ達がセラフィーナに助けられているのは彼女達が口では何と言おうとも大人しくこの場に――セラフィーナの傍に居ることからも明らかなので、ヘルガーは特に否定することなく生暖かく見守ることにしていた。
尤も、セラフィーナ本人はメアリとコリンナに塩対応をされるたびに、かつての自分がスレイに働いた無礼を思い出して悶え苦しんでいたりするのだが。
「ところでロンベルクは、結局なにをみてたの?」
今度はヘルガーがメアリに同じ質問をしてみると、彼女は答えるかわりに視線を飛ばして見せた。メアリの視線を追った先には、一人の女子が居た。
ヘルガーにとってはまったく交流のない人物だったが、あの矢鱈と主張する花飾りは嫌でも印象に残っている。
「コーバシィ?」
そしてそのアゼリアが熱心に見つめているのは、ロビー中央に鎮座している『ターミナル』の前でエントリーを行っている王子殿下の一行であろう。
現在ロビーに居る多くの学生達が彼等の行動に注目しているし、アゼリアもその中の一人だと考えればなにも不自然ではないのだが、メアリには特別彼女が気になる理由があるようだった。
メアリはふいと視線を逸らして、それから小さく呟いた。
「…………他人からはああいう風に見えるんだな、って」
ちょっと思っただけよ、と。