54話_side_Io_学生区
~"黒髪令嬢"イオ~
最近、炎属性魔法がわたくしの中で熱い。
きっかけは過日、魔法資質測定の日のこと。
王子殿下、公爵令息との会食の席で、わたくしと同じく望まれて同席したプリムローズ様の、あの所作だ。
わたくし達はあのことを『例の件』と呼んでいるけれど、つまりはあの場で焼きマシュマロを召し上がったプリムローズ様が、なんとも愛らしいお顔をされた事変のことである。
ただでさえお美しく、大変可愛らしいプリムローズ様の、満面の笑み。そしてまるで幼子のような無邪気なお振舞い。
普段の彼のお方が深い知啓に満ちた厳格な女性であるだけに、そのギャップの破壊力たるや凄まじく、わたくしは一撃で虜になった。もともと虜だったろうにという野暮なツッコミはソシエだけで充分である。
ともあれ、強烈な衝動に突き動かされたわたくしは、その日より猛特訓を始めたのだった。
すべては、プリムローズ様に珠玉の焼きマシュマロを献上せんがため。
無論、このわたくし自身の手で、わたくしの魔法で焼いたマシュマロであのお方に笑んで欲しいのである。
だがしかし、残念ながら現実はマシュマロのように甘くはない。
風属性の魔法使いであるわたくしが、炎属性の魔法を使うにはどうしても効率が落ちる。これはつまり弱い魔法を使うにも多量の魔力を必要とするということであり、魔法を成立させるために多量の魔力を注げばその分制御は難しくなる。
今、わたくしがピンと立てた人差し指の先に、小さな小さな炎を燈す。
炎属性魔法の初歩の初歩である『導きの火』だ。
実のところ、他属性の魔法を使う時、難しいのは強力な魔法よりも弱い魔法なのだ。何故ならば強力な魔法は魔力をこれでもかと注げば発動できるから。無論燃費と制御性は最悪だけれど、威力だけを求めるのならばそれでも使い物にはなる。
難しいのは、威力以外を求める場合。大抵は緻密な制御を必要とする補助系の魔法なのだけど。
例えば、最弱の炎魔法で以て、マシュマロを必要以上に焦がさぬように焼く、とか。
他属性の魔法使いがそれをやろうとするのはつまるところ無理無茶無謀の三拍子だ。優秀な炎魔法使いであるレオンヒルト殿下ですら一度目は失敗したのである。いわんや風属性になど、である。
「…………むぅ」
わたくしの指先に燈った導きの火は、ちらちらと頼りなさげに揺れて、今にも消えそうだ。安定させるためには魔力を流さねばならないが、そこで加減を誤るとあっという間に火が大きくなりすぎてしまう。そして風属性のわたくしには、その加減がとても難しいのだ。文字通りに火が大きくなりすぎて火力が過多になる程度ならばマシな失敗で、大抵はそれを通り越して爆ぜる。
目の前に立ったソシエが同じように指を立てて、導きの火を燈している。
お手本として使って見せてくれているそれは、わたくしのお粗末なそれとは見た目からして異なり、小さいながらも揺らぐことなく安定した光を放っている。
そう。マシュマロを美味しく焼くためには、その強すぎず弱すぎず、なにより安定した火力こそが求められるのだ。
現在地は寮から程好く離れた、木立の中のちょっとした広場だ。
人目に付かない秘密の特訓場である。
影の努力は秘匿するのが貴族の美徳とされるが、それ以上に人目を忍ぶのは偏にプリムローズ様のお耳に入ることを恐れてである。だって、わたくしには前科があるので。以前、あの方の魔法を真似しようとして『時間と才覚の無駄』と怒られたことがある。あれはわたくしにとっては叱責されたというよりもあの方に才覚を認められているとわかって嬉しかった印象しかない思い出であるのだが、それはともかく。にもかかわらずこうして、きっとあの方からすれば無駄以外の何物でもない特訓に時間を費やしてしまっている。
プリムローズ様に知られれば、きっと彼女は『しょうのないヤツめ』と、わたくしが大好きなあの苦笑で仰るだけなのだろうけど、万が一幻滅されたりしたらわたくしは立ち直れない自信がある。というのも、現在進行形で特訓の成果は芳しくないわけで。
特訓の相方は、炎魔法使いのソシエがお手本。それから水魔法使いのレキが、もしもの時のための消火役に控えている。
要はいつもの面子である。
「……――はい。よろしいですよ」
ソシエの言葉を受けて、わたくしは指先の火を消した。
とりあえず、安定には程遠いものの、魔法としての体裁を満たせる程度には使えるレベルになった。これでも最初に比べればかなり上達したのだ。最初の最初はそれこそ例の会食で殿下に対抗してマシュマロを焼こうとしたのだが、まるで火力が強すぎて、焦げどころかほぼ消し炭に変えてしまう有様だったのだ。
躍起になるわたくしはプリムローズ様に『無茶をするな』と諫められてしまった。いわゆる黒歴史。その際のプリムローズ様の表情が、呆れや侮蔑でなくて、なんとも微笑ましいものを見るような優しいものであったのが唯一の救い。
というより、そうでなければたぶんわたくしの心が折れていただろうけれど。
「ふぅ……難しいものですね」
「着実に上達はされていますよ。というか、ボク的にはもう充分なんじゃないかと思うのですが」
「ええ。マシュマロも焼けますし。少々、ムラは御座いますが」
火力を抑えるのは出来るようになったので、現状でもマシュマロは焼ける。
だけど、火力が安定しないので焼き加減には常にムラが出る。なにより、火加減にはわたくしのコンディションがもろに出るのが問題だ。
プリムローズ様が見ている前でやるとなると、緊張で手元が狂う未来しか見えない。
わたくしがそう言うと、二人はなんとなくその画が想像できたのか、納得と呆れの中間みたいな優しい顔になった。
「せめて、ソシエくらいの安定感が欲しいのです」
「お言葉ですが、そうなると本職のボクの立つ瀬がないです」
今でこそお手本が板についてきたソシエだが、彼女もスムーズにその域に至ったわけではない。正真正銘の炎魔法使いである彼女も、いざマシュマロを焼こうとして散々失敗して苦戦していたのだ。むしろ、あの場でたった二回で完璧に決めて見せたレオンヒルト殿下の高い実力が浮き彫りになった感まである。言うまでもないが、『導きの火』とは本来そこまでの制御を求められる魔法ではない。炎属性の初歩の初歩と言われる通り、基本的には火が燈りさえすれば正しく発動していると見做されるものだ。
尤も、結局ソシエは一日も練習すればもう失敗しないレベルになったのだけど。
確かに、炎魔法使いであるソシエと同じレベルを望むのは明らかに高望みしすぎなのはわかっているのだ。
「ですが、氷魔法使いであるプリムローズ様が出来た以上、わたくしに出来ぬ道理はありません」
そうなのだ。例によって会食の際、その場に居たプリムローズ様とアルヴィン殿も戯れにマシュマロ焼きを披露してくれたのだが、闇魔法使いであるアルヴィン殿がマシュマロを派手に爆発させて周囲を呆れさせたのとは対照的に、プリムローズ様はと言うと難なく成功させてしまったのである。
ご本人は、『自分でマシュマロを食べるときにこっそり練習してたんだ』と冗談めかして教えてくれたが、それはつまり練習をすればできるようになるということ。魔法の上達のためにはとにかく使うことだ、という彼女の教えにも合致する。
憮然としたわたくしの言葉に、ソシエがなんとも言えない表情をする。
「えーと……正直に申し上げますと、失礼ながらアシュタルテ様の魔法技量ってバケモノですからね」
「人智を超えていると評しても過言ではないかと」
「わかっています」
そんなことは言われるまでもない。あの方が魔法資質測定で示したことでもあるし、そうでなくとも、わたくしがあの方と出会った初対面の一件から、わたくしはあの方の技量が隔絶していることなど充分に承知している。
だけど、同時に。だからこそ。
そんなプリムローズ様に少しでも追いつきたくて、これまで研鑽を積んできたことも事実。
彼女が遥か高みに居てくださるからこそ、わたくしはどれだけでも頑張り続けられるのだ。
幼い頃からわたくしに仕えてくれている二人もそれは知っているだろうけど、でもこれがわたくしの勝手な思いであってレキとソシエにまで強制できることでないのもわかっている。
「レキ、ソシエ。これはわたくしの意地です。二人が無理に付き合う必要は、」
「おそれながら」
わたくしの言葉を遮って、ソシエが硬い声を出す。わたくしが彼女を見ると、一転、にっこりと彼女らしい明るい笑みをくれた。
「ボクらは、お嬢様の御力になるのが生き甲斐なのです。どうか、それを奪わないでくださいませ」
「それに、私どもも良い練習になっておりますれば」
言って、レキもまた指先に導きの火を燈す。
わたくしの練習に付き合ってくれた彼女のそれは、わたくしのものよりもだいぶ大雑把な炎で、代わりに安定感は多少マシだけどマシュマロを焼くには火力過剰だ。彼女はここから火を小さくするのに苦心しているのだ。
まあ、結局やっていることは魔力の精密コントロールの鍛錬なわけで、やったことはやっただけ無駄にはならないはずだ。
ただ、なにもマシュマロを焼くことにこだわらなくとも、もっと効率的な鍛錬方法はいくらでもあるというだけで。
「と、いうわけでこれからもご一緒させていただきますが」
「それはそれとして、本日はこの辺にしておきましょう」
息の合った二人に、わたくしも「そうですね」と返した。
わたくしが寮へと戻る道を歩み出すと、二人が後ろに続く。指先に火を燈すだけの練習をわざわざ屋外に出てまで行っているのは、言うまでもなく、万が一にも寮の部屋を焼くわけにはいかないからだ。人目を避けるという意味では私室で練習するのが最も安全だとはわかっているのだが、罷り間違って寮に設置された消火魔法が発動したりしたら目も当てられないので。
木立の道を抜けて通りに出る。右手に進めば学生寮方面。左手に進めば商業地区方面だ。
寮のほうへと足を向けたわたくし達であったが、その背後から駆ける音とともに切迫した声が掛かった。
「――助けてぇ!」
振り向くと、二人の女子学生――タイの色からして二年生だ――が必死の様子で走ってきていた。彼女らは背後を気にしながら、まるで追い立てられるように。
彼女らを追い立てているのは、ずんぐりとした巨大な影。
「あれは、ゴーレム!?」
ソシエが瞳を見開く。
地属性の魔法人形であるゴーレム。その能力、形態は術者によって千差万別であるが、今女子学生を追い立てているのは岩石を素材とした四足獣型のゴーレムだ。ずんぐりとした巨体を揺らし、太い脚で地を踏み固めながら、地響きを立てて疾駆している。
速度はそれほどでもないが、女子学生が走るのと遜色ない程度には速い。なにより、あの巨体の圧迫感はかなりのもので、追い掛けられている彼女らは生きた心地がしないだろう。
何故こうなったのかは定かでないが、見過ごせる事態ではない。
「レキ、ソシエ、お願いします」
「「畏まりました」」
わたくしが声を掛けると、レキが即座に手を翳し、遠隔で魔法を発動させる。
驀進するゴーレムと逃げる女子学生を隔てる位置の地面が唐突に泥濘へと変化し、脚を取られたゴーレムが急激に減速する。レキが魔法を唱えるより前に駆け出していたソシエが、女子学生とすれ違い、瞬く間にゴーレムの眼前へと躍り出る。
荒れ狂う業火を纏ったソシエが勢いのまま踏み切り、
「砕けろ!!」
獣型のゴーレムの頭部に飛び膝蹴りを叩き込む。
彼女が纏っていた業火が蹴りに呼応して指向性を持ち、インパクトの起点である膝に集束する。直撃の瞬間、高密度の火焔が輝くパイルとなってゴーレムの身体を縦に貫通した。
相変わらずの、惚れ惚れする破壊力。
ソシエの機動力と魔法の構築速度が全て計算に入った、完璧な位置とタイミングを生み出すレキのサポートが合わさって初めて得られる火力である。
「…………あれは」
普通に考えれば再起不能の一撃であったが、わたくしは飛散するゴーレムの破片の中に、キラキラと輝く銀色を見た気がして瞳を細めた。
それがどうにも不穏で、わたくしは扇を抜きつつ魔力を編む。
ゴーレムの残骸の目前に着地したソシエに、助けを求めてきた女子学生の片方が悲鳴染みた声を掛ける。
「再生するわ!油断しないで!!」
「!!」
言葉と同時くらい、半壊していたゴーレムの残骸から沸き立つように銀の流体が立ち上り、まるで触腕の如く周辺に散らばった破片を集めて再構築を図る。ソシエが咄嗟に後退しようとするが、距離が近過ぎて再構築のうねりに飲み込まれつつある。
「ソシエ。伏せていなさい」
わたくしはパンと扇を開き、魔法を乗せて一つ扇ぐ。わたくしの声を受けて後退することを放棄し躊躇なくその場に伏せたソシエの身体を取り巻くように、やや季節外れの花吹雪を伴って複数の風が吹き抜ける。
檻の如く無数に連なるのは見えざる刃。
真空の斬撃が再構築しつつあったゴーレムを微塵に切り刻む。特に入念に銀の流体を風で霧散させるようにしてやると、再び破片と別たれたゴーレムは今度こそ完全に沈黙した。
「お見事です。お嬢様」
「貴女達も、ご苦労でした」
咄嗟のことにしてはまずまずの出来、とわたくしは自己評価を下す。
自分の魔法に伴って舞い散る花弁を一つ掌で受け止めると、それは淡雪のように光の残滓を残して溶けた。
これは余談だが、わたくしが使った魔法は真空の刃を飛ばして対象を切り裂くものだ。そこに花吹雪を舞い散らせるなどという副次効果はない。つまりはこの花弁はわたくし独自の魔法モデルの産物である。
見た目の優美さだけであり、戦術的な意味は今のところ少々の視界の撹乱に繋がる程度でしかない。
言うまでもなく、プリムローズ様の真似っこなのだけど。
あの方の凍結魔法が、対象を氷の華に閉じ込めるのを見て、どうにも憧れてしまったのだ。
優雅で、かっこよくて、なにより美しい。
プリムローズ様には『時間の無駄だから私の魔法を模倣しようとするのはよせ』と叱られてしまったわたくしだけど、これに関してはあくまでも彼女の魔法を参考にした独自の魔法だからセーフですよね?
より優れた魔法使いの魔法を参考にして、己を高める行為にはなんら恥じるところは無いはずだ。
「……ゆくゆくは、やはり花を咲かせたいですね」
炎属性と並行して樹属性の練習を始めるべきだろうか。となると誰に師事するのが賢明だろうか、なんて。
結局のところ、全然懲りていないわたくしなのであった。
・2021/7 細部の描写を修正。




