62話_side_Mar_学究区_道中
~"執行部長"マリア~
「この状況で、データ取りを優先すると……?」
低く押し殺したようなベリエさんの言葉に、シューベルさんは「この状況だから、だよ」と返した。
唖然とする私達に対して、シューベルさんは当然のような態度で、その横のヨシュアさんがそれなりに気まずそうに口を開く。
「他に方法が無ければ勿論破壊するべきだが、停止命令を流す事さえできれば穏便に事態を収められるんだ」
「穏便ですって……?この状況で何を悠長なことを言っているのですか?」
語気を強めるベリエさんの言葉にとうとう怒気が混じる。ヨシュアさんは苦々しい顔で「わかっている」と返した。
「だが、『SBメタル』が正しく実用化されれば人類の助けとなるかもしれないんだ。そのためには、今回のこのデータを丸々失うのはあまりにも惜しい」
「んなこと言ってる場合かよ兄貴!実験なんていつでもやり直せるだろ!」
「こんな規模でデータを蓄積できる機会なんて二度と来ない!蓄積したデータが多いほど『SBメタル』は強くなる。その分、魔物の脅威から人々を守れるんだ」
「今!その『SBメタル』こそが脅威なのです!そうやってまごついている間に死者が出るかもしれないんですよ……?」
「言わなかったっけ?『SBメタル』は人殺しは、」
「人殺しが出来ないことと、人が死なないことはイコールじゃないッ!!」
ベリエさんが怒りのままに叫ぶが、どうにも目の前の研究者には、その怒りの理由が上手く伝わっていない印象だった。
魔力を奪われて衰弱したまま放置されれば死に至る可能性はあるし、そうでなくとも岩石や鉄骨を素材としたゴーレムに接触されて傷を負う者だってたくさんいる。傷が深ければ当然命に関わるし、そうでなくとも、ゴーレムから逃げるのに必死で崖から転落するとか、あるいは魔力を奪われて倒れた拍子に頭を打つとか、それだけで人は死ねるのだ。
「人命よりも研究が優先されるのですか?」
「そうは言わない、だが」
「今の百人を殺して未来の千人を救えるなら、それでいいと思うけどなぁ。そもそも、それを言い出したら日常生活でも人は死ぬよ」
悪びれもせずにそう言ってのけるシューベルさんの態度はどうかと思うが、少なくとも私にとっては一定の信用に値する。
だって、彼は一度も嘘を吐いていないから。
今このやり取りで嘘を吐いているのはヨシュアさんだけだ。ジレ君とベリエさんは本気で憤っているし、シューベルさんは本気で人命よりも実験のほうが大切だと考えている。ヨシュアさんは違う。口ではジレ君やベリエさんの怒りに同意するようなことを言っているが、それは嘘で、本音ではシューベルさんと同じく実験を優先したいと思っている。
ここでも、私の異質さが浮き彫りになる。
人間的に信用に値すると思われるのはシューベルさんとヨシュアさんのどちらか。
普通に考えればヨシュアさんだ。何故なら彼はベリエさん達の怒りを正しく理解して、彼自身も罪悪感から葛藤しているから。彼が罪の意識を感じていることは本当だろう。今まさに犠牲になる人々に心を痛めているのも本当だろう。葛藤に苛まれているのも本当だろう。
だけど、優先順位だけが嘘だ。
だけど私がどちらを好ましく思うかと言うと、シューベルさんなのだ。
人間的にはまったく褒められた人じゃないけど、だって嘘を吐かないから。
私にとってそれが最優先の評価基準になってしまうのだ。
「貴方には、罪悪感すらもないのですか……!」
「あははぁ面白いこと言うね。僕が神妙にして反省すれば状況がなにか好転するのかい?そんなポーズで満足するならいくらでもしてあげるよ。それこそ、そんなことしてる間に死者が出るかもしれないけどね」
「それは……」
「言っておくけど、僕にだって罪悪感くらいあるし、自分のミスでゴーレムを蔓延させたことは大いに反省しているとも。だが僕は聖職者でなく研究者だ。開発したもので起こした失態は、次なる開発で社会貢献することでしか雪げないと考えている。だったらこの大惨事をせめて次に繋げなくては、傷付いた人も破壊された物も、なにもかもが文字通り無駄になるじゃないか」
「…………」
「僕が神妙にすることに何か意味があるかい?少なくとも、僕には君の自尊心を満たす以上の意味があるとは思えないな」
馬鹿にしたように言うシューベルさんに言い返せない様子で、ベリエさんは唇を噛んだ。
ヨシュアさんも意見自体はシューベルさんに同意なので、苦々しくしているが彼の物言いを否定はしなかった。
そして私はますますシューベルさんに好意を抱く。だってだって、まだ彼は嘘を吐いていない。だとすれば彼が飄々とした顔の裏で罪悪感を覚えていることは本当で、反省していることも本当なのだ。
彼が研究者としての矜持を持って、研究で以てこの大惨事の失態を贖おうと決意していることも。
客観的に見ればシューベルさんがどの口で偉そうに言うのか、という思いを抱くのは無理からぬことだけど、実のところベリエさんがそれを断罪できる立場に居るわけでもない。この場で彼に態度の矯正を強いることは、彼女の自己満足でしかないのだ。
私はシューベルさんやヨシュアさんの考え方が一方的に正しいと言うつもりはない。ベリエさんが信じる騎士道精神とは根本的に相容れないのだと思うし、騎士道精神だって極めて正しい在り方だと知っている。だけど、ベリエさんがシューベルさんに告げる神妙にせよとは、つまり心にもない外面を取り繕えと言っているのと同じである。
倫理的に、道徳的に、人間的に、正しいのはどう考えてもベリエさんだ。
だけど私の異能は、ベリエさんが他者に『嘘』を強制していると声高に訴え、彼女の高潔さを貶めようとする。
きっとベリエさんだってシューベルさん達の物言いはともかくとして、発言自体に一定の理があることは理解しているのだ。だから彼女は彼らの主張を否定したいわけではなくて、彼らとは違う彼女自身の主張を表明できないことが悔しいのだと思う。それはどちらが正しいとかではなくて、どちらがより揺ぎ無いかというだけのことなのだ。
「意味ならあるぞ」
突然、ぽつりとアシュタルテさんが呟いた。
思わずそちらに視線を向けると、しかし彼女の姿がない。
いつの間に、どうやって移動したのか、彼女の姿はシューベルさんの背後にあった。背後というか、上空からシューベルさんの背を踏みつけて地面に這いつくばらせたのだ。
ちゃんとスカートを押さえて軽やかに落ちてきたアシュタルテさんが背に乗っかった瞬間、シューベルさんはそれこそゴーレムにでも圧し潰されたように碌な抵抗も出来ずに地に伏した。
「ぐっふぅ!?」
苦悶の声を上げて潰れるシューベルさんの背中を小さな足で踏み付けつつ、アシュタルテさんは尊大に口を開く。
「貴様等マッドの自分本位に比べれば彼女の自己満足など可愛いものだろう。私は彼女ほど優しくないからはっきり言ってやるが、貴様は下衆だ。同族嫌悪で反吐が出るぞ。貴様の下衆い考えなど聞きたくもないから、せめてセルフで蓋をしておいてくれないと困るだろうが」
魔法でも使っているのか、アシュタルテさんの軽い身体をシューベルさんは跳ね除けられないようだ。それどころか徐々に重さが増しているかのように彼の表情が歪んでいく。
「そうでないとゲスい私はついイラっとして貴様を踏み潰してしまいかねん。未来の千人のために今の百人を犠牲にすると宣ったな。ならば今ここでまず貴様が率先して死ね」
「ぐ、ぐえぇ」
「貴様の同僚は貴様より賢いな。私のような短気なガキに殺されないために、イラつかせないように表面を取り繕う程度の知性がある。それを世間では処世術というのだ。きょうび学生でも実践していることだぞ。学生にも出来ることなのだから、いい大人である貴様に出来ぬわけがあるまい。死にたくなければ神妙にしておくことだ。それが態度を繕う意味だ。なあミスター、理解したか?」
言いたいことだけ言って、アシュタルテさんは一転してふわりと重さを感じさせない跳躍でもとの場所へと戻った。
それから、ベリエさんへと視線を向ける。
「ベリエ先輩には悪いが、とはいえ私は方針自体はシューベル氏に賛成だ。損切りは必要だが、せめて何かしらのリターンを得る努力だけはしておくべきだろう」
「は、はい……理解は出来ます」
「学院を焼け野原にするわけにはいかない以上、殲滅するにしてもある程度的は絞らねばならんのだ。それでメイン個体が見つかればこの男に任せればいいし、見つからなければ殲滅も止む無し、というだけの話だ」
理路整然と告げると、アシュタルテさんは疲れたように溜息を吐いた。
彼女がシューベルさんを足蹴にしたときに、私は一瞬だけ彼女を止めるべきか迷った。彼女の言葉は基本的にはただの脅しだった。たぶんベリエさんとジレ君の溜飲を下げるために、あるいはヨシュアさんの罪悪感を紛らわせるために敢えてヒールを演じたのだろうけど、ただ、一箇所だけ掛け値ナシの本音が混じっていた。
『未来の千人のために今の百人を犠牲にすると宣ったな。ならば今ここでまず貴様が率先して死ね』
その言葉だけが、震えるほどに本気だったのだ。
アシュタルテさんがシューベルさんを殺さなかったのは、単に彼がまだそれを実践していないからというだけの理由だった。言葉の通りにシューベルさんが未来の千人のために今の百人を犠牲にしようとしたら、アシュタルテさんは迷わず最初の犠牲をシューベルさんにするだろう。
私の異能は嘘を見破る。
だから、本人が信じてもいないことを口に出せば、それがわかる。
では、他人に『死ね』と本気で言える人物とはどういうものか。
それはつまり、アシュタルテさんは本当に他人を殺せるということだ。
それを疑いなく発言できるということは、自分が他人を殺害できることを疑っていないということだ。
彼女は、間違いなく人を殺したことがあるということだ。
それだけならば珍しくない。決して珍しくはない。だけど、その揺ぎ無さだけが異質だった。
「いつまで寝ている。私のようなか弱い女に乗られたのがそんなに堪えたのか?」
貧弱過ぎないか?などとアシュタルテさんは、息も絶え絶えに起き上がったシューベルさんを小馬鹿にするように告げる。
シューベルさんは苛立たし気に立ち上がると、これまでの飄々とした態度からするとだいぶ人間らしくなった表情で負け惜しみのように言う。
「僕の研究を誰かが正しく完成させてくれるのならば、僕がここで死んでも一向に構わないと思っているよ」
それは強がりでもなんでもなくただの本音であった。
そしてアシュタルテさんもまた本音で答えた。
「一度死んでみればいい。きっとそんなことは言えなくなるだろうよ」
は、と息を止めた私には気付かず、アシュタルテさんはどうでもよさそうにシューベルさんとの会話を切り上げると、ヨシュアさんに問う。
「戦況の連絡は来たのか?」
「あ、ああ。だいぶ絞り込めた。研究施設と学生寮に群がってるのは予想通りだが、それとは別に異常に密度の濃い場所があるらしい」
「なに?」
「おそらくだが、先の二ヵ所と同等の高魔力体が存在するんだろうが、それが移動して――どうした?」
天を仰いだアシュタルテさんに、ヨシュアさんが説明を中断して怪訝な顔を向けた。
「いや……そんな存在はどう考えても一人しか居ない」
先程までの険悪な雰囲気などケロリと忘れて興味津々で会話に加わったシューベルさんと、同じくなんの遺恨もない様子で説明するアシュタルテさんの姿を呆然と眺めながら、私の脳裏では彼女の先程の言葉が繰り返し響いていた。
一度死んでみればきっとそんなことは言えなくなる
私の異能は反応しなかった。
つまりアシュタルテさんは本気で考えているのだ。一度死んでみれば、死んでも構わないなどと言えなくなるであろうと。
だが、そんなのはおかしい。
疑いなくそんなことが言えるのは、一度死んだことがある人だけなのだから。
・2021/9 細部の描写を修正。




