637話_side_Herger_某所
~"ソウルジャック"ヘルガー~
「――うん。今から学院に戻るところ。…………うん。そうだと思う」
王都の病院にてシンシアの定期治療を終えた帰り。学院へと戻る馬車の車内であたしは『PiG』を片手に通話していた。同じ車内には付き添いのアイリスが居て、彼女は通話中のあたしの邪魔をしないように息を潜めている――――という体で半分寝ていた。
あたしの通話の相手はアシュタルテだ。特別な用事があったわけではなく、単に彼女の声が聞きたくなってあたしから連絡を取ったのである。目覚ましい進歩だとは思わないだろうか。通話に怖気づいて端末を片手に小一時間うじうじし続けアイリスに呆れられたあの日のあたしはもう居ないのである。
『最近は日が落ちるのも早くなってきたからな。気を付けて帰ってくるといい』
「うん。でも馬車に乗ってるだけだから、だいじょぶ」
あたしが病院までの足に使っているこの馬車はそもそもエンディミオン魔法学院が所有しているもので、学院長先生公認の校外活動として外出しているあたしには特別に使用許可が出ている。駅馬車のように複数の停車場所を経由することもなければ、寄り合い馬車のように他人と乗り合わせることもない。基本的には学院と王都の病院の間を一直線に往復するだけなのである。
アシュタルテが心配してくれた通り、現在時刻は夕方で、既に日が落ちつつある。こんな時間になったのは単純にあたしが平日の放課後を利用してシンシアの治療を行っているからだ。
ブラッドフォード領のロイエンタールを拠点にしているクーベルネさんの治療を行った際は週末の休日を利用してあたしが向こうに赴くことをしていたけど、王都の病院に留まっているシンシアの場合であれば普通に放課後に日帰りで行けてしまうのである。
まあ、それについてはあたしの治療の主となる『ソウルジャック』が、殆ど時間を要さない技能であるという事情も非常に大きい。対象の『魂の部屋』でどれだけの時間を過ごそうとも、現実の時間に換算すれば一瞬なのだ。よってあたしの治療行為そのものは大抵一瞬で終わる。時間が掛かるとすればそれ以外のカウンセリングやアフターケアなどである。
余談であるが、エンディミオン魔法学院は広大な敷地内に一個の街が詰まっていると言われるだけあって、学院から出ることなく大抵のことが出来てしまう場所だ。しかしその反面、学生がいざ外に出ようとすると結構面倒くさい手続きが必要だったりする。
例え王都に遊びに行くだけでも事前の申請と許可が必要だ。これは多くの貴族が通う場所として、防犯上必要な手続きであろうから仕方ないことではある。とはいえ何事にも例外は存在するのが世の常で、現在のあたしもその一つだ。あたしの治療活動は学院長先生の公認を受けているので、特例で手続きを省略して外出出来るのだ。勿論、代わりに学院長先生には許可を得る必要があるわけだが。
「それでね――――アシュタルテ?」
『む』
あたしが他愛のない話をしていると、通話越しのアシュタルテが少々考え込んでいるような気配を感じた。基本的にアシュタルテはちょっとどうかと思うくらい優しくあたしの話に耳を傾けてくれるので、逆にそうでない時がわかりやすい。具体的には何か、彼女にとって憂慮に値する事項がある時だ。
「えと……やっぱりアシュタルテ的には複雑? シンシアのこと」
思い当たる節があるとすれば、あたしが今まさに治療をしてきた患者であるシンシアについてだ。
彼女はアシュタルテとは少々因縁のある人物で、治療のために観測した彼女の『魂の部屋』にもそれを示唆するオブジェクトが見られた。
シンシアはエンディミオン魔法学院で働く学院メイドの一人なのだが、前職はアシュタルテ侯爵家でメイドをしていた人物なのだ。そして彼女が侯爵家をクビになった直接的な原因が他でもないアシュタルテ、つまりプリムローズなのである。わかりやすくすればシンシアはプリムローズが昔クビを切った相手なのだ。
無論、そこにはそこに至るだけの経緯があったのだろうし、だとすればアシュタルテとシンシアの間に何らかの確執があったことは想像に難くない。であるならば、あたしがシンシアの治療を行うのはアシュタルテにとっては面白くない展開なのではなかろうか。
とまあ、そんな心配事があたしの頭の片隅にはあった。
『ああ、いや。そうではない』
ところが、そんなあたしの心配はアシュタルテによって軽く否定された。
アシュタルテは通話越しに言葉を続ける。
『私は別に、シンシアという女個人に思うところがあるわけではない。私の実家で勤めていた頃、シンシアはろくすっぽ仕事をしないくせに恩恵だけは貪るごく潰しだった。故に私は給金に見合った働きをしないメイドを解雇するように働きかけたに過ぎない。そこに私の都合と私情があったことまでは否定しないが、今もって間違った判断だったとは思っていないし、反省するところもない』
「そっか」
『んむ。そして侯爵家では仕事をしなかったシンシアが、学院メイドとしては心機一転して真面目に働いていたのであればそれは大変結構なことだ。そんな彼女が何者かの勝手な都合で理不尽な目に遭ったのは気の毒に思うし、貴様が彼女を救おうと努力しているのは敬意に値する尊い行為だとも思っている』
「うひ、えへへへへ」
なんでアシュタルテはこんなにあたしを認めてくれるんだろう。ズルだ。ずる。
そして寝たフリしてるアイリス、今小声で「きっしょ」って呟いたの聞こえてるから。自分自身でも引くくらいきしょい笑い声が出ちゃったのは自覚してるけども。
でも大丈夫、アシュタルテはそんなあたしでも好きでいてくれるから!
じゃなくて、では結局アシュタルテの心配事はなんなのだろう。先を促したあたしに、アシュタルテは少々意外なことを言う。
『シュヴァルツ。これからは今まで以上に身辺に気を付けるようにしてくれ』
「え?」
『貴様についてはおそらく大丈夫だろうと思うが――』
通話越しにアシュタルテが説明を続けてくれていたが、生憎とあたしはそれに耳を傾けられなかった。というのも話をしながらなんとなく、馬車の窓から街の景観を眺めていたら、そこにおかしなものを見たのだ。
あたしはアシュタルテの言葉を遮って問い掛けた。
「ねえ。アシュタルテって二人居ないよね?」
『は? アシュタルテはそれなりに居るが、私は一人だぞ』
「だよね」
だとすれば、今あたしが見掛けたものは一体なんだったのだろうか。
過行く街並みの中で、建物の隙間に消えるように歩いて行った小さな姿は、どう見てもアシュタルテのものであった。あたしが彼女の姿を見逃すはずがないし、そうでなくても特徴的すぎる容姿を持っているアシュタルテの姿は見過ごすほうが難しい。
可能性としては今まさにあたしと通話中のアシュタルテが王都に出てきていたというのも考えられるが、そうならそうと彼女は言うだろうし、確認するまでもなく彼女の所在は普通に学院だろう。
「…………」
『おい、シュヴァルツ?』
あたしがアシュタルテの姿を見逃すはずがない。
だけど同時に、アシュタルテの姿を見間違えるはずもない。
だから、あれはアシュタルテの姿をしているアシュタルテではない何かだ。
あたしは決めた。
「ちょっと切るね。またあとで掛けるから」
『あ? おい、ちょ』
名残惜しむ間もなく通話を終えて端末を仕舞うと、あたしは馬車の窓越しに御者に合図を送って停車を促す。あたしのただならぬ様子に、半分寝ていたはずのアイリスもいつの間にやら緊張した面持ちでこちらを見ていた。
路肩に停まった馬車から出ようとして、あたしは少し考える。
アイリスはこの場に残ってもらってもしもの時の連絡役を担ってもらおうと思ったけど、あんまり賢くない選択かもしれない。魂の中ならばいざ知らず、現実でのあたしは荒事の経験なんて殆どないため、こういう時の対処のセオリーがわからない。
もし、先程見掛けた『アシュタルテのようなもの』があたしを誘い出すための罠だったとしたら、あたしの居ない間にアイリスを狙われて人質とかにされる可能性が否めない。
アイリスはおっぱい的な意味での戦闘力は高いけど、殴り合いには無力だ。マゾなので痛めつけても喜ぶだけだが、殺せば死んでしまうのである。
「アイリス、あたしと一緒に来て」
「かしこまり?」
ならばまだしも、あたしの近くに居てくれたほうが守れるだけマシだろう。
無関係の御者が狙われることはないと思うので、悪いが彼にはこの場で待っていてもらおう。
早く追わねば見失ってしまう。あたしはアイリスを伴って夕暮れの街へと飛び出した。




